DISC REVIEW


KOHH『DIRT』

―LIVE AND LET DIE―
 
    “この街で生きている半数の人は死人だ”      昔観た仏映画のセリフをまた思いだしていた。そう思った理由は、このKOHHの『DIRT』という作品が“生身の自分で生きる”ということを痛烈に提示したものだからだ。
    今の世間一般を見てみると、“誰々みたいになりたいという”思いがそこらじゅうに闊歩しているように感じる。あの有名人みたいになりたい、だから、その人のSNSをフォローして真似て。そして次にそうやっている自分自身をネットにアップして今を表現する。そこには今を重要視する価値観から生まれた行為の、数珠つなぎがあり、いわゆる一個人の個性を生かすという名目のもと増殖していくのだが。結果的にそれは、お一人様というカテゴリーに含まれる行為となるのだ。
    その反対に、人々は昔以上にもっと人との繋がりを求めるようになった。つまりそれは、逆説的に言えば今持っている絆が希薄だと本当は気が付いているからなのだ。そう、そんな絆は簡単に壊れてしまう。YouTUBEで簡単に人の真似をして、簡単に死を選択して、また簡単に人を殺める。挙句の果てに誰かに見られるという前提で見た目を良くするという整形。そして、それを善とする風潮。今私たちが住んでいる社会は、何もかも簡単に出来るがゆえに、一人でできると勘違いして、それでもつながりを求めようとして、間違った方法で自分自身を変えてしまう。まさに私たちは、今という世界の遭難者なのだ。
    この2016年を生きるHIP HOP MC、KOHH。彼はこんな世界で、こんな風にライムする。〈死ぬまで生きれば絶対死にやしない〉この作品に歌詞カードは付いていない、でもそう歌っているのだろう。こんなにも簡単な言葉で、こんなにも難しい内容を突き付けてくるKOHHはおそろしいアーティストだと言っていいと思う。
    本当の生身の自分で生きるということ。これは難しい。でもその一つのガイドが示された作品である。さあ、あなたは生きているか死んでいるかどっち?


あ~、私も生きているんだろうか…

LIVE REPORT


京都音楽博覧会 2016 in梅小路公園によせて

―よあけまえとよまいごと―

 2016年9月18日、京都の天気予報は雷雨だった。私は京都音楽博覧会(以下音博)に向かうため早めに最寄り駅へ。馴染みの駐車場が何気に終了していたというハプニングに見舞われたが、なんとか別の場所に駐車できた。そんな泡食わされ気持ちで歩いていた時、駅の反対側から、バンドTシャツにゴスロリ風のスカートを穿いた、いわゆるバンギャル的な子がチャリで爆走してきた。私は、あぁフェス行くのねと思いながらも、いや音博じゃないよねと思いなおした。何故なら、明らかにその子が好きそうなバンドは、音博には出ていないからだ。その答えは電車に乗っている途中の駅で見つかった。同日滋賀県で行われているイナズマロックフェスのポスターが貼られ、宣伝されていたからだ。
 音博は小雨が降りしきる中、トップバッタはくるり、そして、先日TVで披露された、オリジナル・メンバーでの「東京」からスタートした。演奏の後、Mステでの曲の入りについて、森信行の掛け声がまずかった的な、京都、関西特有のいじりから始まる辺りが、このフェスの雰囲気を象徴していた。

