DISC REVIEW

ROTH BART BARON
『HOWL』


ーキングとプリンスが死んだ後の幸福論を探して僕らは旅立つー


ロックは神と戦うプロセスのひとつだった。過去形である理由は、少なくとも今の日本のロックバンドで神と戦うアティテュードを持つ者は殆どいないからだ。だが、ROTH BART BARONはロックを片手に神と戦っているアーティストの生き残りと言えるだろう。

神と戦うとは、世界と向き合って生まれる言葉をロックに落とし込むという意味でもある。ここ最近の彼らの作品である『極彩色の祝祭』と『無限のHAKU』は繋がりから断絶への過程を表現していたと思う。それは産みの苦しみの如く、絶望を歌うことによってそれらを示す言語を生み出す、というプロセスが反映されていた。では、世界が大きく変わってしまった後に生まれた本作で彼らはどんな言語を生み出したのか。

かまいたちの夜に私たちは嘘と誠を両方手に入れたようだ。かまいたちを妖怪の仕業だと思って体を切られた時は恐怖と同時に少しの神秘性を感じたとしよう。その後、科学的に証明出来る自然現象だと知ると恐怖は失われるが同時に少し退屈になるかもしれない。私たちは嘘を嫌がりながら、誠を知った時の失望を常に恐れながら生きているのかもしれない。

キングもプリンスも存在しない世界を追い求めていた私たちは、それらが本当に死んでしまった後の絶望をぶら下げて新たな希望を模索している。ROTH BART BARONはアンビエントエレクトロニカと、カントリーミュージックオルタナティヴロックを対比する事で、原始的世界から近未来的世界の行き来を表現する。果たして、私たちはどちらを求めているのだろう。BPMの変化によって見える景色は変わるけど、本当に求めているもの自体がわからなくなっているようだ。そんな時「場所たち」の《“何か確実な 確かなもの”が/本当に欲しいかい?/“本当に欲しいのかい?”》という歌詞が私たちを痛烈に揺さぶり始める。

ーーー遠吠えだ。
本作の始まり「月に吠える」が近未来世界の始まりを表した場所だとすると、それに呼応する「場所たち」はそれの終わりを表すと捉えられる。音楽的にも、本作の大団円「MIRAI」を含めたエピローグが、非常にプリミティブな楽曲によって表現されている事からみて、最後の3曲に近未来的世界が崩壊した後の希望を感じてしまう事は間違いではないはず。
ようやく気がついたんじゃない?彼らが表現した遠吠えの正体が。
全ての言語を失った生き物が唯一使いこなせる言語…それが遠吠えだ。
新たな幸福論を先ずはそこから始めようじゃないか。