DISC REVIEW

米津玄師『BOOTLEG

―オッケ〜 J-POP!―

 「こんな日々すら万が一夢幻ならどうしようか。まあそんならそれで大歓迎、こんにちは元の鞘」―――そんな風に毎日考えてみる。そもそもこんな日常で満足していいの?いや、お前は恵まれているからそんなことが言えるんだよ。そうやって二人の自分が言い争っていく。“爱丽丝”において、米津玄師の思いと共に、日本の都市の現状に対しての皮肉が伝えられる中、つぶやいてみる。「こんな日々すら万が一夢幻ならどうしようか。まあそんならそれで大歓迎、こんにちは元の鞘」―――そして、今もそんな状況に疑問を持ちながらも、のうのうと生きている自分自身に向き合いながら、このアルバムを聴く。そして、こんな風に吐き捨てるのだ。「いや、いま世界が終わっても構わないから」―――そう、米津玄師の通算4枚目のオリジナル・アルバムに当たる本作『BOOTLEG』は、一度終わってしまった日本でまともに生きる術と失われた本当の愛を見つけ出す方法を、どこまでも追い求めようとするアルバムだ。そして、それはどこまでも絶望的で、同時に、どこまでも希望に満ち溢れている。10年代末期に後世まで深く刻まれるだろう、海賊版という名の傑作の誕生である。

