LIVE REPORT

GRAPEVINE TOUR 2017
2017.10.15
in Live House浜松窓枠

―ROADSIDE PROPHETの行く末―

    2017年のツアーを終えたときグレイプバインがどんな変化を遂げているかは分からない。だが、ツアー序盤のLive House 浜松窓枠公演を見て、20周年のその次を見据えたバインなりの答えが示されているような、そんなライブだと思った。

   定刻を数分過ぎて、亀井亨を先頭にメンバーがステージに姿を見せた。田中和将はニヤニヤと楽しげなしたり顔で現れる。最近定番の彼が登場する雰囲気。おそらく、バンドが好調な時ほど彼はこんな感じで観客を見てくるのだ。
    まずは「 The milk(of human kindness)」からスタート。アルバム後半曲を1曲目に持ってくるのはロックバンドではよくあるが、バインとしては珍しい始まりだった。その後もアルバムを逆に再現するかのように進みながら、彼らお馴染み、新旧の楽曲を織り交ぜながら進んでいく。特に地方公演ならではなのか、今のバンドのモードなのか、旧となればとことん昔、1stアルバムの曲「カーブ」がいきなり挿入されたりする、いつも以上に自由な選曲になっていたと思う。

    今年5月に観た、ユニゾン・スクエア・ガーデンとの対バンでのバインは、音響系とサイケデリックな音像の応酬だった。そこには確実にバンド全体として好調だといえるような、そういうときにしか出せないような、異常なノリがバンドの演奏には渦巻いていた。ニュー・アルバム発売を経て、それを表現する今回も、そんな状況が継続されているのかもしれないと思ってはいた。
    浜松窓枠では、そういうモードを保ちつつも、もう少し音楽としてラフな佇まいを持った表現だった。結果的にそれは今回のアルバムを表すのに彼らが選んだ適切な描写だったのかもしれない。何故なら今作は、いつも以上にブラック・ミュージックやソウル色が強調されているため、スタンダードな伝え方が必要となったのだ。

    今回特徴的だったのは、バインのブルースへの想いを再提示する演奏が多かったことだ。彼らの3rdアルバムでの重要曲、「ナポリを見て死ね」を演奏したのだが、やっぱりこのバイン的ブルース・ロックの炸裂具合は凄まじかった。私としては、今作でこの曲のアンサーソングとも言うべき「楽園で遅い朝食」との関係性を確かめたかったのだが。
    他にも、ことさらブルースを意識した選曲が目立っていた。もちろん「覚醒」とかも、よりブルースらしさが増しているようだった。
    いつもと違う部分としては、よもや当然と思われていた、ディープな曲を数珠繋ぎに聴かせる部分がそれほどシリアスにならなかったことと。前述した音響系に特化していく部分に深入りし過ぎなかったことぐらいだろうか。
    また、前回ツアーでは「Golden Down」で通常の小節から変化して途中でダフト・パンクをサンプリングしてくる展開を見せてくれた。その続編として、今回は「Shame」で、“キング・オブ・ポップマイケル・ジャクソンの「Beat it」をサンプリングしてくるという、バインらしいニヒルな展開を見せつけた。

    私自身が、今作で最もライブでの表現を期待していた曲は「楽園で遅い朝食」と「Chain」である。前者はバインがバンドとして、ブルースへの回答をしたためた曲。後者は田中が描いたパーソナルな情景の経過を指し示すものだ。今回この2つの演奏を見て、まだまだ伸び代のある曲だと思えた。「Chain」は田中の気恥ずかしさも若干含まれていたのかもしれない。これからのツアーで徐々に練りに練られていくのではないだろうか。
    本編エピローグは、やはりアルバムの1曲目の「Arma」に戻ってきた。当然ながら、この曲がバインのロックなモードとその先への思い、どちらにも最適化された楽曲と言えるだろう。
    もう一つ最後に気がついたことが、本編ラスト前に演奏された「その未来」とアンコール最後が「GRAVEYARD」で締められたこと。ことの外『déraciné』とリンクしていた部分だ。「その未来」などは、今さらだがバインとしてのロックが解放されたような生き生きとした演奏だったと思う。裏を返せば、バインが長田進プロデュース期に突き詰めたロックの持つサイケデリック感やウェストコースト・ロック直系のアコースティックな表現力。それ以降から今に至るまでのブラック・ミュージックへ貪欲に食指を伸ばし続けた時期。その入口段階で、“バイン・ロック”は一つの完成を見せていたのだと思う。それを再認識することが出来た。ブラック・ミュージック色の強いものが続けば続くほど、バインのロックというものがことさら恋しくなってしまうのかもしれない。
    「Arma」を最初聴いた時に感じた、いつになく陽性な旋律。それは、あの「放浪フリーク」に匹敵するかのごとくだった。だから今日のアクトを観て、あの時期とのリンクがより確かなものであることを強く実感出来た。その時よりも音楽的な多様性を得て、バインはまたそこに巡り合わせたのだ。

    彼らのライブは、いつも程よく既発曲を挿入し展開していくのがルーティンなのだが。それは時として、懐メロと言ってみたり、ディープな世界観を作り出すためのマテリアルだったりする。しかし、今日のアンコールの締めが「GRAVEYARD」だったこと及び田中がこの時、気迫を持ってSingする姿を見て。本曲の新たな解釈を導き出してしまったようだ。
    "四つ角の悪魔"という歌詞がある。彼らは十数年前に一度、四つ角の悪魔に鉢合わせしているのだ。季節は巡り、そこにまた足を踏み出そうとしている。
私はそれをなんだか怪物だと勘違いしていたようだ。そうじゃなかった。今日の田中の伝え方で気がついた。田中の中にあった、ホンモノのロックへのおそれ、それが悪魔の正体だったのだ。
    あのときは、あえてまいた。時は満ちた。ついに、四つ角の悪魔に再会するときなのだ。日本のロックバンドとしてほんまもんのロックに立ち向かうこと。そして田中が歌詞の中でパーソナルな告白にアーティストとしてどれだけ踏み込んで行くか。今日はそういったあれこれを期待させるようなライブだったと思う。

    自分らは未完だと、まだバインは言い続けているのだが。何を言う、あのモナリザの微笑みですら未完成だというのに。また田中のスマイルが頭にこびり付いて離れない、そんな夜になりそうだ。