   2番手は、海外からのアーティストTete、風貌に似合わぬ?筋肉質な二の腕を顕わに、パイレーツ・オブ・カリビアンジョニー・デップの様な佇まいでギターをかき鳴らし始めた。安易すぎる発想かもしないが、さすがセネガル人の父とカリブ海マルティニーク出身の母から生まれたというだけあり、演奏と歌い方には生まれ持ったノリというものが感じられた。MCで片言な日本語で、“日本元気?”とか言っていたと思うが、よっぽど会場のノリが悪かったのだろうか笑。楽曲自体は、いわゆるブラック・ミュージックの何だか凄いんだけど、日本人にはよくわかんないという側面が強調されているわけではなく。メロディもはっきりしていて、日本人の感性にフィットするエモーショナルな部分を感じられたし、それがJ-POPに近寄ろうとした結果でなく、本来の自分の音楽を楽しく奏でた結果そうなっているのが心地良いと思った。
    3番手は矢野顕子。雨がずっと降っていた中で、少し雨脚が穏やかになったりした時間が彼女の演奏の時だった。やっぱり大御所?多くを語るまでもなく、ピアノ一つで奏でられるすべてをこの大きな曇り空にたたきつけられるのはこの人のパワーなのだろう。くるりの「ばらの花」のカバーや、彼女の誰でも必ず耳にしたことがある馴染みの曲等が歌われ、岸田繁とのコラボもあった。一番この人やっぱ強いなと思った発言は、音博は今年で10年目だけど、11年目もよろしくとサラッと言ったところだった。(本当は弱いのと言われるかもしれないが)
    少し長い転換時間をへて、3番手に登場したのはMr.Children 雨脚が強くなる中、初っ端からミスチルといえばこの曲という「名もなき詩」「Tomorrow never knows」をぶっこんでくる辺りが、今のミスチル、桜井の気迫はやっぱり尋常じゃない。フェスだからなのだろうが、90年代に彼らが生み出した曲は、やはり、時代、音楽業界、もちろん彼らの才能が寸分の狂いもなくマッチした状態で生まれ、未だにそんじゃそこらのアーティストのポップさなど、ねじ伏せてしまう。ミスチル・ポップ・マジックの底力を見せつけられた気分だった。そこから、ずっと彼らを追ってきた人は特に嬉しい曲を交えながら、時間軸が現在に進んでいき、「足音~Be Strong」など、今のミスチルの現在地もしっかり提示したうえで、次にステージを開け渡した。
    大トリのくるりfeaturing Flip Philipp and Ambassade Orchesterを待つ会場は、本格的な大降りに、夕暮れ時も近づきつつあった。ステージが完全に転換されていく途中、くるり岸田繁佐藤征史が現れた。二人は、まだ舞台の準備が整ってないんですがというフリから話をはじめ、なんとそこに再び桜井和寿が登場。そのとき、退いていった観客が再びステージ前に戻ってくるという(ミスチル人気恐るべし)人気アーティストが出るフェスらしい人のうねりがあった。そして、ミスチルへのお礼を述べつつ、まだあの曲やってないんとちゃいますか的なツッコミから、あのミスチルの名盤『深海』から「シーラカンス」が桜井和寿くるり岸田、佐藤のコラボで披露されたのだ。丁度その時だ、会場は大粒の雨が降り注ぎ完全なる豪雨、雷音も伴った今朝の予報通りの雷雨になった。
    そんなヤバい状態。その景色の中で響きわたる、“シーラカンス”という叫びは、くるりミスチルが魅せつけてくれたロックという名の「深海」だったといっても過言ではない。
    京都音博10回転、2016年の音博は、大トリを前に荒天で途中中止となった。そして、イナズマロックフェスもほぼ同時刻に中止を決めたらしい。
    1998年以降の日本のロックをくるり無しで語ることはもうできないだろう。それより前から日本のポップ・ミュージック・シーンをけん引してきたバンド、Mr.Children。この日、そのくるりミスチルがクロスした瞬間も、何かが変わっていく予兆を孕んだものだったのかもしれない。
    でも、今はまだ見えない。碁盤の目のような街並みで遠くを見通せる筈の京都でも、豪雨の中では、その先が五里霧中のように皆目見当がつかないこともある。
    ただ一つ、この変わりゆく瞬間をリアルタイムで体験出来ていることにワクワクしているし、くるりが居てくれてよかったと思うのだ。それだけははっきりしている。

