DISC REVIEW

UNISON SQUARE GARDEN

『Patrick Vegee』

 

―君はなぜニンジンを残したのか?―

 

 何度でも言おう。UNISON SQUARE GARDENはポップのフォーマットでロックを奏でてきた。そして今もしているし、これからもそうだろう。それはポップなロックをすることと同意語だと思うだろうが、そうではない。あくまでもロックそのものであり、あまいポップをふりかけたものではない。ただ、ポップのフォーマットで勝負しているので、ジャケットワークや語彙の選び方、歌唱の見せ方や佇まい等は、すべてポップな形に一貫している。しかし彼らが生み出したものはあくまでもロックなのだ。特にほぼすべての作詞作曲を担っている田淵智也からは、”あくまでもロックにこだわる”姿勢がありありと見える。

 だからこそ苦しんできたバンドとも言えるのではないか。ロックが大正解な時代ではない今、あえてロックをすることの不毛さと、ここ数年はずっと戦い続けてきたような気がする。その戦いに見切りをつけた同世代のバンドもいただろう。では何故ユニゾンだけが、ポップのフォーマットでずっとロックし続けられているのか。何度でも言おう。繊細な《カナリア》のような声で歌い続け、不死鳥のごとく復活した斎藤宏介と、バンドのアンサンブルの核をブレずに担い続けている鈴木貴雄、そして田淵智也の究極のポップネス。どこにもロックがでてこない?しかし、このトライアングルが弱そうに見えて恐ろしく強固だからこそ、これがロックへの布石となり、今も彼らはロックバンドとして存続できているのだと思う。

 今作はその一つの答えのようなものが示された作品である。アルバムの音楽的な傾向は、ダンス・ロック、メロコア、エモ、ヘヴィ・ロック、四つ打ち、ガレージ・ロック、ポップ・ロック、アシッド・ジャズ等の楽曲がちりばめられた作品となっている。分岐点になるのは「Catch up,latency」。名曲「クローバー」と初期の楽曲「フルカラープログラム」を両立させたような、過去の楽曲の再構築がバンドの歴史を感じさせる瞬間となった。ココをキリトリ線にして、その後の「摂食ビジランテ」が空気を一変させる。ヘヴィな音像と、おなじみの田淵智也的歌詞の悪ふざけに拍車がかかっていくが、同時にこの曲が本作の裏主題曲と言ってもよい。《万人が煽る/ユートピアに期待なんかしてないから/今日は残します》という今のユニゾンを言い表した歌詞。この残すものがおそらくは嫌いな人参なんだと思う。そして、ここから何故ソレを残したのか?という疑問符を残しつつ作品は流れる。

 アルバムはラストに向かうごとに、ユニゾンのロックへの切実な恋慕が歌われ続ける。「Phantom Joke」の《邪魔すぎる運命のターゲット睨みながら/言えそうで良かった「まだ愛していたい」悲しくちゃ終われない「まだずっと愛していたい》、「弥生町ロンリープラネット」の《あいまいを無理やり勇気に置き換えて/ふいをついて君に触れてみたいな》、「101回目のプロローグ」の《君だけでいい/君だけでいいや/こんな日を分かち合えるのは》等の歌詞からそれが窺い知れる。

 こうやってユニゾンはロックに向き合ってきた、届かなさそうな高嶺の花を追い求めるようにロックを追い求めてきた。そういった危険を伴いながらロックを追う姿が、自ずと今回のアルバム・ジャケットにリンクする。宇宙服っぽいのを着て、人参を掲げるウサギをみて、誰もが十中八九ピーターラビットを想起するだろう。マグレガーさんの農場に、殺されるリスクを背負いながら野菜を食べにいくピーターラビットと、音楽家として必ずしも商業的な成功と結びつかない、ロックへのこだわりを捨てずにサバイブする彼らが重なりあう。

 お皿の上の最後に残った、一片の人参。レミゼラブルのように、たった1本のパンを盗んだために19年間も投獄されることだってある。死のリスクがあるとしても、その嫌いな人参を盗む意味があるだろうか。でも私たちはやっぱり掴もうとするだろう。だって信じたいじゃない?残りものには福があるって。たとえニンジンだとしてもさあ。