DISC REVIEW

UNISON SQUARE GARDEN『Dr.Izzy』

―サイトウさん復活♡ んで、これから?―

 C-C-Bの「Romanticが止まらない」とか、ゲスの極み乙女。の「ロマンスがありあまる」やPENICILLINの「ロマンス」が頭の中でぐるぐる回りだして、なんていうか、この『Dr.Izzy』はそういったロマンスに取り憑かれている作品となっている。言うなれば、ユニゾン・スクエア・ガーデン的ロマン主義を提示した作品なのだ。
 思い返せば、彼らの作品の歌詞は日に日に文字量が増えているような気がする。田淵智也が書く歌詞は、どんどん長くなり、どんどん哲学的になり、今まで以上に世相をチクチク刺し続けている。一歩間違えれば、その構想が、誇大妄想になりかねない。頭でっかちな思想に陥るおそれもある。そのギリギリの線で彼らは踏みとどまってきたと思う。
 それを可能にしてきたのは、彼らの楽曲にある究極のポップネスだろう。どの曲もキャッチーでポップであるということ。ポップのフォーマットの中でロックに暴れまくる哲学がこのバンドの究極の持ち味である。
 そして、その楽曲を外に向けてリリースし続けてきた斎藤宏介の美しき声という武器。喉のポリープ切除を経て、完全復活した後に、今作の全ての歌入れはしたのであろう。彼自身の伸びやかで、透き通った中にも強い芯のあるボイスが、今回の楽曲の勢いと叙情性、それを決定付けているのは確かだろう。
 今作で最も重要な地点は、序盤から中盤に差し掛かるところ、「マイノリティ・リポート」と「マジョリティ・リポート」この2曲だろう。これらの曲の捉え方は、歌詞の内容が大きなファクターをしめてしまうのだが(田淵の歌詞なら当然そうなる)。別の視点からみると、彼らがデビュー当時からこだわってきたこと「ロックは楽しい」というテーマ性を再分析する曲名だと思う。
 つまり、今の日本の中で、ロックというものがマイノリティなのかマジョリティなのかという問いを含んでいると思う。遡れば昔、日本国ではロック音楽というのは少数派を担う音楽であった。しかし、ユニゾンのメンバーを例にすると、1985年生まれぐらいの人になると、もう物心ついた時から、ロックというものが普通にお茶の間に流れていたと思う。つまり、彼らにとってロックの入り口とは、世間に対してアンチテーゼを示す音楽では無かったのかもしれない。世代が変われば、ロックに持つ価値観も変わることは容易に想像がつく。彼らにとってロックとは、J-POPや歌謡曲と区別するまでもなく、音楽シーンの中でそれらと共存している一つの音楽だったのだ。
 だから、「マイノリティ・リポート」は、ロックとJ-POP、歌謡曲がまじり合った楽曲に本来のユニゾンが水を得た魚のように絡む、美しき構図となっている。
 さてと、彼らもある程度の年月をバンドとして歩き続け、三十路を踏み越えた、今。
この「ユニゾンを解剖する」という、かくかくしかじかのテーマが掲げられた。一体何なのか。つまりこれは、マイノリティからマジョリティへ移行していった世間一般のロックの立ち位置を、彼ら自身が自身のバンドを解剖することによって、答えを探っていこうという、ユニゾンにとって初めての転換期なのだ。
 ロックが反逆の音楽では無くなった、そういう区別をする意味が世間的には不要になった今だからこそ、ずっとロックにこだわってきた彼らは、彼ら自身を分析する必要があったのだ。(もう、頭が良いんだから!)
きっと彼らの中には、音楽的にはマジョリティになった?ロックであっても、マイノリティな発想を失うことはしない。という思いがあるのではないか。
 このバンドにとって、バンドを解剖することが、ロックを解剖することになり、それを描き続けることが彼らのロマンなのである。