DISC REVIEW

KOHH『DIRT Ⅱ』

―日本でヒップポップが流行らない理由―

    何を隠そう、私がHIPHOPにのめり込んだのはエミネムを知ってからだ。それ以降もアメリカのヒップホップアーティストに共鳴することは何度かあった。しかしながら日本のラッパーの中で私の琴線の触れるような音楽を作る人物は未だに現れていない。ただ、それは日本のラッパーが米国のラッパーと比較して、スキルが極端に落ちると言いたい訳ではない。日本人ラッパーからしたら、てめぇに聴く才能がねぇんだよと言われるかもしれないが。アメリカと比べたら、音楽を作るためにかける費用が違い過ぎるなどのくだらない理由は隅に置いといて、結局原因は日本、そして日本語であるということに尽きると思う。そもそも日本でヒップホップは流行らないとくだをまきつつ、うだうだとその理由を考えてしまった。
 1つ目は日本語が綺麗な言葉であるということ。だからこそ、美しいメロディに乗ることに長けていて、日本人の感性にフィットする。2つ目はラップの特徴である韻を踏むという観点から、英語に比べて、日本語には、その言葉と音自体に煽動的な部分が欠けているという点。おそらく英語の中にはラップの言葉に合う破裂音の部分が多数あり、そのリリックがビートに乗った瞬間、HIPHOPというムーブメントが生まれるのだ。3つ目は、英語は言葉にした瞬間からラップっぽくなってしまうという特徴があること。オバマ大統領の演説を聞いたらよくわかるのだが、話す内容すべてがラップになっているように聞こえてくる。これが英語のもつビート感なのだろう。4つ目は日本人の旋律を重要視する心。鈴虫の鳴き声を美しいと感じる感性からも裏付けられるように、日本人は綺麗なメロディを愛でる人種であると言える。しかし、ヒップホップはその美メロと必ずしも共存しない音楽でもある。5つ目は日本人が音楽に求めるサビの重要性。歌謡曲やJ-POPにある曲の展開、起承転結がヒップホップには存在しない場合が多い。ある意味では平坦にリズムが繰り返されるという点。6つ目は、これが一番重要な点であるが、ヒップホップが生まれた理由、その原点にあるのは、黒人が不当な差別を受けた思いを訴えるため、その怒りを言葉にしたため、ビートに乗せてライムする。人々が無視できないタブーを提示することこそがヒップホップの根源的テーマなのだ。
 そう、日本にはこれに匹敵するタブーを言葉にするアーティストなどいないし、そもそもこの日本という島国でそのようなテーマを提示する必要などない。逆に言えば、それくらい日本とは平和な国であるとも言える。だから、私は日本のヒップホップアーティストにのめり込むことは無かったのだ。
 さて、そういう堅苦しい話は抜きにして、その海外のヒップホップに共感してきた日本の音楽家たちの中にもラップというものが浸透してきてずいぶん経つと思う。その最も大きな変化点は、やはり1997年にメジャーデビューしたロックにラップをとり入れたミクスチャー・ロック・バンドDragon Ashの台頭だ。このバンドが日本における、ヒップホップ、ラップの市民権を格段に増やしたことは確かだろう。
