ROCK CLASSIC

ボブ・ディラン 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
BOB DYLAN『BRINGING IT ALL BACK HOME』

 ―見える化のススメ―

    どうもきつねに抓まれたような、たぬきに騙されたような気になってくる。人口知能が現れてから、それに拍車が掛かってきた。現実社会で騙されるのはしょうがない。ネットで詐欺師に騙されるのは、まだマシだし。出会い系でさくらに騙されるのは寧ろ面白い。でも、せめて相手は生物であってほしい。血の通った生身の人間であってほしいと思う。目に見えない恐怖とアホらしい戦いをしている、今はそんな気分だ。
 見える化が善、という思想が当たり前になった今日。どうも無理な態勢を保ったままでいる方が多い。“スケルトン”なんてものが流行った時代はまだかわいいものだった。それで思い出すのがアイドルグループの嵐がデビュー曲で身に着けていたスケルトン衣装。あれ以降、徐々に見える化見える化と騒がれだした…なんてことはないか。そんなに見えたっていい事ばかりではない。本当にこわいモノを見た時、私たちはどうするのだろうか。
    反対に見えないものを見せてくれるのが、ミュージャンだろう。そして、ボブ・ディランもその一人である。現代ロックの創成期1965年の作品『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』は、ロックのスタート地点の一つでもある。
    ロックン・ロールが始まり、そう年月の経っていない60年代。黒人音楽として生まれた事を匂わすように、この時代のロックには、ジャズ、ブルース、そしてリズム・アンド・ブルースをベースとしている事がよくわかる音作りとなっている。
    元々フォーク・シンガーだったボブ・ディランが、本作で初めてロック・サウンドを自身の音楽に取り入れたと言われている。レコードの場合にA面となる7曲目迄が特にロックン・ロールらしい楽曲となっていて、ここから、フォーク・ロックの歴史が始まったという。
    同時代の日本の歌謡曲でディランの本作とリンクするものがあった。それは、坂本九の「上を向いて歩こう」や「明日があるさ」。この時のディランと坂本九の曲はベース・コード、リズムに類似点がある。それで調べてみると、坂本九の曲は、ジャズピアニストの中村八大が作曲者だった。両方とも根っこでは黒人音楽と繋がっていた、という事。
    ロックとは見えない敵と戦い続ける姿を見せる事でもある。この作品の中で見えない敵とは人種差別のことである。それが顕著に現れているのは、「オン・ザ・ロード・アゲイン」。和訳歌詞にて、 ”で、あんたはどうしてぼくがここにいないのか尋ねるが” と全小節に渡って繰り返される。この意味は、本当にいないのではなく、相手が黒人だから見えないと言い張っているのである。
    もう一つ、ボブ・ディランがアメリカを歌った、「ボブ・ディランの115番目の夢」。この和訳で冒頭の “「これがアメリカなんじゃない」” と、最後の “オレの名はコロンブスだ、とぬかしたので「ほんじゃあね」とだけ答えてやった” という部分から、ディランのアメリカに対しての皮肉が滲み出ている。本当のアメリカは見つかったのだろうか?この歌では明かされていないと思う。
 本作リリースから50年以上たったが、アメリカ国民はここで歌われた人種問題と共に、本来のアメリカを見失ったままなのかもしれない。2016年ボブ・ディランノーベル文学賞を受賞した。しかし、彼の歌詞の意味に込められた物語はまだ継続したままだろう。
 私たちも日々見えない敵と向き合っている。そして見えない敵に傷つけられ、その相手を探している。誰?誰?誰?
なんだ、やっぱり見える化を求めているのね、私たち。
 「アウトロー・ブルース」の和訳で最後、こう歌われる。“ジャクソンで女と知り合った/名前はいいたくない/褐色の肌の子だけど/好きだというのに変わりはないよ”
 坂本九は“あの娘の名前はなんてんかな”と歌う。
 そして、私は「君の名は?」と聞く。
 すると彼女は、こう言った。
 「りんなだよ。」