DISC REVIEW

くるり琥珀色の街、上海蟹の朝』

―安心して下さい、息吸ってますよ。―

 言葉につくせぬこの多幸感、いつか終わりが来るとわかっていたとしてもだ。くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」が初めて耳元でなった瞬間、僕は確かに幸せだった。
 上海蟹、かに、カニ食べいこうと連想ゲームをしていくと、どうしてもPUFFYの「渚にまつわるエトセトラ」に行き着いていた。それで、よくよく調べてみると、このパフィーの曲は1998年にリリースされている。(アルバム『JET CD』1998年リリースに収録。シングルでは1997年リリース。)そう、くるりがメジャーデビューした年と重なった。だからなんなのと思うが、ここで共通しているのは、食べるという行為なのだ。
 98年と聞くと、それ以降の日本のロックシーンを変えた音楽家が多数デビューした年と連想してしまう。(その名前はぐぐってもらいたい)だが、私が触れたいのは、今回そこじゃない。2000年代という日本の景気やその他もろもろが、少なからず明らかに音を立てて下降していく、その、ほんの少し前のころ。
バブル景気崩壊以降、状況は傾いていったが、まだそんなことは見て見ぬふりをしても行ける状況とも言えた。
 その頃日本はまだ飽食の時代だった(え、今も?)それを象徴するのが、テレビで放映されていた、「どっちの料理ショー」だ。毎回、二人のプレゼンターがお互いに、贅を尽くした素材を使った料理を用意して、そのどちらを食べたいかゲストに選んでもらい、選択した人数が多い方だけ食べられるという番組だった。
 今振り返ってみると、日本は豊かだなぁと思う。でも、この番組を2016年にやったらどうだろう。少なくとも、僕はPTAにバッシングしてもらいたい番組に上げるだろう。フザケナイでもらいたいと思う。今の日本には貧困女子という言葉も生まれたり、親が居ず、今日食べるごはんもない子供が増えたりしている。その状況でどの面さげてこういう番組をするのだ。
 と言いつつも、私もおいしいものを食べたい。上海蟹を食べたい。それをTVで食べるのを見るのは娯楽としてはいいだろう。それは人間として当然の欲求だと思う。
 しかしながら、もう耳にタコが出来るくらい聞いてきたかもしれないが、日本の幸せの基準が変わった。その転換期になったのが、3.11だった。あの日CMは全て、ACジャパンだった。当たり前だがこの日に料理番組をやれば、確実にクレーム通知が流れていただろう。
でも、この瞬間にも上海蟹的なものを食べたいという思いを抱いた人は確実にいたと思う。
 あの日以来、色々変わった、くるりも少し変わったと思う。誰もが変わった。むしろ変わらなくてはならなかったと思う。だから、TV番組も変わったのだ。私が思うに「幸せ!ボンビーガール」という番組がそれの最たるものだと思う。貧乏でも豊かに過ごそう、いや貧乏な時期を体験したからこそ、見えてくるものがあるという思想を持った番組である。貧乏な地点から進化していくことは私も素晴らしいと思う。ただ、それが全てではないということも伝えなくてはいけないことだろう。古いものを改善していくことも大事だし、貧乏な状況をどう変えたら楽しくなるかを考えることも重要だと思う。でも逆にそれが普通に作りだせるものよりも、コストが掛かってしまったら、本末転倒じゃないだろうか。もっとこわいのは、その貧乏という状態が正常化して、それが幸せなんだよねという、間違った物差しが出来てしまうことだ。TVは一つ正義を持って番組を作りだしてはいるだろう。ただ、見る人にとっては、それが悪になることもある。やはりそれは、僕達視聴者が個々の判断で選択していくしかないのだ。
 妙にテレビのことに話が逸れてしまったが、つまるところ、どれだけ貧乏の人がいたとしても、上海蟹を満腹食べたくないという人はいないだろう。(カニ嫌いな人は済みません)
 つまり、聴く人がどんな状況であっても、くるりの新曲は、共感できる出来ないの壁を越えていく、そんな光に満ちた瞬間がこの曲には存在している。
    僕個人がくるりの曲でどれが好きか挙げると、どうしても、「ばらの花」と「ワールズエンド・スーパーノヴァ」になってしまう。
そして、この「琥珀色の街、上海蟹の朝」はその2曲の時間軸の先を行っている。越えている。未来なのだ。
 「ばらの花」の歌詞にある“安心な僕らは旅に出ようぜ”という安心なぼくらは、3.11以降無くなった。それは抗えない事実だろう。この曲が発売された2001年には、少なからず存在した“安心なぼくら”は2011年には消えていたのだ。
 でも、そんな時ですらポップ・ミュージックは何かを更新していける。
 岸田繁はラップで新曲の始まりを歌った。彼は40歳になったから出来た曲という風なことを言っていた。時代は流れる、変わらないものは無くなっていく。「ワールズエンド・スーパーノヴァ」にはテクノがあった。そして、ヒップホップとはテクノから生まれたものだ。
 3.11以降新しく作られた、価値観、ルール、人々の物差し。その中の正しいものや間違っているものは、いずれ大きな奔流に混じり合い流され“PIER”に流れつくだろう。
最後に歌詞の中に滑り込むと。琥珀色の街は日本、という捉え方をすれば、“この街はとうに終わりが見えるけど”の一節が真実味を帯びてくる。
 人は結局一人だ、でもひとりじゃない。
そんなことをこのマスターピースは、“上海蟹食べたい あたなと食べたいよ”というたった一言で、緩やかなビートに乗せて表現しきっている。これこそポップ・ミュージックのマジック以外の何物でもない。
 今が、夕暮れ時だろうが、朝焼け前だろうが、これを聴く人の状況がどちらでも気に病むことは無い。その、今のくるりの持つ無敵感は“思い出ひとつじゃやり切れないだろう”という一節に詰め込まれていると思う。
 要は今の自分で立ち向かうしかない。どんな状況であっても、その瞬間を照らし出すような光。そんな途方もない讃美歌が生まれた瞬間が此処にはある。

