MOVIE REVIEW

君の名は。

 ―NO NAME,NO LIFE??―

 東京に住む男子高校生と飛騨の山奥の女子高生の身体が、ある朝突然入れ替わった。という誇大妄想的な出発点から始まるこの物語。一見使い古されたストーリーのように感じるが、この作品は繋がることの喜びと悲しみを捉えたもので、この2016年に生まれるべくして生まれた恋愛アニメ映画と言えるだろう。
 主人公の立花瀧と宮水三葉は、入れ替わりが繰り返えされる中で相手の生活などを知っていく。しかし、ある日突然それが途絶えてしまう。その時、お互いに会いに行こうとするのだが、この時二人は連絡先も知らなければ、住んでいる場所も正確に知らないという状態なのだ。四六時中ネットを通して繋がれる今の私たちからみて、この状況はどうだろうか。恐怖以外の何物でもない?いや、むしろ望んでいる?色んな意見があるだろう。どちらにしても2016年にはあり得ないことだ。そんな状況で二人はどうにかして会おうと努力していく。
 作品の舞台は宮水三葉の住む飛騨の山奥にある糸守町(カフェすら無いと嘆く田舎町)と立花瀧の住む大都市、東京の四谷。この二つの土地を別な角度で捉えるなら、昔の風習が色濃く残るイメージで描かれた糸守町を“過去”。多数の人が大人になれば上京を憧れる場所、東京を“未来”と位置付けることができるのではないか。
 自分の住む田舎をとても嫌がっている宮水三葉の感覚は、もしかしたら監督、脚本、原作者である新海誠氏のパーソナルな視点も含まれているのかもしれない。そう思った理由は、新海氏の出生地が長野県南佐久群小海町という総人口4600人位のいわゆる田舎だったからだ。そして、本作の重要なポイントである三葉たちが住む糸守町への隕石落下による壊滅の危機と、それを防ごうとする瀧との交差は、新海誠氏自身の現在地とふるさとをつなぐ一つの原風景を表しているともとれる。
 そんな二人が生み出した一大事が過ぎ去り、登場人物たちは大人になる。“あれからずっと何かを探しているような気がする”大人になった瀧が思っているこの言葉が本作の重要なキーワードになっている。そう、私たちは誰でも、ずっと何かを探しているような気がしながらも、日々の生活を坦々と歩んでいるはずなのだ。その答えを見つけられないまま。
 この2016年、いつでもどこでもつながることが出来る状態の日本。それを現実だと思っている私たちに、全くつながるツールを失った状態になるという非現実が叩きつけられたとき、やはり驚嘆してしまう。それがこのアニメーションを見終えた時の余韻だろう。でも、そう簡単に繋がらないこと。それこそが本当の現実、リアルだとも言える。
 それから、本作すべての音楽を担当しているRADWIMPS。この十数年、ずっと私たちの喪失感を代弁し続けてくれた日本のロックバンドだからこそ、挿入歌としての役目以上にこの映画の高揚感を増幅させていたと思う。
 大人になった瀧と三葉は運命的な再会を果たす。現代の情報ツールを何も駆使せず。私はその部分に深い感動が覚えた。
 繋がることに、情報はいらない。
 そう、“君の名”さえも。