   『BOOTLEG』を日本語にするなら当然、海賊版ということになるだろうか。よく言われるブートレグはアーティストが公式に発売するそれもある。ただ、殆どは一般人がアーティストの曲を集めて売ったものや、ライブ音源を非公式に入手してそれを売りさばくという所謂本当の海賊版になろう。ならば本作を米津がBOOTLEGと名付けた真意とはどこにあるのか。そこは、この作品を聴いていけばおのずと理解出来ていくのだが。まず面白いと思ったのは、このアルバムをアップル・ミュージックに取り込んだ時に分かる仕掛けだろう。通常、アルバムを取り込んだ場合、ライブラリに同アーティストの既発作品があれば、同じカテゴリーに含まれるのが通常である。しかしこの『BOOTLEG』を入れたあと当然のごとく米津玄師の項目を見に行くと、以前の作品は表示されているのに、本作だけは無い。おかしいなと思い、最近追加したものを見ると確かにある。よくみるとBOOTLEGの下には“V.A.”と表記されていた。Various Artists(様々なアーティスト)という意味だが、つまりこの作品には色々なアーティストが参加していて、その中の一人が米津玄師ですよということになっていた。しかし、確かにコラボ曲はあるにしても、彼自身のオリジナルな作品であることには変わりない。にもかかわらずV.A.としたことからも、この『BOOTLEG』というタイトルに並々ならぬ思いが込められていると思わざるを得ない作品だ。
    前作『Bremen』は米津にとっての新たな旅立ちを意味する作品だった。ボーカロイドを用いた楽曲クリエイター「ハチ」として活動をスタートした彼が再び自身の声で歌うと決意したとき米津玄師というアーティストが生まれた。そして本当の愛を探すために旅立つのだが、それは同時に「ハチ」の死を意味していた。2012年5月1stアルバム『diorama』は米津が全曲のボーカル、ソングライティング、サウンドメイキング、トラックダウン、アートワークを手掛けた作品で、そこにはロックと童謡が同居するような音楽があった。作品タイトルとリンクする様に、宅録におよそ近しい形で作られた米津のジオラマのような音世界は、小さな規模でありながら、とてつもなく大きな愛を叫ぶ渇望が存在していた。言うなれば、それは「若者」らしい全盲的な愛を求めた出発点だった。2014年4月、2ndアルバム『YANKEE』はメジャーレーベルのユニバーサルシグマからリリースされた。ここから、外部のミュージシャンが演奏やアレンジに参加し、音楽として生のテクスチャが加わり始める。結果として、米津の作る音の「異常なポップネス」と世の中への「穿った視点」を持つ歌詞が強調されることとなった。この都市の中で本当の愛を探し求めるような粗々しくも美しい表現は、いい意味で米津の「バカ者」さ加減を象徴するものであった。2015年10月にリリースされた3rdアルバム『Bremen』は先述の通り、タイトルとも重なるように「愛のある場所」を探すための「旅立ち」を象徴する作品となった。米津がライブで発言していたように「間違った音楽」を作っていた頃の彼は、音楽シーンでの部外者だったのかもしれない。そして今度は、自身がいるオルタナティブ・ロックという安住の地から離れ、「よそ者」になる決意をした瞬間だったと言える。
   前作『Bremen』のオープニング・ナンバー"アンビリーバーズ“と同様、ダンサブルな楽曲"飛燕"で開ける、全14曲。全編を通して過去の優秀なJ-POPの引用と編集により形作られたサウンドとなっている。つまり、今作で米津が意を決して飛び込んだ世界は、J-POPという荒地の、ど真ん中と言えるだろう。奇しくもJ-POP誕生から30年を迎えようとする節目に、彼はその荒廃した高層ビルや朽ち果てた宮殿然となった現在の日本の音楽シーンに足を踏みいれようとしているのだ。この時点でいわゆる"オルタナティブ・ロック"というシェルターは売り払って、今ここに立っているのであろう。
 言うなれば本作は、元ネト民の米津がJ-POPという日本の音楽シーンのレガシーをインターネットという大層高級なフィルターを通し、そこから流れてきたものを再構築したというプロダクションになっている。だいぶ前から言われている日本の産業の空洞化と日本の音楽のガラパゴス化を横目で追いながらも、世界のポップ・ミュージックの歴史から切り離されつつあるJ-POPとJ- ROCKの、ど真ん中に敢えて飛び込んだ。その結果、米津には新たなシュノーケリングの旅が待っていたのだ。彼が選んだ深海だからこそ生まれた多様なコラボレーションもあった。M4“砂の惑星”での敢えて(+初音ミク)との表記を入れたコラボからは、米津玄師の立ち位置が明確に分かる。M9“fogbound”ではファッション・モデルの池田エライザがコーラスで参加。そしてM14“灰色と青”では若手俳優菅田将暉との共演を果たしている。オルタナティブ・ロックのアーティストとして、J-POPの中では自身が「よそ者」であることを認識しているからこそ、マジョリティを代表するDTMキャラクター、モデル、俳優と共演することが米津にとってのニヒリズムを象徴しているのだ。
 そして、今作全体を貫いているテーマを解く鍵は、M7“Moonlight”にある。R&Bで、特にダークでシリアスな展開を持つこの曲は、日本のアーティストで表すなら、UA的な印象の強い曲と言える。反復される歌詞「本物なんて一つもない でも心地いい」は彼の既発曲“再上映”にも共通している。ボカロ・アーティストだったころの自分をニセモノとい言い切った上で、本物を求めた彼が立った本当の世界。現時点ではそれがJ-POPの世界ということになるが、そこでも同じように本物は無かった。つまりすべては何らかの真似だったのだ。それはもちろん自分自身も何らかの真似であることを再認識することでもあった。しかし、その状況ですら、彼は心地いいと歌う。なぜなら自分自身が常にアウトサイダーであったから、その状態も問題ないという逆説的な批評性が込められていると感じた。ブックレット内にある本曲の歌詞の横に、後ろ姿の人物がバックから光を当てられて、その影が幕に映されている挿絵がある。“Moonlight”とリンクするその絵は、月の光に照らされた影の様に、自分たちの音楽は、何がしかの模倣でしかない。だからこそ最後の「鳴り止まないカーテンコール そこにあなたはいない/鳴り止まないカーテンコール そこにわたしはいない」という部分には、ネット上の自身を称賛するリスナーの声もニセモノであるなら、そこに立っている米津玄師も本当はニセモノなんだよというメッセージでもあるのだろう。
 これまでの米津玄師には「本当の愛は何処にあるのだ!」という思いが溢れ出していた。辺り構わず手当たり次第に求める愛への渇望。完全に愛が失われて、売り物になってしまった現在の都市社会に対しての怒り。そして、「ぼくも同じだ」というすべてのブルーにこんがらがった同胞者たちへの共感性が存在していた。しかし、それは前作で一つの区切りを示した。「本当の愛」が無いと嘆いていた米津自身が遂に「ならば、本当の愛のある場所を探してやろうじゃないか!」と重い腰を上げた瞬間だった。本物の愛が失われた世界で本当の愛を見つけるためにはどうすればいいのか。方法は一つしかない。ニセモノの愛で溢れた世界の、ど真ん中に飛び込むことだ。言うなれば、“虎穴に入らずんば虎子を得ず”に近しいだろう。結果的にそれは、オルタナティブ・ロック・アーティストの米津玄師がJ-POPという世界に入り込んだ瞬間でもあった。
 では、ざっと全体を見ておこう。M1“飛燕”はエレクトロニカでダンサブルな楽曲だが、前作の始まりがオーガニックで原始的なテクノ・サウンドを感じさせるものだったのに対して、今回はアーバンな匂いのするもので、TM NETWORKの電子サウンドを彷彿させる。M2“LOSER”は米津玄師の踊るPVが印象的なダンス・チューン。R&Bなビート感で、デビュー当時の宇多田ヒカルをイメージしてしまう。M3“ピースサイン”は日本のオルタナティブ・ロックの父ともいうべきアジカン的な楽曲。日本の00年代を象徴するギターロックと言える。M4“砂の惑星”は初音ミクとのコラボで米津の得意分野ともいうべき楽曲。よりコミカルさを増したサウンドメイキングとヒップホップ的な曲展開はJ-POP内でヒップホップを浸透させたともいうべきRIP SLYMEな色彩を見ることができる。M5“orion”はJ Soul Brothersに匹敵するように、米津の歌の艶やかさが光る楽曲。M6”かいじゅうのマーチ“は王道のポップソング。その王道感は米米CLUBを思い起こさせる。歌唱や旋律からはミスチルの桜井や DEENなど90年代の優秀なポップ・ロックの特徴が見られるが、やはり「レディオヘッド以降」の日本のロックといえるサウンドに仕上がっている。M7”Moonlight“を挟み、正に春真っ盛りで花吹雪が見えるようなポップな楽曲M8”春雷“、00年代の日本のヒップホップシーンで限りなくJ-POPらしいケツメイシのように、メロディアスな嵐が吹く曲。M9”fogbound“は、ダブ・ステップが移りゆく海の風景を写し出すような表現を見せる。その景色はフィッシュマンズの死と隣り合わせなシリアスさに近いだろうか。そこに純音楽界出身でない池田エライザのコーラスをフィーチャーリングしたことで、コンテンポラリーな仕上りになっている。M10"ナンバーナイン" 10年代のEDMを象徴するような楽曲から見えるのは弾けるような海辺の景色。J-POP界でいうなら、00年代の歌姫、浜崎あゆみを想像せずにはいられない展開を持つ曲。後々、本曲で歌われる歌詞は、"Moonlight"と“爱丽丝”の歌詞にリンクしていることに気がついていく…
そして、ここからラストまで怒涛の曲展開が見られる。M11"爱丽丝"はJ- ROCK界、オルタナの申し子と言うべき、RADWIMPS並にバウンズ感が疾走する楽曲だが、マーガレット廣井のベースの毒々しさが歌詞のテーマにはマッチしている。M12“Nighthawks”はバンプ以降の日本のロックの文学性を経た上で、4つ打ちビートに展開した楽曲。タイトルはジャケットのデザインや、“LOSER”のPVの被り物からして、今の米津自身を表すことのようだ。続くM13"打上花火"は若手女性シンガーDAOKOに提供した楽曲のセルフカバー。ニュー・ミュージックというより松任谷由実の様な、日本的な色彩が感じられるメロディに現代的なビートが乗った楽曲。最後を飾るM14"灰色と青"は若手俳優菅田将暉とのコラボ曲。日本の80年代の懐かしの風景が広がるフォークソングの旋律から、サビで一気に強く昇天した瞬間は、情熱と繊細さを兼ねそろえていた90年代のB’z稲葉浩志並みに力強いものに感じられた。過去から現在へタイムスリップさせてくれる楽曲となっている。
 “Moonlight”で「本物なんて一つもない でも心地いい」と歌われる。今のポップ・ミュージックは、過去の音楽を真似ることから逃げる事は出来ない。オリジナルな音楽を作ることを目指したであろう、米津玄師はそこに戸惑っていたのかもしれない。それは音楽に限ったことではなく。今、つくられているすべてのモノは過去の何かを真似ている。だから、僕達は過去の遺産を引き継いで何かを作りだしているだけなのか、と時々空虚な気持ちにもなるのだ。米津もそんな思いをもっていたのかもしれない。でも、この歌詞ですべては吹っ切れたかのようだ。
    この『BOOTLEG』の清々しさが全てを物語っている。そして彼の立っている地点を証明しているのだ。そんな米津自身がとても高い地点に辿り着いたことを証明するかのように“爱丽丝”の「こんな日々すら万が一 夢幻ならどうしようか/まあそんならそれで大歓迎 こんにちは元の鞘」という歌詞が存在している。ボカロ民から遂に「青い顔のスーパースター」になった。そのことは彼も認識している。しかし、この事実が夢幻だったとしても、彼は元の鞘、例えばボカロ民に戻ったって構わないと言いたいのかもしれない。それは、今の日本に通ずることでもある。3.11ですべての幻想が崩れ去った日本。僕達は本当に元の鞘に収まることへの覚悟が出来ているのだろうか。そして、この事実は“ナンバーナイン”の「何千と言葉選んだ末に 何万と立った墓標の上に/僕らは歩んでいくんだきっと 笑わないでね」の歌詞に連なっていく。僕達が選んだ言葉も、選んだ行動も、選んだモノもすべて昔誰かが使用済のアクションなのかもしない。でも、その選んだ先人はもう天に召され、墓標の下に眠っている。だから僕達は、その上を進んでいくしかない。猿真似と言われようが、ニセモノと罵られようが、オリジナルをつくりだすために。同様に戦後の日本は高度成長し、今の平和に辿り着いた。すべての恩恵を受けて、僕達はこの場所に立っている。だから、その先を描くしかないのだ。この「ナンバーナイン」が昔の米津玄師を表す「ハチ」の次の番号だと言いたくなるのはいけないことかい?
 もう一度つぶやいてみる。「こんな日々すら万が一夢幻ならどうしようか。まあそんならそれで大歓迎、こんにちは元の鞘」3.11以前の僕らの世界はニセモノだったか?いや少なくとも本物だろう。あれから、戻ることもできず、進むことも満足にできない僕達の世界。
「爱丽丝」の、もうこの世界は終わっているんだから、明日のことは考えずに踊ろうぜという“絶望”からの開き直りは、僕達に安心感を与え、じゃー失敗してもいいよね?という逆説的な“希望”に繋がってもいく。反対に「ナンバーナイン」の過去の栄光が失われた町で、それでも、この広大な土壌の下に埋まっている芳醇な英知を借りて、パクリながらも、僕達は生きていけるんだよね。というある種の“希望”は、この壊れた世界でやはり生き延びなくてはいけないという“絶望”でもあるのだ。
 いずれにせよ、世界はつづく。僕達は進まなくてはならないのだろう。なにぶん愛が足りない。だから、米津玄師はそれを探す旅に出た。『diorama』は“若者”らしい貪欲なまでに愛を求める叫びだった。『YANKEE』は“ばか者”に見えるほどの、愛が失われた都市への怒りだった。『Bremen』は“よそ者”になっても構わないという覚悟の上に、愛を探す未知なる世界への旅立ちだった。そして、『BOOTLEG』では、米津玄師が過去の遺産で溢れかえる荒廃した未来都市で、偽物という名の本当のアイを見つけたところまで描かれ、一先ず物語は終わる。

