DISC REVIEW

ラブリーサマーちゃん

『THE THIRD SUMMER OF LOVE』

 

―3年目の浮気なんて...ラララ―

 

 最近、著名人の不倫がよく報道されている。もちろん今に始まったことではないのだが、よく耳にする。そして、そういう事件に対して、男性側と女性側では明らかに見方が異なる。どちらがどうかについては言わずもがなだが。おそらくこういった物事の視点の違いは、極端に言えば江戸時代から変わらないのだろう。もちろんここで不倫の是非について議論したいわけではない。男と女の視点の違いは常に存在し続けているということだ。

 かなり前から思っていることがある。それは、なぜチャットモンチーみたいなバンドが男性側から生まれてこないのかということ。簡単に考えれば男だけでは過去の偉大なバンドの模倣になってしまい、新たな発想をもったバンドが作りにくいから、ということになるだろうか。こういった考え方は古い?しかし、チャットモンチーが男3人組のバンドだったらどうだろう。考えられないし、やっぱり時代に則さないと思う。ガールズ・バンドであることの必然性がそこにあったことは確かだろう。

 もうひとつ、2012年にTHE YELLOW MONKEYの『Romantist Taste2012』を聴いた時、こういうバンドが今の日本の音楽シーンに欲しいと思った。イエモンのロック・バンドとしての位置付け云々はさておき、ロックとしてのヤバさ、実際それが偽物のヤバさだとしても、そのように感じさせてくれるキワドさを持ったバンドが必要だと思った。

 そういった、女性がロックを歌うことの可能性の提示と、ロックとしてのヤバさを2020年に両立させた方がいる。それが「可愛くてかっこいいピチピチロックギャル」というキャッチコピーを持つ、ラブリーサマーちゃんだと思う。彼女のサード・アルバム『THE THIRD SUMMER OF LOVE』はグラムロックな色彩とサイケデリックな空気感が漂う作品で、ポスト・グランジの「心ない人」、シューゲイザーな「豆台風」等と、レトロスペクティブなロックを再現している。

 これをもし男性ソロ・シンガーが演じたとするとどうだろう。やっぱり面白くない。彼女をネットで調べてみると”ブリグリ×相対性理論”と称されていた。たしかにそうです。相対性理論は2006年から活動しているので同時代性はもっていて、過去のアーティストの範疇には入らないが、90年代末の日本のロック・シーンで活躍したthe brilliant greenを2010年代以降に体現するとは。ブリグリを愛聴していた私としては、そこにどういった必要性があったのかを考えてみた。もちろん彼女自身も好きなのだろう。本作にもブリグリを彷彿させる楽曲が含まれている。

 2010年代にもブリグリに影響受けたアーティストはいるのだが、ほとんどはバンド・サウンドとしての体現となっている。それはそれで優秀なバンドであるのだが、ほとんどの作曲を行っている奥田俊作の影響を受けているという意味になり、川瀬智子のロックとしてのヤバさを体現している方はまだ見たことがない。

 殊にラブリーサマーちゃんは、90年代末のロックの音楽的な影響と、その時代を支えていたロック・シンガーとしてのヤバさをようやく体現できた、又はハイブリットできたアーティストだとも言えるのではないか。

 そういったヤバさという点では彼女の歌詞にも注目したい。前述の「豆台風」で、風通しの良いメロディーと共に歌われる冒頭の歌詞は《小腹が空いたと手に取る/可も不可もない菓子パンのように/ただそこを通過するだけの音/紛い物だって本物だろう/消費する君と/されるだけの》。無意味に見える歌詞がロックの可能性と強度を上げることを彼女は本能的に理解しているのだろう。意味が無いように見えても、そこに含まれているのはポップ・アイコンとして消費されることへの冷めた視点。だが、そこから感じるもう一つの意味は、男女関係のヤバさだった。さらに「心ない人」の歌詞では《想わせて拒んで壊して繰り返して/優しい心がなおざりになっていくね/(どうする?さよならする?…さよならしない)/誠実さってなんだったっけね》とヤバい歌詞が続く。

 事あるごとに不倫のレベルを心配する。同じ不倫だとしても片方は“特別警報級の不倫”だというし、方や“豆不倫”だという。その議論は永遠に終わらないだろうし。そういったときに《誠実さってなんだったけね》という歌詞が嫌に轟くのであった。総合的にみて、ラブリーサマーちゃんみたいなアーティストは2020年に必要だという結論に達した。