DISC REVIEW

BUMP OF CHICKEN

「Gravity 」

 

―陽はまたのぼりくりかえす―

 

 『Butterflies』で、藤原基央の作り出した旅人は、空想の世界から飛び出し現実の世界で「ファイター」となった。反対にバンプの4人は「Butterfly」として、空想の世界へみんなのバンプを体現する為飛び立ち、旅人が歩んできた道をリアルに追体験するという物語があった。そして『aurora arc』は、4人の旅の一つの節目だった。その中の「流れ星の正体」という曲は、バンプが彼らにとってのシェルターとしての役目を終えたことを伝える曲でもあった。

 ここ数年の彼らの曲は、元・旅人側とアイコンとしてのバンプ側、この二つの視点から歌われていて、それははっきりとしていた。しかし今回の「Gravity」で、その点は明確になっていない。元・旅人はもちろんいないし、アイコン・バンプとして歌われたという印象も受けない。それらのことが、彼らが新しいフェーズに入ったことを示している。

 新たな季節に入ろうが、藤原基央の歌詞の切り口には、常に宇宙との関係性が存在し続けている。今回のタイトルをごく簡単にとらえると”重力”ということなるが、今回の歌詞との関連性を考えると”重力と時間”の関係がポイントになってくるだろう。一般相対性理論でいうと、重力の度合いが変われば時間の経過も変化するという。時間の刻印を忌み嫌いながらも、それを受け入れ、季節が過ぎ去ったあとも、それが存在していると信じていることと、無くなったとしても、そこに存在していたことが”重大なこと”であると、ヘヴィに伝えることが今回の藤原節であろう。

 その藤原節を伝えるロック・バンドとしての骨子は変えず、しかし常にコンテンポラリーなポップ・ミュージックとしての機能を保つためにバンプは変化を厭わない。

「Butterfly」でEDMにヴィヴィッドに反応して以降、「記念撮影」でのトラップ・ビート的な解釈。今回は、エド・シーランのようなギターのカッティングで静かにビートを刻みながらBPM80程度の速さで曲は進む。アクセントとして入っている32ビートのハイハットやリズムをとるマラカスの音も良いエッセンスとなっている。エンドロールの藤原基央のラップ・ミュージック的な歌唱は、「記念撮影」の傾向を引き継ぎながらも、珍しいアプローチであるし、ここでも新たな地点を感じることができる。

 悪い癖はいつまでも直らない。彼らの曲を長く聴き続けている人ほど、過去の曲との関連性を探そうとすると思うし、私もそうだ。しかし今回の曲は、そういうものからするりと抜け出してしまう。自分の見識が枯渇してきたのかもしれない。曲調としては「コロニー」に近いと言えるのだが。

 もういちど一般相対性理論の話の戻ってみよう。重力は空間を歪ませ、時間の進みを変化させる。重力ポテンシャルの低い地球(地表)では、高い宇宙空間(上空)と比べて時間がゆっくり進むという。《飛ぼうとしたって/羽根なんか/無いって/知ってしまった/夏の日/古い夢を一つ/犠牲にして/大地に立っているって/気付いた日》「Stage of the ground」の歌詞を引用する。解釈はどこまでいっても解釈で終わるが、バンプがずっとGravityを受け止めながら、地に足を付け続けてきた意味が、今、分かった気がした。

 時を戻そう。なんてことは出来ないかもしれないが、いずれふりだしに戻るし、陽はまた昇り繰り返す。だから私たちはココにいる。地球にいた頃はゆっくり時間が進んでいたよね、と何十年後かに言っているのかもしれないが、それはまた別の話。