DISC REVIEW

シャムキャッツ

『VIRGIN GRAFFITI』

―椿と烟よ、永遠に―

 両手で水を掬っても両端からこぼれてしまうように、人は掴めそうにないものを掴もうとする。ないものねだりでも、何度もする。回数を重ねるごとにその悲しさも理解しているはずなのに。

 究極的には、今の私たちにできないことは、“はじめの一歩”だろう。最初の一歩がいかに難しいかを知らずに言っているが、少なくとも私は誰かが行ったことを繰り返すことに虚しさを感じている。

 本作にも、そんな現在の普遍的なテーマが宿っている。ふと、タイトルと作品を聴いて、なんとなく頭を過ぎったのは夏目漱石の『それから』だった。文学的なアーティストがよく引用したりもじったりすることで、何かしらの関連性は感じていた。直観的にそれを読んだ結果、大いなる興奮を得て、この作品同士をこじつけることにした。

 「逃亡前夜」から始まる本作は、世俗からの逃亡、その願望をロックの原則に従って表現している。

 それと、『それから』の主人公代助と三千代が背徳な関係に至った結果、明治時代の社会的な枠からはみ出そうとする終盤のストーリーが妙にリンクしてしまう。

 代助と三千代のその後はここでは描かれていない。しかしその後の希望的観測を謳ったとするなら、愛の桃源郷を歌った「おしえない!」愛の理想郷を歌った「このままがいいね」が最適なBGMだ。

    簡単に言えば、資産家の次男代助は、無理に外国と肩を並べようとする本国に不満を吐き、金のために働く事への不満を語り、親の脛をかじって生きていた。そんな彼が、背徳の関係だった始まりはさておき、三千代と生きるために、働くことを決意するまでが描かれている。

    私は寒気がした。日本の状況、若者の思想、そして私が常に考えてきたこと、そのすべてが、この物語に、戦後ではなく戦前の明治時代に言い尽くされていたことに。夏目漱石に先見の明があったのか、私が古風な人間なのか。

    儚くも私の『VIRGIN GRAFFITI』たる思想は崩れ去った。

   2019年に最も難しいことは、最初の筆を下ろすことだ。もうすべてはやり尽くされている。そこから逃げる事など出来ない。まさに"100回やっても 1回目と同じ?"なのだ。

    シャムキャッツにとっては、本当の"VIRGIN GRAFFITI"を作ることが一番難しいと思う。だから彼らは今のシーンから逃亡する。なぜなら、今のこの世界にはひとつも"処女作"など存在しないからだ。それが出来た時、本当の"完熟宣言"が出来るって話よ。