    もう一度つぶやいてみる。「こんな日々すら万が一夢幻ならどうしようか。まあそんならそれで大歓迎、こんにちは元の鞘」「毎日休まずに会社に行くのが正しい、毎日休まず学校に行くのが正しい、LINEで四六時中トモダチとトークするのが正しい、LGBTの人を全然理解できるのが正しい、農業に精を出す若者は正しい、地方都市を復活させることが正しい、もう一度高度成長期のような日本に戻すことが正しい、働き方改革は正しい、差別はしないのが正しい、日本の産業を復活させることが正しい」いや。正しくない。絶対的に正しい訳じゃない。僕達はこんな偽りの正しさの中で生きていたくはない。僕達は絶望的な世界を尻目に、虚無の現実の真只中を、こんがらがった気持ちをSNSに吐きだす術しかないまま、無表情に生きるしかないのか。「こわくはないの?」と聞かれれば「こわいって何?と答えるだろう」だって、我々の傍には「一つの嘘と一つの本当」を見破った米津玄師がいる。偽りの本当を信じていた方々にはいずれ時が来れば、こう言ってやればいい。「あんたが本物だと思っている俺はニセモノだよ」とね。

DISC REVIEW

CRUNCH『てんきあめ』

―take care.ー

    “はやりやまいはやはりやばい”
    とある駅舎で、綿矢りさの『蹴りたい背中』がすごいと友達が勧めてきた。この冒頭の一文が韻を踏んでいるところ。まずそこが凄いと熱弁してきた。当時は00年代初頭、海外ではロックにヒップホップが取り入れられたり、日本でもお茶の間にヒップホップ・アーティストが進出してきたり、韻を踏むという行為が巷でも流行り出したころだった。
 当時その一文の何がすごいのか分からなかったのと、はやりものには手を出さない意固地さがあった私は「ふーん、そうなんや。」程度の受け答えをしていた。それから約10年後に著者が同世代だと知り、彼女の作品を読んで良さを認識することになるとは、当時の私には知る由も無かった。
 ―――2014年にCRUNCHのファースト・ミニ・アルバム『ふとした日常のこと』について書いた時、このバンドはもうガールズ・バンドではないと言った。そのとき確かにそう思ったのだが、ガールもボーイもないという世相が影響していなかったと言えばウソになるだろう。そのあとBUMP OF CHICKENの『Butterflies』について書いた時は、変化球的な視点でLGBTを引き合いに出した。その時も世論が軒並みLGBTについて明言し始めたころ。はやりに乗ってしまったのだ。昔話になるが私のリアルな体験として、男女平等宣言の最たるものは小学校時代に起こったこと。時期は曖昧だが、ある時から男女で出席番号が混合になり、体操服は男子が青で女子が赤だったものが、共通で水色になった。当時は気にもしなかったし意識もしてなかったが、それくらいから男女平等という波が学校生活にも浸透し始めていた、90年代中期の話である。
 CRUNCHの話に戻り、2014年から約3年後の今年、ファースト・アルバム『てんきあめ』が生まれた。『ふとした日常のこと』をオルタナティブ・ロックと形容するが適しているのであれば、今作はポスト・パンク、ドリーム・ポップと表すのが良いかもしれない。高音のボーカルとシンセサイザーがその傾向を強めている。そこにドラム・パッドも取り入れられた結果、レディオ・ヘッドの『KID A』時代へのオマージュも感じられる。
 しかしもっと重要なのは、そういった音楽的な変化もさることながら、スリー・ピースというバンド形態が織り成すアンサンブルから、より音数が少ないプロダクトにシフトした結果。いうなれば今まで埋没していた、歌詞の持つ荘厳さが浮き彫りになったことではないだろうか。
 歌詞の中で、端々に引っかかるような言葉がちりばめられている。二つの意味がシンメトリーの様に存在しているかと思えば、時に対称となる言葉を示さずに孤立していたり、それらは、お互いの矛盾点を明滅させているかのように響いてくるのだ。

