DISC REVIEW

tacica

『singularity』

 

ー不確かなものを確かにするためにtacicaが選んだ10年後の景色とはー

 

悔恨からの懺悔、そして贖罪へ。『Jacaranda』から受け取った、その想念こそ、カタルシスの要因であった。00sの日本のギター・ロック、その1ピースとして、私にとってtacicaは必要不可欠な存在だった。しかし、出会いがあれば別れもある。『Sheeptown ALASCA』以降、彼らと距離を置いたのは確か。理由は私個人の飽き性か、時代の必然なのか…。言い訳をしておこう。正しいものであればあるほど、好きなものであればあるほど、人はそこから一度、離れなくてはいけなくなるのだ。

時代のせいにするなら、日本のロックの価値観は3.11で一度分岐点を迎える。それによって陽性判定となったバンドは方向転換を余儀なくされた。だが、彼らは陰性だった。では、何故。強いて言うなら、正しすぎる事は時に罪になるという事だろうか。その後の十数年は、猪狩翔一のメロディメーカーとしての力量を武器に、J-POPをパンクに消化し続ける事で、バンドとして生き残ってきたと言える。

屯田兵の末裔はカムイに背き続ける。無駄にこじつけてみた。十数年前、彼らは北のバンプと呼ばれていた。今、敢えて共通点を探すなら、どちらも無神論的な思想を持っているという事だろうか。一つの正しさにこだわり、神を信じず、tacicaはサバイブしてきたのかもしれない。

tacicaが語る話には常に救いがあった、それが懺悔から始まるものであっても。だからこそ、逆に息苦しくて一度離れてしまった。絶望的なものをパンクで表現するバンドには短命が付き物だが、彼らはまだ延命し続けている。十年余りが過ぎ去って、懺悔から始まった景色は今、何処に到達したのだろう?ーーーいや、そうじゃないのだ。それが“デッドエンド”の歌詞でわかってきた。《来た場所へ帰ろうとして辿り着いたのがこの場合だっただけ》これを、受け手側の視点と捉えてみると。そもそも、彼らは何処にも旅立ってなどいなかったという説が私の中で浮上してくる。彼らがずっと続けてきた定点観測、そこにこそtacicaが掴んだ確かな景色があるのだと。