DISC REVIEW

山﨑彩音
『 魂のハイウェイ』


ー世界がもし100人の村だったとき。そんな場合に必要な音楽とは?ー


山﨑彩音が自身の弾き語りの価値に意識的であれば、今作には到達しなかったかもしれない。つまり無意識にロックの偶像感を表出させた才能がその後のストーリーを変えてしまった。もちろん意識的である事だけが正しい訳では無いが、表現者として受け手側にどう伝えるかというプロセスがあって、それが正しい時に商業的な成功がある。矛盾した言い方だが彼女の弾き語りがファンタジーに実在しそうなDIVA像を体現出来ているからこそ、現実の世界でのリンク点を見つけ難かったとも言える。

おそらく、アンビエント・ポップと彼女の歌が交差する事は時間の問題だったと思う。何故なら最もリアリティを感じられて、それがロックだから。ドリーム・ポップやダブの電子音楽によって神秘的な楽曲になるのは当然なのだが、そこに彼女の歌詞が乗ったとき、ポップとしての批評性が弾き語りよりも確実に増していると思う。シガー・ロスを彷彿させる47秒の“Sweet Planet ”から、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドな音世界の“引きあう”では、《アイフォーンと夢を見たあなたは冷たい大人になり》と、クールな視点の歌詞で突然に肝を冷やされる。

いやはや、一向に解けない問題というのはあるもの。千年の一滴の出汁の存在意義は計り知れないのだか、音楽としてのソレの存在意義はどうだろう。本作に存在する空白を強調する歌詞やスペースを空け続ける無意識なる律動。何かを生み出すための千年の月日をこの作品は渇望している。つまりは意識的である事の拒否がこの作品のアバンギャルドさを支えているのかもしれない。

まっしろでいたいまっしろでいたいという漂白観念の旅の果てに辿り着きたい無意識なる園が本作の終着点となる。そこは人口100人の村。ショウビスの世界とは無縁で、ただそこにいる人へ直接音楽を伝えられる場所。そんなところでは、この歌は確実に伝わっていく。もちろんポップの魔力を否定している訳ではないが、この場合、重要なのは答えでは無く、そこに行き着くまでの過程に意味があったりする。魂のハイウェイ上で抜き去りたい、抜き去るべき景色があるんだよ。それはポップの常習性を禍々しく私たちに見せつけてきた張本人。そう、過去のシティーポップに他ならないのだ。