LIVE REPORT

踊ってばかりの国

「2018年、秋のワンマンライブ」

in 梅田 Shangri-La

2018.11.4

SEは"ocean"  オルガンの調べが鳴り、メンバーが登場した。

2曲目でジャケットを脱いだ下津光史は、白Tシャツをジーンズにインという出で立ちで、ギターのストラップを目一杯左端に伸ばし歌い始めた。その姿はもう往年のロックスター。(これもしかしてベンジーのオマージュ?)さらっと時代を遡ってみせる。その姿を見て、畏怖の念を感じたり、僥倖だなと思ったり、何だか分からなくなった。ロックという古典を受け継ぎつつも、歌っていることが今のリアルをえぐり出し過ぎていることで、このバンドのアップデートを可能にしていた。

"ほんとごめんね"あたりから徐々にギアが上がり始め、最新作からの曲がライブに熱を与えていく。"evergreen"では、下津の擬態と「心を大切に」という歌詞の純真さが生々しく伝わってきて、他のバンドとは少し違ったライブ体験になりそうだと、頭の片隅で感じ始めた。最初の変化点が来たのは「いくとこまでいっちゃう?」という下津のMC後。"SEBULBA"あたりだろう。この曲の無敵感は今持って健在だと再認識した。

現体制なって。髪の毛も短くした下津は、ギターを弾きながら身体を動かし、ボディーランゲージやらアクションも交えて、表情も豊かに色々と変わる。

そしてみんなも踊ろうぜと笑顔でオーディエンスを煽ったりする。

これは喜劇を観るようにだし、アーティスト?ロックミュージシャン?どんな言葉を持って来ても不足じゃないかと思うくらいに、一線を越えたまま表現し続けていく下津。彼の、一線を越えるというはダークサイドに徹するのではなく、あくまでも陽性に振り切る、どこまでいっても陽。こういう人はアーティストの中にもそうはいない。

楽屋での話の続きというくだりで、ライブ前にでっかい鼻クソが取れたらいいライブになると屈託のない笑顔で話す下津は面白過ぎて普通じゃないし。

今のバンドメンバーとの親和性も増しているようで、どこまでも柔らかなアンサンブルが続く。"!!!"のノイジーなギターさえ、"Boy"のサイケなエンドロールの狂演さえも陽に徹されているように感じた。

おそらく下津は究極的に陰を理解し咀嚼しているからこそ、結果的に極限まで陽に徹した表現を続けられるのだと思う。

2回目の変化点は、ライブがピークへと向かおうとして、下津がMCで「見たことない景色見えるきいする」と言い放ち歌われた"僕はラジオ"辺り。もっともサイケデリックな瞬間が訪れる。

新曲もやってくれた。ストレートなロックで、音楽だけはあなたの味方だと普遍的な歌詞で僕らを揺さぶる。

本編ラストは"言葉も出ない"下津が目を見開き、一点を見つめ歌いきる姿。その形相で、また会いましょうと死ぬんだからのワードが繰り返される。そんな生と死の反復横跳びを見せつけられ、ありふれた言葉だがカタルシスに包み込まれた。つまりそれは、生と死が表裏一体であることの意味を知っているからこそ、生の尊さを叫びつつ、死ぬんだからとも叫べるのだ。

ほど無くして、ロックの古典を体現するように上半身裸になった下津、そしてメンバーが再登場した。彼のMCにも登場したイギーポップばりだろうか。"ジョン・ケイル"のモータウンビートの勢いにのり、ロックを現象的に表現し続け、ラストは"それで幸せ"。汗に濡れた上半身裸の佇まいで、一点を見つめ、本編ラスト以上の形相で、"明日あなたに会う/あなたに会う/それで幸せ"を溜めに溜め吐き出し歌い、リフレインし続けた。

終焉はダブルアンコールにて。下津はギターをかき鳴らし、ついには弦を毟り取った。ほんとリアリティのある瞬間だった。

終わりがあるから、笑顔でまた会おうというのだ。笑顔と泣き顔を使い分ける社会で、また一つ踊ってばかりの国に教えられた気がする。