DISC REVIEW

ヨルシカ

『盗作』

 

―没個性勝利の方程式―

 

2020年のガラパゴス化した日本のポップ・ミュージック・シーンを肯定的に捉え、多岐にわたっているのがDTM、ボカロ出身のアーティストであろう。それらの音楽が海外の音楽を遮断した上に成り立っていると言いたい訳では無く、種々の音楽家も海外からの音楽をうまく享受出来ない状況に憂い、(これだけインターネットが発達しているにもかかわらず)そして、どこかの地点で線引きをする決心をせざるを得なかったのだが、それに成功したのが彼らだろう。

ガラパゴス化した日本の音楽シーンで、井の中の蛙になっているように見えても、そもそも大海は無いのだと言い切った。ヨルシカもそういった音楽家の一組なのだと思う。

ヨルシカはBUMP OF CHICKEN以降のアーティストであり、おそらくバンプのフォロワーの一組だ。そのフォロワーは概ね2種類に分けられる。ひとつは音楽的世界観のフォロワー。例えば、じん(自然の敵P)がそれに当たる。もうひとつは歌詞的世界観のフォロワー。amazarashiがそれに当たる。ヨルシカは前者の側面が強い音楽家である。

本作で印象的なキーワードを上げると、昼鳶(盗人)、春ひさぎ(売春)、爆弾魔、美人局などがある。それらがブラック&ピンクな色彩を作品に塗り付けた事で、ヨルシカのロックからは仄暗い光が残像のように明滅し続けている。

ピアノから始まる「音楽泥棒の自白」ではベートーヴェンの「月光」を引用し、「昼鳶」、「春ひさぎ」では現在のJ-POPやボカロの主流になっているアシッド・ジャズの引用が見られる。タイトルが2つの言葉になっている曲たちはインスト曲として、本作をコンセプチュアルなものにするのに一役買っている。全体を通してギター・ロックに乗って物語は進み、最後はポップに閉められるのだが、先に述べたキーワードの影響で奇妙な感覚が拭えない。《忘れておくんなまし》という言葉選びも気になるし、鈍痛のような後味を残す作品となっている。

ガラパゴス化した日本の音楽シーンで何故彼らは、DTMやボカロを出発点として、何かしらの航海を始めようとするのか。いつも浮かんでくる言葉は、平準化による没個性。いずれにせよ個性は死んだ。私たちは、個性が死んだリアルな日本を捨て、均一化されたインターネットで新たなる個性を導き出そうしているのかもしれない。個性のない世界から個性を盗みだす。ヨルシカの『盗作』とはそういった作品ではあるまいか。