彼らに続いて、2000年以降の日本の音楽シーンを賑わせた、ヒップホップアーティスト、KICK THE CAN CREWRIP SLYMEケツメイシは、日本のお茶の間にラップ・ミュージックというものを認識させる役目を果たしたと思う。
今あげたアーティストの音楽はどれもポップ・ミュージックとしての正しさを提示している。だけど、私の中ではどうしてもロックとしてのヒップホップ、ポップの中にあるヒップホップとしての側面を見てしまう。翻せば、純なヒップホップとしての区別ができないということだ。つまり、それは日本の中で純なヒップホップは商業的に機能しない、だから広まらないことを表していると思う。
 ーーーそれから年月が経ち今の2010年代、新たに姿を現したヒップホップMCがKOHHである。この人物はまさに純なヒップホップを体現する人物になりえるのかもしれない。今のメジャーなHIPHOPシーンの中で、それに類するのはKOHHのリリックにも登場するキングギドラ、ZEEBLAになるだろうが、彼は、アメリカ直系のハードなヒップホップを体現している人物であるため、その過激な側面がフォーカスされている部分もあり、柔和なポップ・ミュージックの点からは少し距離を置いてしまう。
 KOHH自身も彼に影響を受けたのだろう、リリックの過激さは確かにある。しかしながら、その根底には、KOHH自身の偉そうぶらない(もちろんZEEBLAが偉そうぶっている訳ではないが、こわそうに見える笑)、今の世相的な表現方法で言うなら、自虐的な側面が滲み出ているのが、特色になっている。このハードとソフトのマッチングに新たな可能性を感じるし、アーティストとしてのシリアスな側面とおちゃらけた側面のバランス感覚、リアルな自身の内面の吐露などは、エミネムにもリンクすると思う。
 そしてヒップホップ音楽で重要になってくる、ビートとメロディは、ジャンルレスと言っていいスタンスがみられる。
私が日本のヒップホップアーティストの中で唯一美的感覚を触発されるのはTHE BULE HEABだ。彼らのビート・ミュージックとポエトリーリーディング的ライムの交差は美しさと生々しさの極致だろう。KOHHのヒップホップにもそれに匹敵する艶めかしさがあるといえる。
しかし、それと同時になんだか分からない側面もある。ライムの中で、「俺はラッパーなんかじゃない」と言い、「I Am Not a Rockstar」という曲もある。そして、やりたいのはアートだと歌う。結果的にKOHHっていったい何なのという疑問がふつふつと湧きながら、私はこの作品を聴き終えた。
 そんな疑問符が消えないまま、でも確かなことが一つ分かった。彼は、カッコいい生粋のHIPHOPをこの日本で表現してくれる存在になるかもしれないということ。
人々がタブーと考える領域に踏むこと。そして、今の日本国で体現し難くなった“自由”というキーワードをKOHHは生身のカラダとライムで体現しようとしていることが痛いほど伝わってきて、それがこわい。
でも、そもそも其れこそがアートであり、芸術であることをこの人は理解しているのだろう。

