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ROHITOのロカリロロロ

ロック評論家 ROHITOのブログ

LIVE REPORT

DIR EN GREY
TOUR 16-17 FROM DEPRESSION TO
[mode of DUM SPIRO SPERO]in なんばHatch 2016.10.2

    現時点でディルが作り上げた最終形の世界観が「UROBOROS」(メジャー7作目)だと僕は思っている。始まりもなく終わりもないという意味にも通ずるように、そこからが新たなる始まりでもあった。そして、8作目のアルバム「DUM SPIRO SPERO」は、開始点に立ち返った上でのその先、彼らの初期の名曲「アクロの丘」のその向こうを見た作品だと捉えることが出来る。今回は、ツアー副題[mode of DUM SPIRO SPERO]の通り、このアルバムの再現になるのかな、という予想でライブに挑むことになった。
    開演間近のSEはディルの曲のオルゴール・バージョンが慎ましく流れ、いつもと異なる雰囲気を感じさせつつ、メンバーが登場した。
    始まりはもちろんアルバム1曲目「狂骨の鳴り」から。お馴染みのバック・スクリーンを背に、おどろおどろしい世界観の幕開けとなった。いつもと違った演出は、2曲目「THE BLOSSOMING BEELZEBUB」で、ボーカル京がこちらに背を向けマイクにかじりつき歌い出したことで、後ろの映像にはその京の顔が大画面で映し出されるという構図になっていた。
    京がオーディエンスに向き直り、ライブが加速。「DIFFERENT SENSE」や「LOTUS」などの主要曲が演奏される。
    リーダー、薫のギターは、淡々とバンドの正しいリズムを刻み続け。Toshiyaはベースを縦向きに持ち、服の上からもわかる肉体美とともに演奏。shinyaは相変わらず、ムダのないタイトなドラミングと美しさを放つ。Dieもお馴染みのロングヘアを風になびかせる姿でギターの美旋律を奏でる。(ヘアーにカールがかかっているのは別バンドプロジェクトDECAYSの影響もあり?)
    最近のディルのライブでよく見られるシーンだが、数曲ごとの曲間に、京が舞台で狂い出し、叫び、呟き、狂気に苛まれる演出が繰り返される。これの意味が、のちのち少しだけわかることになった。
    舞台に変化があったのは、「蜜と唾」の前。ステージ・バックでなく、緞帳や垂れ幕のようにステージ前に吊り下げられていた五枚の透過性のある白い幕がメンバーを隠せる位置まで下がり、そこに映画やプロジェクションマッピングのように文字や光を映した。その裏で彼らが歌い、時にはその白い幕に大きな彼らの影が映し出される演出の中で、壮大な叙情詩が続く。その隠された白幕のチラリズムの中、この作品でもっと長尺なタイムの曲「DIABOLOS」が圧倒的な美意識を背に奏でられたのだ。
    そして、再び、白い幕は上がり、メンバーが露わに。本作のラストを飾る、佳曲「流転の塔」で、美しさと重厚さの極致を表し。「「欲巣にDREAMBOX」あるいは成熟の理念と冷たい雨」以降は、ディルの過激な側面を司る演出の連打で本編の幕を閉じた。
    アンコールは数分後、メンバーがラフな(でもファッショナブルな)服装で登場。京は金髪の上に黒のベレー帽を被るスタイルだった。(この佇まいはsukekiyoの彼をイメージさせる)
本編で演奏しなかった「VANITAS」を風通しの良い佇まいと風景で描くと。最新作からの「Un deux」でヘヴィな音像を叩きつけ。新曲、そして「詩踏み」も登場し、会場の熱はピークに近くなる。
    ラストはやっぱり、今のディルの最新型は、まだこの曲ではないかと思わせるほどの会場一体となった合唱が渦巻く「激しさと、この胸の中で絡みついた灼熱の闇」で終焉した。
    最後に、前述した京が曲間で狂う演出については、ツアー名にある”DEPRESSION”
つまり、うつ病を表現していると想像できる。まさに、その状態で過去を追憶し、追求し、何かを見つけようとしている。そんなディルのリアルを見せつけられたアクトであった。