COLUMN

BUMP OF CHICKEN
『世界でひとつだけのRAY』~バンプから貴方へ~

ー2014年7月6日ー

すべての始まりには闇がある。その闇か抜け出す為には、道標となる光が必要になり、人によってそれは音楽だったりする。思春期特有の絶望感は、誰でも少しは体験するもので、それが公私共に含まれることであれば尚更どんよりとした大きな雲が心の中を覆っていく。僕はもがき続け、抜け出そうとする中で、バンプの「ランプ」という曲に出会った。音楽が好きであれば、誰でも一つはそういうバンドがいると思う。僕にとってそれは、バンプだった。言うなれば、社会人になる前に出会った最大のバンドだ。

こういう時期は、「夢を追う」ことについて、誰もが一つのターニングポイントを迎えると思う。僕は、バンプと出会ってからずっと夢を追い続けている気がする。その行為は自然と彼らの音楽を聴く行為とリンクしてしまう。否が応でもそうなってしまうのは皆さんも分かって頂けるとは思う。でも、その行為を永く続けていくと、少し怖くなってくる。なぜかとうと、

「魔法の料理~君から君へ~」の

“君の願いはちゃんと叶うよ 怖くても よく見て欲しい これから失くす宝物が くれたものが今 宝物”

という歌詞が、僕の心に深く突き刺さる。夢を叶えるということ、願いを叶えるとうことは、それと同じくらい大きな何かを失うことでもある。それを受け止める覚悟があってこそ、夢を叶えられる。というメッセージになっているからだ。おそらく夢をあきらめたくない人はバンプを聴くと僕は思う。この構造は、いうなれば「正のスパイラル」だと思う。夢から逃げない姿勢がバンプを聴くという行為に向かわせ、バンプを聴くとやっぱり夢を追いたくなる。それが良いのかどうかは別だが、僕はバンプとそんな関係を続けてきた。

彼らと出会ってから、14年が経った今年、通算7枚目のアルバム『RAY』が届いた。(希望などの)光、という意味をもつタイトル。今作は今まで彼らが提示していた光とは一線を画する「光」が提示されている。

表題曲「RAY」の
“大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない”“大丈夫だ この光の始まりには君がいる”

という歌詞から、僕はすぐに「天体観測」の一節を思い出した。

“そうして知った痛みが 未だに僕を支えている” “ 「イマ」というほうき星 今も一人追いかけている ” 

こう歌った藤原基央、彼自身の中にも痛みの根源があったのだろうし、もちろんそれは僕にもあった。すべての出発点には、その痛みがあった。そう、バンプと出会った僕たちは、この最初の代表曲と共に光を探す旅に出たのだ。それは同時に涙の根源「涙のふるさと」を探す旅でもあった。 

ーーバンプのインディーズ時代のアルバムに『FLAME VEIN』と『THE LIVING DEAD』の2作がある。この作品は、当初バンプの強い部分と弱い部分を表したものであるといわれていた。前者が強い部分、後者が弱い部分を映し出している。後者の作品の歌詞に含まれる物語には、涙の音を探す旅人が登場するが、これは当時の藤原基央が求めていたアーティストとしてのあり方、悩み葛藤する人たちを救う為のロック、その全てを体現する人物像として描かれた偶像だったと思う。それと相反する人物は「Ever Lasting lie」の曲中にいる「夢を掘る人」だろう。夢という見えない何かを掘り続けるバンプの4人と、それに共感した僕らリスナーは、ひとつの大きな渦となっていった。それでも僕らは「それ」を探す旅をやめることは出来なかったのだ。

その後、バンプはメジャーデビューを果たした。それは一つの光を手にする行為だったと思う。でも彼らは彼らのまま、変わらず、染まらず、「イマ」というほうき星を探し続けていた。それは何故か、理由は彼らが歌っているように「ここで手にした“輝かしいどうのこうの”」よりも「それよりも輝かしい あの日」が圧倒的に藤原基央を支えていたからに他ならない。後年、バンプは『COSMONAUT』で、その追憶について歌ってくれている。

メジャーファーストアルバム『jupiter』でバンプという存在を知らしめた彼らはその後、少しの模索時期に入っていたと思う。そう、「オンリーロンリーグローリー」に辿り着くまでに。自分たちだけが掴むことの出来る栄光を目指す旅が新たな始まりになった。大作『ユグドラシル』の中で、マスターピースといえる名曲「ロストマン」は藤原基央の現在地が色濃く反映された曲で、そこで歌われた~失ったもう一人の自分~について、彼の物語で最も重要なことが語られたと僕は感じた。

バンプは突き進みながらも、彼はずっと、もう一人の自分との距離を確認しながら歩み続けていた。
そして、長い叙情詩が最後の1ページを刻んだのが『Orbital period』だった。「メーデー」で歌われるように、彼らはひとつの存在になった。つまりそれは、強い自分と弱い自分が、遂にひとつになることが出来たということなのだ。これは、前作にある「太陽」という曲でお互いの繋がりを拒んだ光と影、つまり2人いた自分が、ようやく結合することが出来たのだと思う。