LIVE REPORT

ROCK IN JAPAN FES.
SOUND OF FOREST
中村一義

森の中で、ガヤガヤ。一曲目に「犬と猫」のワンフレーズ目の歌詞”どおぅおぉ?”と、ドラムの音が鳴った瞬間の高揚感。やっぱり中村一義ですよ!って思ってしまった。

中村一義は麦わら帽子に、焼けた顔?でステージに海賊たちと立っていた。海賊ってことで、ルフィーでも彷彿させたかったのかと?思いつつ。

次に、最新作から「スカイライン」、ERAからの「ロックンロール」がギラギラとするロックの円環を見せつけ。続いて、彼らのテーマソング的なものだと銘打ち「大海賊時代」が披露された。正に中村一義的な、はちゃめちゃなロックの狂宴を見せつけられた。

そして「1,2,3」、ワン、ツー、スリー、フォーの指差しと合唱は、オーディエンスが求める中村一義像とそれが完全に一致している証明だった。

最後に、”生きている奴はいるか!”というクエッションと共に。
キラーチューン「キャノンボール」が投下された。”僕は死ぬように生きていたくはない”という轟音が森の中で響き渡っていく。

ロックインジャパンの初年、中村一義の演奏は、台風の影響等で中止になったという逸話を聞いていた。彼もその事を最後にポロっとこぼしていた。

生きていれば、何かは変えられるということ。その1つを中村一義は体現していたのかもしれない。そんな瞬間だった。

LIVE REPORT

ROCK IN JAPAN FES.
PARK STAGE
藤巻亮太

藤巻亮太がソロで「粉雪」を歌った!っていう熱い思いは置いといて。まずは”粉雪”がロックインジャパンの夏空に舞って始まった。

その後の藤巻のMCから、狙ってそうした的な発言があり、それが今の彼であることを物語っていた。ソロになって色々あったけど、今は色んな制約がなくなったという。

正にそんなステージだった。次に、「大切な人」、”まもりたい”という普遍的な言葉にも強いポップな魔法がかかるのは、やはり、藤巻の声の持つ力なのだろう。

続く「南風」は青空の下にどんぴしゃな楽曲。藤巻を見たい人にとってはこの馴染みの曲を聴いて、歌い出したくなるのは必然だろう。

その勢いから「花になれたら」「スタンドバイミー」が続く。

そして、最後は「日日是好日」歌う前、藤巻は、みんなも日々嫌なことも色々あると思う、けど、それを越えて1日々、大切に生きてほしいという風なことをMCし、歌い出した。

日常に背かず、切り取り、それを極上のポップに溶け込ませ、消化する。
藤巻のポップは、此処ひたちなかでも健在だったし、それを可能にしているのが、藤巻の声、その背後に見えるロックであることもよくわかった。

LIVE REPORT

ROCK IN JAPAN FES.
LAKE STAGE
米津玄師

日も暮れた18時40分を過ぎたころ、LAKE STAGEに米津玄師が現れた。

米津は、紺色っぽいダボダボのトップスに、赤のガウチョパンツ的なのを履いていた。シルバーのピアスを両耳に垂れ下げ、大層な前髪で目を隠した彼をそこで見たとき、そうか、これが米津玄師かと僕は思った。

おそらく、彼のディスクを聴いた人にとって、その彼の佇まいと描いていたシルエットがはじめから重なる方は稀なのではないかと感じた。米津の制作スタイルや音楽性からして、ともすれば、堅苦しい、インテリジェンスでシリアスな姿を勝手に思い描いていた僕は軽い肩透かしを食らってしまった。これが、今の彼がロックとして立ち向かう時のファッションなのだろう。

先ずは、3rdアルバムからのリード曲「アンビリーバーズ」が一気にオーディエンスをダンスホール的な現象に持っていく、続く1ndアルバムからアッパーな「ゴーゴー幽霊船」がその勢いに拍車をかけ、その流れでの2ndアルバムから、「メランコリーキッチン」の16ビートのギターカッティングがダンサブルの極致へと持っていく。

次に、ミドルテンポのバラード曲の「Blue Jasmine」「アイネクライネ」が会場をしっとりとした雰囲気にさせた。

その後、米津がMCで、18のときはじめて、観客としてロックインジャパンをみたことを話す。それは楽しいものだったが、音楽家を目指している自分にとっては関係ない場所だと、その時は思っていた。
しかし、今は関係ないと思っていた側の場所に立っている。それが不思議なことでとても嬉しいと言葉した。そして、自分は今まで間違った音楽を作ってきて、色々なことを諦めてきた敗北者だけど、今こんなにも自分の音楽を求めてくれる人がいるのを見ると、間違うのも悪くなかったかなと言いはなった。

その思いを込め、新曲「LOSER」が放たれた。鋭いギターエッジが刻むビートが今までになく、バードな曲だった。しかし、おそらく、彼にとっては最もシリアス。歌詞を全て読み解いた訳ではないが”踊る阿呆に見る阿呆”という部分がキーワードが出てきた時、素直に頷いた。この曲は時代に一石投じる音楽家が必ず通る、分岐点になる曲だと。

ラストは、ハチ時代の曲「パンダヒーロー」米津としてもリメイクした「ドーナツホール」が駆け抜けていき。本編が終わる。

アンコールが鳴り響くなか、恒例のロックインジャパン花火が打ち上げられたあと、再び米津らが登場。
最後の一曲は「ポープランド」が新たなる旅立ちを歌った。
敗北者から音楽シーンを変える存在へ歩を進める彼だからこそ、作ることが許された曲が「LOSER」なのだ。その現在地と出発点「ポープランド」がここ、ひたちなかの夜空で一本の線でつながった。

