DISC REVIEW

坂本慎太郎
『物語のように』


ーみんな違ってみんな笑うまで続く楽しい自粛生活ー


明るい作品というコピーにおよび腰になりつつ訪れたが、どうやら違ったようだ。むしろいつもの坂本慎太郎だろう。“フリー・ジャズ×チルアウト”な「それは違法でした」で歌われるのは、コロナ後の世界も加味し、多種多様に加速していく違法化を皮肉る視点である。物語は電子音による“人間味のない情景”から始まった。

明るいという表現の正しさは、古典的なアメリカのポップのドライな愉快さや、サーフ・ミュージックにある西海岸的な楽天主義をベースにしている事に裏打ちされる。しかし、これまでの彼の作品にもこの要素はあった。ならば、明らかに変わったのは、それを見る外側の感覚だろう。つまりこの物語にあるのは、明るい世界の崩壊から始まった明るさ、と言わざるを得ない。

絶望フェチにとっては悲しい事である。なぜならそれは世界の明るさの中でしか生きていけないからだ。その比較対象の楽しい現実社会という世界が揺らいでしまうと、おいそれと絶望もしていられない。もちろん、ポップやロックの役割もそれによって大きな影響を受けた。では彼が描く楽しいと悲しいの対比は何処へ行き着くのか。

その答えの一つは「浮き草」にある。水商売を例えた題で、音楽家の悲哀を歌う。《なぜみんなと違う?》《なぜみんなは笑う?》と疑問を呈しながら、自分が正しいと思うことをやっていればいいと、背中を押す様に歌われる。誰かにとっての悲しいは誰かにとっては楽しいにもなり得るのだ。本作のカーテンコール前と言える「愛のふとさ」は“フリー・ジャズ×ソウル”で、ようやく物語は“人間味のある情景”に戻る。あなたにとっての自粛生活は上がってたの?下がってたの?この際、はっきり言っておこう。