    順を追って紹介すると、まず「Simple Mind」の“でも会えなくなるの 少し凄く寂しくて”ここでは、少し寂しいという感情と凄く寂しいという感情が相反している。「Blue」の“私の望む未来も きっと 君が望まない未来も”で、二つの望む未来が対立し、“寂しいくらいに自由さ”と“誰かが居る不自由さを 今は懐かしく思うよ”の歌詞で、自由そのものの再定義をしている。「通り雨」では“早すぎた昨日と 遅すぎる今日の 行ったり来たりを 繰り返して”と、真逆の時間を対比させる。「Holiday」では、“二人で いつか来た道 行くなら今日はふさわしい日と思うの”という、一度二人で来た過去と、もう一度そこに行く現在。この過去と現在には、違った二つの感情が交差しているようだ。
 そして「人魚と海」では、ここにいる意味と正しさに疑問を持つ感情を、魚として海で生きるのが正しいのか、人間として陸で生きるのが正しいのか悩む人魚に喩えて、気持ちの揺らぎを描いている。
   「ウタカタ」は『ふとした日常のこと』にも収録されているが、今回はドラム・パッドが導入され、打ち込み系のサンプリング音源の様にツイン・ボーカルがより独立して歌唱した構成になっている。この歌詞でも、“あと少し 何もかも 思い出せそうで”と“何もかも忘れていない 私が居る不思議”で、忘れている自分と忘れていない自分が対比されている。
  「Sunny」では、シンセの点滅音のようなメロディが時としてSOSのモールス信号に聞こえてこなくもない。切なさを孕んだ旋律と共に“まだ誰のものでもなかった まだ誰でもなかった”と歌われる。ここでは相反する歌詞は存在せず孤立している。しかしその先には、誰かのものになり、何者かになっている未来を予兆しているのだろう。「君からの合図」では、“的外れな愛情 見当違いの方向/見ているようで見てなくて 知っているようで知らない”と、愛情が正しく注がれていたとして、その対極にあるものが、的外れな愛情になる。相反する言葉が乱立し、正しい愛情を求めてさまよい続けるかのように響く。   

    ラストの「Eternal」では“永遠と瞬間の夢の途中”と究極的な対極が歌われて幕を閉じる。これほどまでに対極の言葉が示され、矛盾点をミッシングリンクの様に紡いでいった結果、美しいメロディの中にも常に緊張したシリアスさを内在した楽曲群になっていると感じた。

    ふとアルバムを閉じて、ジャケットをもう一度見てみる。赤い花と、茶色い茎と葉っぱが輪郭をつくり出し、まるでハートマークの様にシンメトリーになっている。でもよくよく見てみると花々自体は左右対称ではなく、もっと自然的な概念で咲き誇っていた。
 結局、対極の言葉、その二つが矛盾していようとも、実は私たちがいつも体験していることなのだ。所謂ふとした日常のことである。そんなフッとこわくなる言葉がポップな音に包まれていたのだろう。
 三度ジャケットの絵を観察しているとどうしてもシンメトリーだと思いたくなっていた。背反する言葉は実は左右対称を形作るものなのかもしれない。嘘とほんと、光と影、生と死、それらはいずれも、お互いが相反する真実でもあるのだ。
 そうこうしているうちに、この絵に引き込まれて行って何かしらのひっかかりが解けた。これはどうやら、ロールシャッハテストの絵なのでは無いのか。この花の絵と「てんきあめ」は私たちを診察しようとしていたのかもしれない。そして、それは殆ど成功した。
 今は、晴天でも雨でもどちらでもいい。
とりあえず、私はそうとう病んでいるみたいで、内側にどんな障害があるかはわからない。ただ一つ言えることは、少なくとも皆さま"はやりやまい"には気を付けなはれや。

DISC REVIEW

GRAPEVINE『ROADSIDE PROPHET』

グレイプバインという名の進化論―

    不確かな記憶だが、田中和将はフランス映画とか渋谷系が苦手だったそうな...。私はそれに対してツッコミたい。グレイプバインほどフランスっぽい日本のバンドはいやへんし、渋谷系以上に渋谷系やわ!と。
 カッコよさだけをとるなら彼らの右に出るものはいないと思う。そこは20年経っても変わらない。また、バインほど海外のバンドたちに近づこうとした日本のロックアーティストはいないだろうし、ここまで近づけたバンドもいない。
 デビューから20年たった今。海外のロックのクオリティーやスキルに追いつこうとしていた彼らが結果的に辿り着いた場所は、幸か不幸か、最も日本国的な地点だったのではないか。
 最も海外的であるという一つの例で、私は映画監督の伊丹十三を引き合いに出したい。伊丹十三監督作品の「お葬式」を観ればわかるのだが、完全に日本的な葬式が描かれているにも関わらず、随所に見られるのが海外映画的なカットなのである。最も日本的な風景を描き切った中で、やっぱり制作者自身の嗜好が明らかになる、そういった一例になるのではないか。
 このグレイプバイン 20周年に生み落とされた『ROADSIDE PROPHET』は、彼らが洋楽的であることを追求していった結果、遂に隠しきれなくなった日本人としてのアイデンティティーが明らかになったもの。そして、遂にそれに向き合おうとしていく、田中和将のパーソナルな視点が新たに更新された作品である。