DISC REVIEW

アノーニ『ホープレスネス』

〜人の絶望を笑うな〜

声が遅れて聞こえてくる。いっこく堂の腹話術「衛星中継」を見ていて、最近世界の全てが色んな意味でズレて来た、そんなことを思う。

私がアノーニというアーティストを初めて知ったのは、同人物の別プロジェクト、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズの『スワンライツ』という作品だった。
当時、ビョークとのコラボも話題になっていた作品で、私が、彼の声の力に向き合った最初の作品となった。しかし、彼は「彼」ではなかったのだ。ただ、この時の私が持っているのは声という情報だけで、もちろん私は彼を男性ボーカルと認識していた。このアーティストがトランスジェンダーだと知る前の事である。

本作は「彼」アントニー名義では無く、「彼女」アノーニ名義で出された最初の作品である。岡村詩野氏のライナーノーツに、アノーニの発言で”牧歌的でシンフォニックでもあったアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ”と記載されている。僕自身、アントニーの作品は、クラッシック音楽的な叙情性が漂う音楽と捉えていて、やはり、圧倒的な声の力を感じるアーティストだった。
アノーニがトランスジェンダーであっても、アーティストとしてどうかということが変わる訳ではない。ただ、このアノーニのデビュー作は、アントニーのそれとは異なる世界観を持っている。音楽的には、プログラミングされたビート・ミュージックを背景にしたもので、エレクトロニクスで、ダブ・ステップ的な特徴も持っている。その分裂的な音楽構造が、結果的に彼女の声の艶やかさと交錯したアイデンティティをより明確化させている。
歌詞の中では、ドローンによる爆破や、気温が4°C上がる事による動物の死、オバマ大統領批判。アメリカン・ドリームへの冷めた視点、そして今のアメリカを含めたアメリカ化した世界への痛烈な拒否が示されている。10才の頃イギリスからアメリカに移住したアノーニ自身の、リアルな皮膚感覚による思いも反映されているのだろう。

ただ日本人である僕には、歌詞を見ない瞬間には、この絶望の言葉より、「ホワイ・ディド・ユー・セパレート・ミー・フロム・ジ・アース?」の様な、ポップな曲の側面だけを感じ、酔いしれることも出来る。
しかし、彼女の声と意味が繋がった瞬間に「ホープレスネス」という音楽が希望的観測の全てを薙ぎ払っていくのだった。

いつも洋楽を聴くたびに思うのだが、日本人にとって、「愛する」と「LOVE」は伝わるまでの時間が違うと。だから、日本人の自分には英語の意味も遅れて伝わるのだと思う。最高も最低も。
だけど、希望は必ず訪れると信じる事も出来るんじゃないかとも思う。最近話題のイギリスのEU脱退問題、脱退に賛成しているのは、年配の方々の方が多く、若者の中では反対が多いという。ここで僕は妄想した。UKの年配の方が知っていて、今の若者が知らないものは、そう、リアルタイムで観れたUK古えの最高のロックなのではないか?

