DISC REVIEW

小山田壮平

『THE TRAVELING LIFE 』

 

―2020年ロックへの旅―

 

 ロック・バンドは長い活動期間の中で純なロックから一度離れることがあるが、いずれ彼らは戻ってくる。BUMP OF CHICKENにとっては『RAY』がそれにあたるものだった。andymori、ALを経て、初のソロ・アルバムとなった本作は、小山田壮平ロックへの帰還といえるものになっている。

 音楽家がロックから離れる理由はマンネリ化や色々な理由があると思う。そしてまたロックに戻ってくる理由も様々だろう。ただ、やはりロックの自由性にもう一度触れたいという欲望が出てきたのもひとつの理由だろう。もちろん小山田壮平はずっとロックを奏でていた。ただ、andymoriのラスト・アルバム『宇宙の果てはこの目の前に』は、確実にロックの限界を見限った作品だったし、ALというバンドもロックを愛しながらも、どこかロックと距離を置いていたと思う。そういった意味で、このソロ作は原点回帰とも受け取れる、ロックのど真ん中をいくアルバムとなった。

 ソロになると、それ以前との違いを語らざるを得ないのだが、メンバーが変われば音も変わる、しかしシンガーソングライターの小山田壮平がいれば何も変わらない、と言いたい位ストレートな音が鳴っているのも事実。ただ、このソロ作で彼の個というものがより顕著に出たことで、新たな魅力を発見することにもなった。今まで彼のことをロック・バンドの一員だと認識していたのだが、違った。今回はっきりしたことは、陳腐な言い回しだが、彼は生粋のロックンローラーだったということ。私が同じように感じる人たちは、ザ・クロマニヨンズ甲本ヒロトや、フジファブリック志村正彦だが、この人たちに共通しているのは、舌足らずな方々という特徴。つまり、言語で伝えるより、音と歌詞によって思いを伝えることに長けていると思う。このソロ作で歌詞の乗せ方や節回しに、彼の舌足らずさが如実に表れている。そして、こういう人はカワイイという見方もできる。結果、小山田壮平が異性受けする理由が分かった気になった。まさにロック・スター。

 音楽的な部分の特筆すべき点は、「旅に出るならどこまでも」のポスト・パンクな始まりから、ブルース・ロックに転換していく2分23秒からのCメロのエモーショナルなコーラス。ガレージ・ロックリバイバルな「Kapachino」の、本作ハイライトとも言える1分55秒からのエンド・ロールまでの高揚感ある瞬間などがある。

 歌詞的な面では、ギター・リフレインがループし続ける「HIGH WAY」の《じーっとその一点を捉えていればいつかは訪れる光が必ずあるから》と、前述した「Kapachino」のラストの疾走感の中歌われる《霧の中を 闇の中を》という歌詞。ポップ・ミュージックに欠かせないワードを忘れない正しい音楽家としての姿勢が窺える。

 本作は、小山田壮平ロックへ再び旅立つ、という意味も含んでいると思う。そのテーマソングには「OH MY GOD」がマッチする。オーマイゴットをカンカン照りの青空の元で無性に聴きたくなった。すると、どうしても2020年という年に本作が産み落とされた理由を深読みしてしまう自分がいる。ガレージ・ロックリバイバル、リズム・ギターのループ、リード・ギターの旋律の美しさ。2020年的でないものが2020年感にフィットしている、何故だ。THE BOWDIESのROYは”ロックは変わらなくていい”と言った。その通りだ。くるりの『thaw』を聴いた時も近しいものを感じた。2010年代と地続きで行くなら、現代的なロックの傾向は、黒人音楽のR&Bが白人音楽のロックン・ロールになり、そのロックが新たにブラック・ミュージックのソウルやジャズの要素を取り込み再構築することであった。そういった最適化されたコンテンポラリーさが私たちには必要だった。

   そう、コロナが出てこなければそれで良かった。しかし、コロナ禍以降、何故かそれらが与える直接性が徐々に薄れているような気がしてならない。もしかしたらライブがあれば事態は変わっていたのかもしれない。そういった中、小山田壮平の本作からは、ロックの現象的なエネルギーが余すことなく伝わってくる実感がある。しかしそれには、ひしひし伝わるというポジティブな表現を使いたくない自分もいて、薄ら寒く首筋に伝わる感じと言っておこうか。コロナは人間の生存圏を根本的に変えてしまうのかもしれない。そして、それは私たちと音楽の関係も変えた。ソレラによって、私たちは必要と思っていた本質的なものさえ奪われてしまうのだろうか。『THE TRAVELING LIFE 』が、この2020年に確実に体に響いてくることに歓喜しながらも、今は何かしらの終焉の予感に、戦々恐々とした思いが消えないでいる。