   日本芸術“能”などにある型の進化に、“守破離”という過程がある。守は古典的な型を守りそれを表現していくこと。破はその古典的な型を破り、新たなものを作りだそうとする行為。そして離は古典から自身のオリジナリティーなものを生み出した後、型から徐々に離れ、そこから自由自在になっていくこと。
 また、ニーチェの哲学にもこれと同じようなものがあり、人間の進化の過程を表現したもので、駱駝・獅子・子供の3つである。最初、人は先人の知恵や方法論を駱駝の様に背中に背負って進む。あるとき今まで踏襲してきた方法論の殻を壊す獅子の如く、新たな価値観を作りだそうとする。そして最終的にそのすべてを悟り子供のような心に戻った時、全く新しいものを創造できるというのだ。

   この二つの進化は、芸術作品の変化にも同じように見受けられることがある。無論、バインも然りである。彼らのデビュー・ミニアルバム1997年の『覚醒』から、ファースト・アルバム『退屈の花』、特にプロデューサー根岸孝旨を迎えたセカンド・アルバム『Lifetime』から同氏が参加した最後の作品『another sky』迄が、能でいう“守”、ニーチェの哲学でいう“駱駝”だ。名プロデューサーの元で、洋楽の古典的なロック、ポップを踏襲しつつも、GRAPEVINEというバンドの色を確立していった時期だったと思う。
 彼らが俗に言う“根岸塾”を卒業した後、セルフ・プロデュース作6枚目のアルバム『イデアの水槽』と、翌年のミニアルバム『Everymen, everywhere』が分岐点となり、続く7枚目の『déraciné』以降が、能での“破”、ニーチェの哲学でいう“獅子”に当たるだろう。7枚目で数曲プロデュースを手掛けた長田進を、8枚目『From a smalltown』以降、アルバムのトータル・プロデューサーに迎えた。そこから9枚目『Sing』と10枚目『TWANGS』が、バイン史上最も洋楽的な部分に向き合った時期だと言えるだろうし、冒険していた時期でもある。歌詞の部分では田中が英語で歌う部分が顕著にみられたり、音楽的には、いわゆる音響系を取り入れたり。同時期の洋楽にビビットに反応した結果、バインとしてのサイケデリック感が徐々に確立されていった時期だったと思う。この時生じたバンドの変革によって、バインは新たな破壊性を手に入れたのではないか。
 11枚目のアルバム『真昼のストレンジランド』を最後に長田進の元を離れた彼らは、ミニアルバム『MISOGI EP』、そして12枚目、久々のセルフ・プロデュース作『愚かな者の語ること』を経て、2014年にデビュー以降在籍していたレーベルを移籍した。
 移籍後初のアルバム、通算13枚目の『Burning tree』は過去最高に内省的な作品だったの思う。そして、14枚目の『BABEL,BABEL』でロックと日本語歌詞のマッチングの問題に対して、新たなバイン言語を作りだした彼らは、15枚目になる『ROADSIDE PROPHET』に辿りつくのだ。この作品が、能でいう“離”、ニーチェの哲学でいう“子供”への、いうなれば狼煙になっている予感が沸々と湧いてきている。

                                           §

    本作のポイントとなる部分は3つある。
まず一つ目は過去の作品があったからこそ故、そこからの延長線上の進化が発見できる曲があること。例えば、前作での楽曲「Golden down」にて日本で熱を帯びていた4つ打ちビートを取り入れたが、それを経たことで今回の「Shame」が生まれたと思う。エレクトロニカを背景に、そこにファンクなベースとアフリカ系のパーカッションを取り入れたソウルフルな楽曲に仕上がっている。
 また『Sing』や『TWANGS』にて、エレクトリック・ギター以上にアコースティック・ギターと田中自身の歌を追求した結果、その進化系として、シンフォニックな装飾でウェストコースト・ロックをベースにした「これは水です」が生まれたと思う。
   二つ目は、日本のロックバンドでブルースを奏でる意味という、抗えない血との向き合い方について、新たに生まれた答えだろう。
 あの「ナポリを見て死ね」の歌詞“えせブルースにしてうたう”という歌詞に込められたものはバイン史上一番心に残る皮肉だと私は思っていた。それについて17年たった今の、ありがちな言葉を使うならアンサーソングと言えるだろう、それを歌ったのが「楽園で遅い朝食」だと言える。この曲ではサイケデリックでブルースな楽曲を真正面から奏で、それに恥じない直球の歌詞が乗った、田中のパッションが垣間見えるものとなっている。
 三つ目は、田中の私的な内面を捉えた曲の新たな更新についてだ。バインの楽曲でも、なかなか田中の本心や心境の吐露と言えるものに踏み込んだ曲は少ないと思う。彼自身がそういった面では恥ずかしがり屋なのかもしれない。その中でも、既発曲で自分自身に踏み込んだと言われているのが「少年」である。あるインタビューで田中自身がこれはすごく僕だと言っていたこともあるし、田中の少年時代の思いを徐々に歌詞にし、歌い始めたのがこの頃からだと思う。その次の更新が「smalltown, superhero」、自身の思いが周りの風景と交差して描かれた歌詞になっていた。今作で、それをまた更新したのが「Chain」だろう。自分自身の思い含めた、そういった感情を“エコー”と表現し、身近な人たちへの思いと伝わってほしかった感情が少しずつだが明らかになってきた。そういった歌詞をオーソドックスなフォーク・ロック・スタイルで歌いきっている。

   “土から離れては生きられない”『天空の城ラピュタ』の名場面のセリフだが、それと同じように、どれだけ母国から離れても、血の流れを断つことは出来ないのではないかと思う。本物に近づけば近づくほど偽物になる。そんな地点が存在し得るのではないか。逆に言えば、洋楽のバンドに近づけている段階では、まだまだ遠い場所にいるのだと思う。
 私たちは母国である日本の本当の良さを理解することは難しいだろう。だから、ドナルド・キーンの方が日本の良さを理解出来ていたりする。日本から少し離れてみると日本の良さを再認識出来たりすることもある。
 ずいぶん日本から遠いところに来たものだ。グレイプバインもずいぶん海外バンドに近いところにきたものだ。彼らは遂にゼロ地点に辿り着こうとしているのではないか。海外バンドに近づこうとして、実際に近づけたものしか見ることのできない風景を見ている。探していた洋楽バンドに肩を並べたとき、グレイプバインから滲み出しつつある日本的な色彩、それこそが本当のロックバンドの証なのかもしれない。あれから物凄く遠い処までやってきて、ようやく気づいたのかもしれない。本当に必要なものは近くにあったことを…