全ての絶望が潰えた先に、希望は遅れてやってくるはずだ。それとほぼ同時期にまた最高のロックは産ぶ声をあげるはず。
じゃあ、未来で会おう。

LIVE REPORT

ART-SCHOOL
Tour 2016
Hello darkness, my dear friend
in 名古屋 ell.FITS ALL    2016.7.3

ー永遠のティーンエイジー

久々のアートスクールだった。彼らを観るのは私にとって2004年以来となる。
長い年月と幾度かのメンバー交代。その時間の刻印が何かを変えてしまうこともある、しかし、木下理樹は彼自身のまま、またステージに立っていた。
ライブはもちろん今回のレコ発公演である。そして、活動休止からの復活の意味も持っている。ただ、木下理樹にとってそのファクターは、重要な意味を持たないと今回強く思った。

歌う理樹は、初めから辛そうで、声も出にくそう。見るからに疲労困憊な雰囲気を醸し出していた。(ギターの戸高賢史は、最近ライブが5連ちゃんだったとMCで明かしていた。)でも、あぁ、アートだ。誰もがそう思ったのではないか。演奏にしても、戸高賢史のギター、中尾憲太郎のベースと藤田勇のドラムという鉄壁のリズム隊がいれば、僕達はその流れに飛び乗るだけなのだ。
彼らのサウンド・ライブラリーにある、オルタナ、グランジシューゲイザーダンス・ロックな音像が今回も彼らのライブを彩っていたことは言うまでもない。そして、今のアートの曲が流れつつも、やはり、要所要所では、過去の彼、戸高が言うように、氷のような木下理樹がいた頃の曲が私たちオーディエンスを揺さぶり続けていった。

今回のライブの中で、何か特筆すべきことがあるかと聞かれれば、探そうとはする、でも正直探したくない。木下理樹は、アートスクールは何も変わっていない。でも、それが今の時代に凄いことではないか?すぐに新しいものを求められる今、あの2000年当時にから、何1つ動いていない、そんなライブの現場がそこにはあった。
つまりは、何も成長していないことを許してくれるホームタウンがそこにはある。それがアートスクールのライブだ。しかし、それを創り出している彼ら自身は、並大抵の努力でそこに立っている訳ではない。という事は今のアクトを観ればわかる。だからアートのライブは、いつも途方もない感情移入を許可してくれるのだ。

正に、やあ、暗闇よこんにちは。友よまた会えたねっていう感じが今でもアートスクールから匂ってくる。
いつまでも変わらないものなど無いに等しい2016年だからこそ、こういうバンドが存続してくれることが、神秘でもあるのだ。
だから、僕はアートスクールというバンドを愛している。それが今日確信に変わった。それはこれからも変わらないだろう。

LIVE REPORT

GRAPEVINE
Tour 2016
in 名古屋ダイヤモンドホール
2016年6月12日

―それから、またバインが始まるために―

 圧巻の一言。というしかないくらいのアクトだった。今回はニュー・アルバム『BABEL ,BABEL』を引っさげてのツアーではあるのだが、それだけに収まらない、これからのバインの表現方法、その序章を見せつけるライブだった。
 これまでも彼らのライブは、アルバムの曲を再現するだけでなく、過去の曲を織り交ぜ進行していくものだったが、今回は、その曲順すらも予定調和ではなかった。この時点で、何かが違うという予兆に気がつくべきだったのだ…

 始まりは、バインの陽極を象徴するロック・ナンバー「TOKAKU」。これをスタートに持ってくる辺りからも、今の彼らの陽気な調子が伝わってくる。(私としては既発曲「公園まで」以降で、一番裏表の無い曲だと思っている) 

