DISC REVIEW

Playboi Carti 

『Whole Lotta Red』

 

―絶対に笑ってはいけない時は終わっても、誰も寝てはならない時はもうそこまで迫っている―

 

ポップミュージックは図らずも予言になりえる。レディオヘッドの『キッドA』と『アムニージアック』は結果的に今のネット社会を予見していたと言える。前者のタイトルにある匿名性はSNSの自由性と同時に危険性の予言だった。また、後者の記憶喪失者という意味に込められたアンチ・コミュニケーションなスタンスは、百鬼夜行と化したメタバースにおいてのリスク回避の方法論だった。2つの作品は発売から20年目を記念して1つのアルバム『キッド A ムニージア』として発売されたが、それが今年だったのは何かしらの啓示なのだろうか。

レディオヘッドのロックがトラップ・ミュージックを作り出したといえば言い過ぎかもしれない。しかし、少なくともトラップを駆使するプレイボイ・カルティの音楽に、前述の2作品が何かしら影響を与えていると私は思う。ヒップホップはテクノから生まれた。そこからトラップが、ヒップホップとテクノの融合から再構築されたと考えた場合、ヒップホップからトラップが生まれる過程において、ロックにエレクトロを取り入れたレディオヘッドの功績が関係しているはずだ。乱暴な言い方をすれば、エレクトロを取り入れたロックをヒップホップが飲み込んだ結果、トラップが生まれたとも考えられるのではないか。

そういえば、絶対笑ってはいけない時はまだ続いているのかい・・・?2020年のパンデミックの事である。そんな最中にトラップ・ミュージックに最適化したマンブル・ラップの、もごもごラップスタイルは、奇しくもコロナ禍にも最適化したと言えなくもない。もちろん感染を危惧して、腹話術みたく、ボソボソ伝えているわけではないのだが。そろそろだね・・・絶対笑ってはいけない時間は終わりを告げるだろう。そういえば腹話術で出しにくい言葉は破裂音だと最近知った。私たちが秘密裡に無表情を決め込み、爆笑しようとした場合、確実に最初は破裂音になるはずだし、プレイボイ・カルティもそろそろ思いの丈をシャウトしてみたりするだろうか。無論それはない。やはり、それはロックの役割だろう。トラップには出来ないし、カルティも自身の役目だとは思ってない。

『Whole Lotta Red』は《Never too much(決してやりすぎない)》、《Rockstar made(ロックスターが作った)》というメッセージの反芻で始まる。ようやくそこで気が付いてしまったのだ、私は。レディオヘッドの絶望的な美しき調べを、あれ以来失ったままだった事に。もちろん今それをロックで再現する事は、ストラディバリウスをもう一度作る事くらい困難だと理解してもいる。だからロックと同じ事はできないがトラップなら出来る方法でカルティは今と向き合っている。つまり、20Sな手法でヤル表現者としての合言葉が“決してやりすぎない”であり、あれほどの絶望を美しく届けられたのは20世紀末に機能していたロックだから成し得たのだと、自分自身を納得させる為のおまじないが“ロックスターが作った”なのだ。

レディオヘッドの予言した世界は現実となった。では、プレイボイ・カルティは今、何と向き合っているのか。マンブル・ラップは、SNS社会のコミュニケーション過多に対して、非コミュニケーション化という名の防衛対策となった。また、本作の曲名に含まれるリート語は、夥しいメッセージ性の洪水に怯えた私たちのために、希薄化の仮面を被った表現方法という武器として確かに機能していた。そう、そうなのだ、彼は今に最適化した「ロックスターの正解」を見つけるため、そのために戦っている。しかしだ、例えば流行りのSDGsの範疇に正解などあるはずも無い。そしてプレイボイ・カルティも、答えは外側にあると理解しつつも見ないふりをして、その中での適正な、戦いを続けている。何故なら正解を出すまで眠ることを許されていないから。そして、それは私たちも同じなのである。