 ―――ずいぶん前になるが、道端の預言者に“I Heard It Through The Grapevine”という言葉を言い渡されたことがある気がする。人は誰でも訳の分からない噂に苦しめられるようだ。でも、今更だがこの歌詞を見て理解した。
 “君や家族を/傍にいる彼等を/あの夏を そういう街を/愛せる事に今更気付いて”
《here》
 結局真実はいつもここにあるのだろう。

LIVE REPORT

GRAPEVINE TOUR 2017
2017.10.15
in Live House浜松窓枠

―ROADSIDE PROPHETの行く末―

    2017年のツアーを終えたときグレイプバインがどんな変化を遂げているかは分からない。だが、ツアー序盤のLive House 浜松窓枠公演を見て、20周年のその次を見据えたバインなりの答えが示されているような、そんなライブだと思った。

   定刻を数分過ぎて、亀井亨を先頭にメンバーがステージに姿を見せた。田中和将はニヤニヤと楽しげなしたり顔で現れる。最近定番の彼が登場する雰囲気。おそらく、バンドが好調な時ほど彼はこんな感じで観客を見てくるのだ。
    まずは「 The milk(of human kindness)」からスタート。アルバム後半曲を1曲目に持ってくるのはロックバンドではよくあるが、バインとしては珍しい始まりだった。その後もアルバムを逆に再現するかのように進みながら、彼らお馴染み、新旧の楽曲を織り交ぜながら進んでいく。特に地方公演ならではなのか、今のバンドのモードなのか、旧となればとことん昔、1stアルバムの曲「カーブ」がいきなり挿入されたりする、いつも以上に自由な選曲になっていたと思う。

    今年5月に観た、ユニゾン・スクエア・ガーデンとの対バンでのバインは、音響系とサイケデリックな音像の応酬だった。そこには確実にバンド全体として好調だといえるような、そういうときにしか出せないような、異常なノリがバンドの演奏には渦巻いていた。ニュー・アルバム発売を経て、それを表現する今回も、そんな状況が継続されているのかもしれないと思ってはいた。
    浜松窓枠では、そういうモードを保ちつつも、もう少し音楽としてラフな佇まいを持った表現だった。結果的にそれは今回のアルバムを表すのに彼らが選んだ適切な描写だったのかもしれない。何故なら今作は、いつも以上にブラック・ミュージックやソウル色が強調されているため、スタンダードな伝え方が必要となったのだ。

    今回特徴的だったのは、バインのブルースへの想いを再提示する演奏が多かったことだ。彼らの3rdアルバムでの重要曲、「ナポリを見て死ね」を演奏したのだが、やっぱりこのバイン的ブルース・ロックの炸裂具合は凄まじかった。私としては、今作でこの曲のアンサーソングとも言うべき「楽園で遅い朝食」との関係性を確かめたかったのだが。
    他にも、ことさらブルースを意識した選曲が目立っていた。もちろん「覚醒」とかも、よりブルースらしさが増しているようだった。
    いつもと違う部分としては、よもや当然と思われていた、ディープな曲を数珠繋ぎに聴かせる部分がそれほどシリアスにならなかったことと。前述した音響系に特化していく部分に深入りし過ぎなかったことぐらいだろうか。
    また、前回ツアーでは「Golden Down」で通常の小節から変化して途中でダフト・パンクをサンプリングしてくる展開を見せてくれた。その続編として、今回は「Shame」で、“キング・オブ・ポップマイケル・ジャクソンの「Beat it」をサンプリングしてくるという、バインらしいニヒルな展開を見せつけた。

    私自身が、今作で最もライブでの表現を期待していた曲は「楽園で遅い朝食」と「Chain」である。前者はバインがバンドとして、ブルースへの回答をしたためた曲。後者は田中が描いたパーソナルな情景の経過を指し示すものだ。今回この2つの演奏を見て、まだまだ伸び代のある曲だと思えた。「Chain」は田中の気恥ずかしさも若干含まれていたのかもしれない。これからのツアーで徐々に練りに練られていくのではないだろうか。
    本編エピローグは、やはりアルバムの1曲目の「Arma」に戻ってきた。当然ながら、この曲がバインのロックなモードとその先への思い、どちらにも最適化された楽曲と言えるだろう。
    もう一つ最後に気がついたことが、本編ラスト前に演奏された「その未来」とアンコール最後が「GRAVEYARD」で締められたこと。ことの外『déraciné』とリンクしていた部分だ。「その未来」などは、今さらだがバインとしてのロックが解放されたような生き生きとした演奏だったと思う。裏を返せば、バインが長田進プロデュース期に突き詰めたロックの持つサイケデリック感やウェストコースト・ロック直系のアコースティックな表現力。それ以降から今に至るまでのブラック・ミュージックへ貪欲に食指を伸ばし続けた時期。その入口段階で、“バイン・ロック”は一つの完成を見せていたのだと思う。それを再認識することが出来た。ブラック・ミュージック色の強いものが続けば続くほど、バインのロックというものがことさら恋しくなってしまうのかもしれない。
    「Arma」を最初聴いた時に感じた、いつになく陽性な旋律。それは、あの「放浪フリーク」に匹敵するかのごとくだった。だから今日のアクトを観て、あの時期とのリンクがより確かなものであることを強く実感出来た。その時よりも音楽的な多様性を得て、バインはまたそこに巡り合わせたのだ。

    彼らのライブは、いつも程よく既発曲を挿入し展開していくのがルーティンなのだが。それは時として、懐メロと言ってみたり、ディープな世界観を作り出すためのマテリアルだったりする。しかし、今日のアンコールの締めが「GRAVEYARD」だったこと及び田中がこの時、気迫を持ってSingする姿を見て。本曲の新たな解釈を導き出してしまったようだ。
    "四つ角の悪魔"という歌詞がある。彼らは十数年前に一度、四つ角の悪魔に鉢合わせしているのだ。季節は巡り、そこにまた足を踏み出そうとしている。
私はそれをなんだか怪物だと勘違いしていたようだ。そうじゃなかった。今日の田中の伝え方で気がついた。田中の中にあった、ホンモノのロックへのおそれ、それが悪魔の正体だったのだ。
    あのときは、あえてまいた。時は満ちた。ついに、四つ角の悪魔に再会するときなのだ。日本のロックバンドとしてほんまもんのロックに立ち向かうこと。そして田中が歌詞の中でパーソナルな告白にアーティストとしてどれだけ踏み込んで行くか。今日はそういったあれこれを期待させるようなライブだったと思う。