彼の歌詞をずっと追ってきたひとは、すぐに察しがついたかもしれないが、メジャーデビューシングル
「ダイヤモンド」で歌われた
“弱い部分 強い部分 その実 両方が かけがえのない自分”

という歌詞に繋がっている。この曲はある意味、藤原基央が彼自身の言葉として訴えたかった、所信表明のような歌詞であるが、ここに、そこから始まるストーリーのハイライトが紡ぎだされている。
物語は名曲「涙のふるさと」に戻り、涙の音を探して旅を続けてきた旅人は最後に自分の涙の音に行き着く。そこで彼は過去の自分と向き合い、交わることができた。この瞬間、物語はエンドロールを迎えた。

涙で始まり、涙で終わる物語。その中で最も重要な曲は、このアルバムの実質的なラストの曲「arrows」で繰り広げられる、リュックサックのとりかえっこだ。ここで表されているのは、今の自分と一度は引き裂いたもう一人の自分が、お互いの距離をおきながら、旅を続けて行く中で、背負ってきたもの、それを交換したとき、初めてそれが価値のあるものであることがわかる。そこにバンプの哲学が生きているのだ。

これは、「ここで手にした“輝かしいどうのこうの”」と「それよりも輝かしい あの日」が常に天秤に掛けられ、シーソーゲームを繰り返してきた事柄に最終的なピリオドを打った藤原基央の人生訓だともいえる。

壮大な物語が、エピローグを迎えた後、届いた「宇宙飛行士への手紙」

最初の歌詞にある 、
”踵が2つ 煉瓦の道 雨と晴れの隙間で歌った 匂いもカラーで思い出せる 今 が未来だった頃の事”

最後の、
”踵が4つ 煉瓦の道 明日と昨日の隙間で歌った 全てはかけがえのないもの 言葉でしか知らなかった事”

これは、確かにいたもう一人の自分と、 途方もない距離をとっていた、今の自分が交わり、一人の自分になった事、そういったことについて、現在の藤原基央が自身に向けた、アンサーソングだったのだと思う。

それを含めた『COSMONAUT』過去にあった色々な物事が描かれ、そのすべてが藤原基央の過去を彩るものへの答えになっていた。それを聴いた僕の中にも自分自身の思い出があり、それとリンクしていったとき、どうしようもない気持ちと溢れ出す感情が抑えきれなくなる。そこに僕は、幾億年も続く、宇宙を感じていた。

それから3年の月日が経ち、リアルな僕らの世界にも色々な変化があった。そんな中届けられた『RAY』、バンプのひとつの物語が終わったあと、彼らは何を伝えようとしたのか。それはBUMP OF CHICKENが一つの光そのものに、つまり闇の中の道標、灯台になることを決意した、そんな作品だ。当然これまでも、バンプは僕たちにとっての光のような存在だった。しかし、彼ら自身は、バンプバンプである理由をずっと探していたようだ。そんな結実したテーマがバンプを、ロックバンドとして今までの何倍にも、飛翔させているのだ。本作でもやはり印象的なのは、「ゼロ」だろう。

”迷子の足跡消えた 代わりに祈りの唄を そこで炎になるだろう 続く者の灯火に 七色 の灯火に”

ここまで圧倒的な決意の言葉を僕は聞いたことがないと感じた。迷子だった彼らは、何かを見つけ、迷子じゃなくなった。その彼らが今、迷子だと感じている人たちを救える”七色の灯火”になろうというのだ。それがバンプ藤原基央のゼロ地点、新たな出発点を示している。貴方が望みさえすれば光る。

「ランプ」で
”君が強く望みさえすれば 照らしだそう 温めよう 歩 くタメの勇気にだってなるよ”

と歌われる。そう自分自身に問いかけ、進んできた今、バンプがその予言通り、情熱のランプ、ハートのランプそのものになった。
~情熱は約束を守る~FLAME VEINのCDの帯に書かれたこの言葉を皆さんご存知だろう。バンプはその言葉通り約束を守った。それはもちろん自分のタメでもあったと思う。

生あるものは、いずれ死ぬ。ひげじいは、いなくなり、王様は動かなくなり、ガラスの眼をもつ猫は☆になった。「花の名」の歌詞にあるように、

”生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ”

これ程ま でに尊く、同時に重い思いを、僕だったらどこまで保つことが出来るだろうか?わからない、としか今は言えない。

大切な人が死んだ時、星になったと喩える。誰かを救うためには、何かを代償にしなくてはうまくいかない、それがこの世界だろう。
だからこそ僕らは自分自身のタメに望んだ方向に進まなくてはいけない。僕だけが見える光の方向へ。バンプはその大切さをいつも気付かせてくれる。

今こそ自らが望んだ ”RAY”に向かって進むしかない。
いつか、貴方自身が誰かにとっての『それ』になり得るまで。