DISC REVIEW

betcover!!

『時間』

 

-新たなゼロ地点の狂気へようこそ-

 

ずっと騙されていたことに私はようやく気づかされる。ヤナセジロウという若者によって。よりにもよって、古典的な狐につままれていたとは。希望も絶望もすべては、何かを基準にした相対的な事柄によって決定づけられていることに、私たちは薄々気づいていたはずだ。世界がつながったことによって、それに拍車がかかったことは言うまでもない。

パンク、ニューウェーブ、メタル、ハードロック、ネオアコ、ダブ、ハウス、ジャズ、ボサノヴァ、フォーク。音楽的要素を上げるとこのようなものが渾然一体となり本作を形作っている。しかし、オルタナティブロック以降ということを考えれば、斬新という言葉は当てはまらないだろう。もちろん彼の音えらびのセンスは不可欠。だがそれ以上の何かに心を揺さぶられる。やはり彼の歌声の、高音と低音の行き来がbetcover!!の魅力になっているとしか考えられない。

それはさながら、ドップラー効果のように。ヤナセジロウの高音がせまり、低音が遠ざかる。そう、時間のへんげ。それが奇しくも、彼が描く歌詞世界の過去と未来にリンクしていく。 ‘‘あいどる”の《これから起きること全部夢でよかった》という歌詞が飛び出したとき、私が基準にしていたゼロ地点が儚くも崩れ去る音が聞こえた。少なくともヤナセジロウにそのゼロ地点は存在していない。

“島”の《僕の涙は僕の島で晴れました》が象徴するように、ここにあるのは絶望の喪失だろう。これからの未来は絶望的だという視点は、あくまでも過去との対比で生まれてくるもの。つまり歴史上の過去を無きものに出来れば、その比較は生まれない。私が持っていた、これまでを基準にした見限った世界はもう存在しないようだ。もちろんこれからの世界がハッピーしかないと、楽観しているわけではない。もしそうなら“あいどる”の様な歌詞は出てこないはず。当然の未来を予感できるからこそ、それを夢でよかったねと言う。これは2021年の時代性を射抜いた歌詞だ。私たちが住む島、今この瞬間を絶望でもなく希望でもないゼロ地点にするという荒業。ヤナセジロウが描く本作は、もう一度ゼロ地点世界をスタートしようという肉体性をもった、新たなる幸福論といえるだろう。