    序盤は、ファンキーなノリの「HESO」、エロいPVが話題もなったストレートなロックンロール「EVIL EYE」がbpm140のスピードで、オーディエンスを揺さぶり始める。
    中盤に差し掛かる頃、会場の熱も徐々に上がって行く中、既発曲「REW」「KINGDOM COME」が演奏された。ここでは、彼らのブルースの側面が、西川弘剛のギターを含めたうねり共に異常な緊迫感を持って提示されてくる。それは、バインとしてのサイケデリック・ロックが渦巻く場所へと、誘っていく流れでもあった。
 ライブの丁度真ん中辺り、今作でもっとも清々しい、突き抜け感のある(私は既発曲「FLY」の進化版だと捉えている)「SPF」が照明を抑えたステージで美しいギターのイントロと共に、厳かに奏でられる。その音の向こうに、聴くもの自身が描く景色が見えてしまうような、そんな体験をさせてくれる瞬間であった。
   本来なら太陽燦々、風が吹き抜ける場面が似合う様なこの曲。室内でするなら、色々な照明効果を駆使することもできたはず、でも、バインはやらない。みんなも知っている。彼らの曲は清らかに聴こえるものにこそ、裏がある事を。
 過去の名曲達も演奏される中で、徐々に気がついてきた、(おそらく、そこにいたほとんどの人が)田中のMCが全く無いことに。坦々とロック・バンドとしてのスタンスを継続し続けていたのだ。それが今回は特に、際立っていたと言える。 
 終盤へ向けて放たれたのは、バイン的四つ打ちビート「Golden Dawn」。正直、アルバムの中では、このライブでの化け方は予想出来なかった。バイン自身も僕らが四つ打ちやったらこうなんか感じです。という風だった。でもこれが化けた。おそろしく単純なことほど実は気がつかないということだろうか。今のバインの変化の着火点は”ここ”だったのかも。
     だが、これで終わらせないのがバイン、その流れから、ステージでDJが始まり、ダフト・パンクの「ワン・モア・タイム」をサンプリング。そして、ステージとオーディエンスが一体と化した(一体感とかいいんで、と言っていたバインからこれが生まれるとは)ダンス・ホール的な瞬間が訪れた。そこから生まれたアシッド・ハウス的かつ音響系なるループする音像が、続く既発曲「I must be high」以降のビート感を更に助長させたのだった。
    本編ラストはバインの陰極を象徴する「Heavenly」、バイン十八番の叙情的な雰囲気で締めくくられる。
いつもより登場を焦らしたアンコールは、昔懐かしいバイン懐メロを絡め、しつこく円環する旋律がロック・バンド、グレイプバインを高々の証明した幕切れであった。

    このライブを一言でまとめるなら、バインが奏でるブルースとテクノの狂宴だったと思う。それは、世界の音楽シーンに見られる、ブラック・ミュージックの再考と、日本の音楽シーンに見られるダンス・ビートへの傾倒が、図らずもグレイプバインがずっと描き続けてきたロックなる青写真を、時代の風の吹き方、光のさす角度により、浮き彫りにさせた瞬間でもあったと思う。
    ロックとはいうなれば、白を伝えるために徹底的に黒を表現することなのだ。そして、バインはそのロックをシリアスに、片方ではパロディみたくバカしつつ、でも本気で演じきる。だからおそろしいのだ。

    田中和将のしたり顔が拭えそうにないライブだったので、最後に一言。
次回作が楽しみで仕方がねぇ。バカ。

DISC REVIEW

ART-SCHOOL

『Hello darkness, my dear friend』
 
―アイサレルよりアイシタイ―
 
 時は一方向にしか流れないことは言うまでもないだろう。しかし、科学的には光の速度より早く進めば、時空を越えタイムスリップできる。そうなった場合、過去に戻れる可能性もあるということだ。例えば、30代の私が20代のころの自分に出会えると仮定しよう。そうなった場合に、お互いどのようなことを聞きたいか考えてみると。月並みな受け答えかもしれないが、20代の自分は30代にはどうなっていますかね。と聞くと思うし、30代の自分はこの年はこんなことがあるから気を付けろとか言ってしまいそうだが、最近思う一番したい質問は、20代楽しんでる?ということだ。おそらく20代の私は、分からないと答えると思う。たぶんね。まあ、そういう妄想話は置いといて、結局何か言いたいかというと、20代は誰にとっても最強という説を唱えたいのだ。どういうことかというと、仮に20代がとても不遇だったAくんがいたとしよう、彼は、その後の人生において、20代のことを聞かれると、大変だったけど、あの時があったからこそ、今の自分があるので、20代は大事な時期でしたと答えるだろう。逆に20代がとても充実して、その後の人生がやや下降線をたどっていると思っているBくんの場合、最高だった20代を背に、それでも、本当に大切なものが、今わかった気がしますと答えるだろう。どちらにしても、20代という一つの物差しで、その後の人生を測ることになっていることから考えて、20代はどんな人にとっても最強だといえるのではないか。