    自分らは未完だと、まだバインは言い続けているのだが。何を言う、あのモナリザの微笑みですら未完成だというのに。また田中のスマイルが頭にこびり付いて離れない、そんな夜になりそうだ。

ROCK CLASSIC

T.レックス『電気の武者』
T.REX『ELECTRIC WARRIOR』

T.レックス創成期―

    だいぶ前の話だが、今のロック・バンドはみんなレディオ・ヘッドになろうとしていると、マドンナが言っていたらしい。

    小さなコンプレックスに悩まされて人は誰でも誰かになろうする。それは仕方がない事で、理想と現実とのギャップが激しいとその差を何かで埋めようとしてしまう。最近流行りの携帯アプリ“SNOW”で自撮りをして自分を良く見せようとする行為もそれに近しい。しかし、わびさびの日本ではそのよく見せようとすること自体の中傷をおそれ、逆に変顔アプリで自分を面白く下に下げ、クレームの種を先に摘み取り安息を得るというのが流行っているらしいが。

    何れにしても、何か自分とは違うものになりたいという願望はロックにも通じるものがある。その最も特徴的なものがグラムロックだろう。1970年代初頭、主にイギリスで流行した、煌びやかなスタイルで古典的な音楽をベースに艶やかに歌うロック。つまり、自分ではない何者かになりギラギラと表現することがグラムロックの根底にはあった。その代表的なアーティストの一人がT.レックスことマーク・ボランである。
 彼らの1971年の作品『電気の武者』。最初、邦題にムズ痒くなった。当時はカッコよかったのかもしれないが、2017年に見るとどうもダサカッコイイというニュアンスが当て嵌まる気がする。T.レックスグラムロック代表と言われながらも、この作品のA面ではグラムロックだ~と叫びたくなる曲は少ないと感じた。1曲目「マンボ・サン」のブギから始まり、フォーク・ロック、ソウル・ミュージック、ブルース、リズム・アンド・ブルースが楽曲を彩っていて、古典的な音楽を軸に作られていることが曲を追うごとにシンプルに伝わってくる。言うなれば、この作品はT.レックスにとってグラムロック前夜な作品なのだろう。
 でもB面の「プラネット・クイーン」から徐々にグラムロックさが表れてくる。「ガール」や「ライフ・イズ・ア・ガス」からは中性的なエロスが滲み出ていて、その定義は広いのかもしれないが、メンズがレディーの様に妖麗な歌い方をするのが、このロックの特徴の一つである。

   グラムロックの妖麗な歌い方は、日本のヴィジュアル系ロック・バンドの原点にもなっている。彼らはボランの佇まいや歌唱に影響を受け、リスペクトし、自身の音楽表現スタイルの参考にした。つまり、グラムロックが“自分ではない誰かになって表現する”ための方法論に成り得たのだ。
 70年代のグラムロック仲間には、あのデヴィッド・ボウイもいる。ボウイとボランどちらも人気を博したのだから、きっと日本のアーティストたちはボウイにも影響を受けただろう。でも、T.レックスの曲をカバーした日本人アーティストもいるようだし、V系ロック・バンドという括りではボランの影響を受けている方が多い気がする。想像だが、デヴィッド・ボウイは何よりも規格外過ぎる人だからだ。身長は178㎝(もっと高いイメージ)だし、神々し過ぎるし、安易に言ってしまえば思想とかは別として日本人アーティストが真似るには埋める穴が大き過ぎる。つまりハンデがあり過ぎるのだ。もちろん、外国人並みの長身で、それなりにスタイリッシュな日本人アーティストはボウイの曲をカバーしているのだが。それにボウイはグラムロック時代以降も音楽的進化を続けた人で、そこに収まる人ではなかったということもある。片や、ボランはグラムロック時代終焉と共に偶然にも天に召されることになった。

    T.レックスは母国イギリスや日本では、かなりの人気を博したが、アメリカでのヒット曲は「ゲット・イット・オン」だけだった。その点に類似性を感じるのはザ・ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンだ。彼が自身のパーソナルな部分を詰め込んだ歴史的名作と言われる「ペット・サウンズ」は、母国アメリカでは認められず、逆に英国のビートルズの度肝を抜いたのだった。母国で認められず海外で認められる、逆に海外で認められたが母国で評価されない。お互い逆の視点で苦悩したのかもしれないが、自分自身のコアを表現して受け入れられないということを悩み、孤独を抱えていたのだろう。二人のアーティストはそれと戦った結果、ブライアンは精神を病んだ時期があり、ボランは麻薬に溺れてしまった時期があった。それは結果的に、なりたい自分となれない自分とのギャップを埋めるための戦いだったのかもれない。

    先ほども言ったが、日本のロック・バンドたちはなりたい自分になるために、T.レックスグラムロック的な表現方法を日本のヴィジュアル系へとアレンジし、昇華させたといえるだろう。しかし、ボランに影響を受けた世代は結果的に脱V系へ終着したことから見て、自分たちがやりたかった音楽へたどり着くための一つの手段だったと言える。それは、あの日本の90年代にV系は売れるという商業的な方程式も相まってだったと思うが。
 だとするなら、77年のロンドン・パンク勃興と共にこの世を去ったボランにとって、グラムロックとは一つの手段だったのだろうか。今となっては知ることは出来ないが、残されている事実から想像してみると。彼の人気が低迷していった頃の楽曲はブラック・ミュージック色が強かったこと。音楽には関係ないが愛人で事実婚状態だったのが黒人女性シンガーのグロリア・ジョーンズだったこと。ボラン(Bolan)はBob Dylanを短縮したものだったくらい、ディランをリスペクトしていたことから考えて、根っこの部分に黒人音楽が匂うロックンロールを奏でたかったのが一つと。パンク・ロックにも注目し始めていたことや「リップ・オフ」で見られたラップ調のロックから、その方向のロックも視野に入れていたのかもしれない。

