DISC REVIEW

NOMELON NOLEMON

『POP』

ーボカロだけが創れる、世界で1つだけのポップとは何なのかー


ボカロだけが作れるポップの正体をずっと探していた。音声合成技術は電脳にある膨大な音楽ライブラリから食指の赴くままにオトを選び音楽を作れる。その音楽的密林とも言うべき場所をあいも変わらず踏みしめる方々がいる。果たして彼らは世界で一つだけのポップを見つける事が出来るのだろうか。

おそらくボカロPのツミキは、それを密林の中で見つける事は困難であると既に理解し絶望していた。だからこそSSWのみきまりあを相方に迎え、ノーメロンノーレモンというユニットをスタートしたのだろう。名前に隠されたニヒリズムが“イエロウ”で端的に表されている。《僕らはメロウ》《でも溶けてゆくイエロウ》この歌詞には、開始点に立つ自分はもう皮肉にも成熟を余儀なくされ、レモンのような瑞々しさを醸し出す事も許されない事に対しての冷めた視点が存在する。

2022年私の中で沸々と湧き上がるのは、過去のシティーポップの再評価や盛り上がりにアイスバケツチャレンジを求めたい気持ち。80sの日本の音楽は豊潤なリソースを元に成り立っていた。その頃の音楽が作り込まれた素晴らしいものだった事実は認める。ただ、それをあの頃の日本は良かったという風潮と混同してしまうのはどうだろ。私たちが必要なのはそういった幻想を早く消し去り、前に進む事。そう、バブル期の怨霊の息の根を止めるのは今なのだ。

2人は密林の中、随分遠く迄来た様だ。そして世界で一つだけのポップを生むための鍵を手に入れる事が出来たのかもしれない。“umbrella”の《偽物の筈なのに造花が何より美しい》という歌詞から感じるのは、ボカロから生まれた潮流がニセモノだと理解しつつも、そこから生まれた自分が作り出した音楽=造花であることの正しさへの確信だ。当然である、豊かな水源には過去の膨大な音楽レガシーがある。それを使い現代的な音楽をつくる事が可能なのだろう。最終的に80sらしい何がしかを無くなるまで消費し尽くしたりも。しかし、彼らは次の予兆も察知している。《きみがぼやけてみえなくなるまで/ただそれをみていた願うように/本当は解っていたの/もうきみは居ないこと》という歌詞から滲み出るのは何らかのあきらめ。全ての音楽を使い切ったとて、いにしえの素晴らしき世界が復活する訳では無いし、生々しいリアルが生まれる気配もない事を既に悟っている地点から彼らの音楽は始まる。いつまでたっても、世界はノーメロン ノーレモンと呟く。ボカロを出発点としたクリエイターが創る音楽の可能性とは、諦念を秘めたポップとして輝く事に尽きるのだ。