 だから、木下理樹にとっても20代が最強なのは間違いない。約1年の活動停止を経て、生み出された『Hello darkness, my dear friend』を聴いても、少なからずそれがわかる。この作品の最後に「NORTH MARINE DRIVE」という17年前に出された、彼名義の曲が現在のART-SCHOOLでリメイクされている。このことからも、この時期の原風景が、いかに重要かが伝わってくるのではないか。その頃の木下理樹が作る悲哀に満ちた曲たち、それらが私の胸にどれだけ刻まれたか分からない。
その曲と今の木下理樹の曲を改めて並べてみると、色々と想像している自分がいる。結果的にはその乖離点をさがしてしまうのは、私がART-SCHOOLの音楽を愛していない、又は愛しているが故、のためだろう。

    どちらにしても、20代前半の彼の曲は、絶望が出発点だった、それを端的に表現するためにギターが奏でるメロディー主体の楽曲が必要だったのかもしれない。儚くも刹那的且つ暴力的でもあるメロとディストーションが、図らずもアートスクールというロックバンドを形作っていたことは確かだ。その彼のバックボーンには、散々語られてきたことかもしれないが、デビュー時に喪った母の存在が色濃く反映されていることも事実だろう。
 彼の20代後半以降は、度重なるバンドメンバーの脱退もあり、作り出すサウンド的にも変化していく。そして今、30代後半を迎えた木下理樹率いる、ART-SCHOOLが生み出す曲は、切なさを醸し出すギターのメロディー主体ではなく、美しさは残しつつも、そのギターが全体のグルーブの一旦を担う存在となり、それ自体がリズムと共に楽曲を包み込む役割を果たしているのだ。だからこそ最近の彼らの曲はやさしさを兼ねそろえていたのだと、改めて思った。

 メジャー・ファースト・アルバム『Requiem For Innocence』は彼の感情の吐露を主体とした表現だった。それは同時に私たちの蒼き絶望の代弁者だったとも言える。そして、バンドを追い続けてきた私たちがたどり着いた今作には、その悲しみ自体を母体にした、ART-SCHOOLという名のモニュメントがそびえ立っていたのだ。

 つきはなす、から、つつみこむへART-SCHOOLの音楽は変わったと言えるのかもしれない。
 ART-SCHOOLのインディーズでのファースト・アルバムにて、ブックレットの最終頁によくあるスペシャル・サンクスに、カート・コバーン中原中也の名が書かれている。これは変だ。まあ定義はないが、ここには実際お世話になった人やファンとかを書くのが通例だろう。そこに彼は、実際には会っていない(もう会えない)尊敬するアーティストを書いていたのだ。つまり、この時、木下理樹は周りの誰をも信じていなかったのだ。
 その彼が、本作の最後の「Supernova」で、“許されるなら/賭けてみたいんだ/今でもまだ/この心臓が/脈をうち/君を焦がすなら/スーパーノヴァ”と歌う。
これは明らかに、妄想や絵空事の中の“信じる”という言葉ではない。ART-SCHOOLが作りだす音楽が、誰も信じない音楽から、誰かを信じるための音楽へシフトした瞬間だろう。

 『Hello darkness, my dear friend』というタイトルからサガン作のフランス文学悲しみよこんにちは』を想起するのは安易だと思う。でもそう思ってしまうだろう?
 「やあ、親愛なる我が友よ、もう絶望を恐れることはないのだよ。」
「なんでだよ!絶望は怖いよ。」
「何言っているだい。今きみはその絶望自体に包まれているんだよ。さあ、おそれることはない。これから、どんな暗闇が訪れようとも、その絶望があなた自身を守ってくれるはずだから。」
 私たちはその丘で友と語り合ったのだ。これらか訪れる絶望について。
その話はまた別の機会に…