    自分を超えた自分になりたいと思い、人は時として無謀な挑戦をする。それは常に敗北と背中合わせの戦いでもあるのだ。グラムロックの旗手として自身を開花させたT.レックスことマーク・ボランは、音楽で人々を熱狂の渦に巻き込んだ。彼はミュージシャンとしての成功を手に入れた。しかし、その後彼が見たのは、没落と、再起を駆けながらも、望まない形で最期を迎えた自身の姿だったのかもしれない。

    “電気の武者”は死んだ。それでも、まだ確かに踊り続けている。何故ならそれは、1億4500万年前の中生代白亜紀から脈々と続く、戦う生命体の本能なのだから。

ROCK CLASSIC

ニール・ヤングアフター・ザ・ゴールド・ラッシュ
NEIL YOUNG『AFTER THE GOLD RUSH』

―失われた共通言語―

 ~序章~1970年。世界はまだ一つの言語で成り立っていた時代(?)全ての宝は持ち去られた後だったが、まだ言葉は通じる世界だった。そして、2017年。全世界、全世代の共通言語すら失った僕たち。それでも、ニール・ヤングの音楽は今に受け継がれていた。これは、音楽が言語コミュニケーションを越えることの最たる証拠だと言える。
 ~1~ 音楽は国境を越える。使い古された名言をもう一度引っ張り出してみた。この言葉は的を射ている、自分の母国語以外で歌われていても、その音楽のもつ喜怒哀楽は感じることができる。たまにこんなに明るい曲なのに、歌詞はかなり絶望的だね、みたいな事があるにしてもだ。
 だから、当然ニール・ヤングの音楽も国境を越えているはず。ヤングの音楽の原点にはロックやカントリーがある。又、リトル・リチャードやチャック・ベリーなどの黒人が作り出すリズム・アンド・ブルース、ロックンロールから、グルーヴなどの音楽的影響も受けている。音楽は人種の壁も乗り越える。
 海外、日本のロックの中にもニール・ヤングへの音楽的オマージュを感じられるものが多数ある。やはり、国境を越えている。
 ~2~ 逆に言葉は伝わりにくいと一般的に言われている。あのデヴィッド・ボウイも人間のコミュニケーションの中で最も曖昧なものが言葉だと言っていたらしいし。当然、言語が違えば伝わらない。世代が違えば伝わりにくい。よく言われる、今の若者は話を聞かん、あの年寄りは頑固で聞く耳を持ってない、とかよく言われることだ。そして、価値観が違えば伝わりにくい。男とか女とか。だから音楽は国境越えても、言葉は越えられない可能性の方が高い。
 ~3~ だとするなら、『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』は音楽としては、国境を越えられたが、言語としては越えられないということになる。でも、おそらく伝わった。色々なアーティストから引用されているのを見てもそうだろう。私が想像するに、あの時ニール・ヤングが歌っていたのは、もうこの1970年に宝物は存在せず、全ては何処かに持ち去られた後だった。という事を悔やんでいた位じゃないか?もちろんこれはタイトルから妄想してみただけだが。後は、愛についてのびのびと歌う事ができたのではないか?なんだか、あの時代、どうも一つの共通言語で世界は成り立っていたと思わずにはいられなくなってきた。
 宝物をすでに失っていた1970年の世界だったのかも。でも、少なくとも言葉は通じた世界だったんだろう?救いだよ。
 ~幕間劇~ 2017年、世界は冷戦の続編が描かれていた。日本、戦後、バブル崩壊、そして、3.11。僕たちはすでに共通の言語を失っていたのだ。
 ~4~ 全ての救いだったロックでさえ、共通言語を失った前では無力なのか。そんな疑問が頭の中をぐるぐる、グルーヴの様に渦巻いていたが、まだ諦めた訳じゃない。
 ~最終章~ それでも、ニール・ヤングの音楽は今に受け継がれていることだけは確かだろう。「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」のピアノの旋律からは、ノラ・ジョーンズの表現スタイルに影響を与えているのが感じられる。「ブリング・ユー・ダウン」からは、アクセル・ローズのボーカル・スタイルへ影響を与えているのが見える。
 また、日本のアーティストへの影響も端々に感じられる。特に日本のロック・バンドが異性に対しての“LOVE”をフォーク・ロックやカントリー・ロックで表現しようとしたとき、「オンリー・ラヴ」や「オー・ロンサム・ミー」は限りなく優秀なお手本となっていると思う。さらに、「バーズ」から立ち昇る歓喜が含まれた王道感は、長渕剛にも影響を与えている。これらは、音楽が言語の壁を乗り越えることを証明する氷山の一角だろうが、ひとつの証拠になる事象である。

 ~エピローグ~ 2017年。海外でヒップホップ系がロック系の売り上げを上回ったってよ!(笑)

DISC REVIEW

GRAPEVINE『Arma』

 ―継続は力なりと言わない、こともない―

    多分、新聞で読んだと思うけど、漫画家の尾田栄一郎秋本治に、なぜ休まず継続できるかを聞いた、すると一言「頑張るんだよ」と言ったらしい。
 田中和将に、ずっと作品を出し続けるってすごいですねと言ったところで彼は、「いや、ずっと地続きでやっているんで…」と、はぐらかしそうな気がする。
 バンド活動という地平線が続く中で、音楽的な変化は常にあった、そして時にとんでもなく明るい楽曲が産み落とされることがある。例えば、既発曲「放浪フリーク」はそれに当たる。「Arma」も同様に陽性でポップな展開が見られる。
 音楽的には、その先を予感させるように、曲の根底に渦巻くフィードバック・ギターの流れと、星の瞬きの様にキラキラと鳴らされるキーボードの音色がガイド役となり、彼らとしては珍しくブラスをバックに挿入、祝福を醸し出すが如く鳴り響く。
 歌詞は、いつになく詩人田中のニヒリズムが炸裂しているといっていいかもしれない。曲名「Arma」はラテン語で武器や鎧という意味を持つ。でも、この単語を一文字変えると「Alma」となり、これはスペイン語で魂という意味になる。さらにAlmaは女性名にも使われるものである。
 この昔あった英会話CMのような、一文字替えトリックをもとに次の歌詞を聴くと、違った二つの意味が感じられるようだ。

 “例えばほら/きみを夏に喩えた/武器は要らない/次の夏が来ればいい”

    またナツノヒカリが過ぎていく。次の夏を待とう。
 GRAPEVINEデビュー20周年おめでとうございますとは言わない、こともない。