DISC REVIEW

SZA

『SOS』

 

ー 自分自身でいれば良かった季節の終わりを告げる『SOS』ー

 

SZAがR&Bシンガーだったころがある。少なくとも『Ctrl』、『Z』では現代的という括りであっても、普通の R&Bシンガーでいられたときだった。しかし、今作で彼女は単なる R&Bシンガーから離れていく。それは何のため?更なる成功のため?もちろんそれもあるだろう。ソウルフルな黒人歌手である事に変わりはない。ただ、 R&Bシンガーから離れて行かざるを得ない、抜き差しならない理由があるような気がしていたのだ。

『SOS』と題した本作は表題曲から始まる。90s〜00s R&B・ソウルに、レトロスペクティヴなサンプリングによる引用。そこにトラップミュージックとラップからマンブルラップも入り、ネオソウルの体現となっている。歌詞で歌われる思いはというと、哀しみや怒りから派生し行き着いた先の渇いた喜楽といったものが潜んでいるように感じた。つまり元々悲しみを表現するソウルが哀を抱えるキャパシティを超えて喜に振れたような。もしかして、喜びと悲しみの狭間に彼女の「SOS」の意味は存在しているのかもしれないと思い始めてきた。

変化点は「Ghost in the Machine」だった。トラップミュージックやダブステップブレイクビーツが交差し、それまでの哀しみや怒りから気が触れたように、その感情を根底に宿しながら、喜びや楽しさを醸し出し始める。《ロボットにはこころがある》というのはアメリカ人お得意の考え方でもあるが、別の視点から捉えると、マイノリティな人種である彼女がマジョリティな人種をロボットと捉えて、あなたたちにはこころがあるからね?という皮肉と捉える事も出来るのでは無いか。その証拠に次の「F2F」ではパンクロックに急転換し、カントリーミュージック、フォークロックというマジョリティな音を展開していることも、あえてなのでは無いか。

もう一つの変化点は「Open Arms」となった。フォークミュージックの上で、ソウルを歌い、ラップする。これがSZAの本来のスタイルだろう。本作の中でも、ここで原点に戻るという意味を持たせつつ、フェイドアウトでアフリカの太鼓のリズムが流れる。すべてのポップミュージックの源流はアフリカにあるということを再認識させる事で、この曲が本編の実質的な幕引きの様に捉えられる。

誰も彼もがピーターパンになりたがる。それはピーターパン症候群の話ではなく、みんな主役になりたいというはなし。SNSで世界が繋がった。いいね!によってよろこびの共有が出来ると同時に否が応でも、悲しみの共有が必然となってしまったいま、はたと逃げ場がない事に気がつく。自由を手に入れたはずの私たちは同時に不自由さも背負わされていたのだ。でも仕方がない、SNSで情報を手に入れようという本能は太古の昔から人間のDNAに組み込まれているというのだから。

SZAが単なる R&Bシンガーでいられたころが懐かしい、と本人は思っていないだろうが。SZAがSOSを歌うのは自分自身の為なのか、タガタメか。本作で彼女が本来のスタイルで歌った事も、マジョリティなスタイルで歌った事も、どちらも事実である。ラスト3曲、「I Hate U」は怒りと哀しみを、「Good Days」は哀しみと喜びを。最後の「Forgiveless」はなんとも言えない怒りを。"メランコリーそして終わりない悲しみ"ーーー私たちは喜びと悲しみの共有をした事によって、自らの手で、自分自身でいればよかったという時代の終止符を打つ事となった。SZAが単なる R&Bシンガーを離れていく理由もその潮流を察知した事によるのかもしれない。自分の発信したSOSが簡単に共有され、誰かにとってのSOSになり得てしまう世界になってしまった…でもそれは悪いことばかりではない。あなたはこれからも自分自身でいようとすればするほど、傷つき、疲弊していくだろう。しかし、あなたのこころがSOSを鳴らせば、すぐにSZAの SOSと共鳴、いや、同期できてしまう。2022年とは、そういう時代なのだ。