米津玄師が本当に時代の寵児なったとき。この瞬間を見れなかった人は一生後悔するだろう。ありがちな思いさえよぎる、そんなアクトだった。

DISC REVIEW

UNISON SQUARE GARDEN『Dr.Izzy』

―サイトウさん復活♡ んで、これから?―

 C-C-Bの「Romanticが止まらない」とか、ゲスの極み乙女。の「ロマンスがありあまる」やPENICILLINの「ロマンス」が頭の中でぐるぐる回りだして、なんていうか、この『Dr.Izzy』はそういったロマンスに取り憑かれている作品となっている。言うなれば、ユニゾン・スクエア・ガーデン的ロマン主義を提示した作品なのだ。
 思い返せば、彼らの作品の歌詞は日に日に文字量が増えているような気がする。田淵智也が書く歌詞は、どんどん長くなり、どんどん哲学的になり、今まで以上に世相をチクチク刺し続けている。一歩間違えれば、その構想が、誇大妄想になりかねない。頭でっかちな思想に陥るおそれもある。そのギリギリの線で彼らは踏みとどまってきたと思う。
 それを可能にしてきたのは、彼らの楽曲にある究極のポップネスだろう。どの曲もキャッチーでポップであるということ。ポップのフォーマットの中でロックに暴れまくる哲学がこのバンドの究極の持ち味である。
 そして、その楽曲を外に向けてリリースし続けてきた斎藤宏介の美しき声という武器。喉のポリープ切除を経て、完全復活した後に、今作の全ての歌入れはしたのであろう。彼自身の伸びやかで、透き通った中にも強い芯のあるボイスが、今回の楽曲の勢いと叙情性、それを決定付けているのは確かだろう。
 今作で最も重要な地点は、序盤から中盤に差し掛かるところ、「マイノリティ・リポート」と「マジョリティ・リポート」この2曲だろう。これらの曲の捉え方は、歌詞の内容が大きなファクターをしめてしまうのだが(田淵の歌詞なら当然そうなる)。別の視点からみると、彼らがデビュー当時からこだわってきたこと「ロックは楽しい」というテーマ性を再分析する曲名だと思う。
 つまり、今の日本の中で、ロックというものがマイノリティなのかマジョリティなのかという問いを含んでいると思う。遡れば昔、日本国ではロック音楽というのは少数派を担う音楽であった。しかし、ユニゾンのメンバーを例にすると、1985年生まれぐらいの人になると、もう物心ついた時から、ロックというものが普通にお茶の間に流れていたと思う。つまり、彼らにとってロックの入り口とは、世間に対してアンチテーゼを示す音楽では無かったのかもしれない。世代が変われば、ロックに持つ価値観も変わることは容易に想像がつく。彼らにとってロックとは、J-POPや歌謡曲と区別するまでもなく、音楽シーンの中でそれらと共存している一つの音楽だったのだ。
 だから、「マイノリティ・リポート」は、ロックとJ-POP、歌謡曲がまじり合った楽曲に本来のユニゾンが水を得た魚のように絡む、美しき構図となっている。
 さてと、彼らもある程度の年月をバンドとして歩き続け、三十路を踏み越えた、今。
この「ユニゾンを解剖する」という、かくかくしかじかのテーマが掲げられた。一体何なのか。つまりこれは、マイノリティからマジョリティへ移行していった世間一般のロックの立ち位置を、彼ら自身が自身のバンドを解剖することによって、答えを探っていこうという、ユニゾンにとって初めての転換期なのだ。
 ロックが反逆の音楽では無くなった、そういう区別をする意味が世間的には不要になった今だからこそ、ずっとロックにこだわってきた彼らは、彼ら自身を分析する必要があったのだ。(もう、頭が良いんだから!)
きっと彼らの中には、音楽的にはマジョリティになった?ロックであっても、マイノリティな発想を失うことはしない。という思いがあるのではないか。
 このバンドにとって、バンドを解剖することが、ロックを解剖することになり、それを描き続けることが彼らのロマンなのである。