DISC REVIEW

ザ・チェインスモーカーズ 『コラージュ』
THE CHAINSMOKERS『COLLAGE』


チェンジ・ザ・ワールド
―Change the World-

 

    音楽とは、人と人とを繋げるもので無くてはならない。改めてそう思った。SNSで世界は繋がったというが、そんなのは嘘だ。ネットでつながって新たな人間関係が出来たから故、そこにはまた、不謹慎狩りや、LINEの友達グループ外しなど、不毛な論争や抗争が生まれた。つまりそれは、現実世界と同じ人種差別や部落差別的なことを仮想空間で繰り返してしまうという結果だったのだ。私たちはただ繋がりたかっただけなのに。ネットでつながったからこそ、世界はまたバラバラになった。今、新たに繋げるための何かが必要だ。
 音楽は人々を繋げられる。ダンスも人々を繋げることが出来る。ならばEDMも人を繋げることが出来るだろう。だとするなら、ザ・チェインスモーカーズの『コラージュ』という作品も人々を繋げることが出来るはずだ。   
   特に昨年あたりから、EDMが世界のポップ・ミュージック・シーンを席巻し尽くした感がある。猫も杓子もEDMかよ。でも、EDMが伝播した理由など考える必要はないだろう。乗れて、楽しくて、ハッピーでちょっぴり切ない。こんな音楽は誰もが好きになって当たり前なのだ。そう考えるとEDMをやれば売れるということになる。確かに今なら売れ時かもしれない。でも、だからってすべてのアーティストがEDMをやるというのはどうもリスナーに迎合してしまう行為なんじゃないかと。そうやって妄想していくと最近どこかで聞いたキーワードだ。
 第45代米国大統領ドナルド・トランプ氏が行う政策がポピュリズム大衆迎合主義)だと称されている。一般市民が求める利益や願望を利用して、大衆の支持を得る。つまり、目先の利益を餌にして、人々の票を得る、人気を勝ち取る行為とのこと。何となく似ているような気がしてならない。今、アーティストが安易にEDMを取り入れることはポピュリズムだと言われる、なんてことも…(いや、ポピュラー音楽なんだからいいじゃん)
EDMをすることの是非が今問われているのではないか。
 といっても、ザ・チェインスモーカーズがそんなシリアスな思いでEDMをやっているわけではないらしい。二人は軽いノリでEDMをやっているという。しかし、彼らの楽曲のセンスや、フィーチャリング・アーティストのチョイスが、2016年全米チャート10週1位という結果を残すに至ったことは事実だろう。
 逆にこの現代に、EDM然りテクノやエレクトロニカが無かったらどうだろう。きっとつまらないだろう。音楽で伝えられる楽しさも、その反対の悲しさも表現出来る幅が狭まっていたと思う。音楽的には別だけど、同じダンスという点では星野源の“恋ダンス”もダンス・ミュージックがあればこそ、なのだと思う。
 本作楽曲の歌詞は、五十年前と変わらず、愛や恋などで綴られている。造詣が深い訳ではない。三文小説だよ三文小説!
 それで?だからどうだというのだ。下らなそうに見えた歌詞世界。軽いノリのハイテンションなEDM。そこに見え隠れする喜びと悲しみ。それこそがポップ・ミュージックの原風景なのだ。
 ポピュリズムだかポリリズムだか知らんが、アメリカは、再び多民族をサラダ・ボールに収める準備をする必要があるだろう。
 そして、もしかしたら、EDMはバラバラになった世界の景色をもう一度“COLLAGE”して私たちに見せてくれるのかもしれない。
THE CHAINSMOKERSの『COLLAGE』を聴いてそんなことを思ったのだ。