DISC REVIEW

當山みれい

『またねがあれば』

 

―P.S.もう恋なんてしない、なんて―

 

スーパーガール當山みれいはデビュー当時ダンスも出来る実力派R&Bシンガーというスタンスだった。時代のモードからEDMなどを取り入れた楽曲で、まさに同世代が共鳴できるアンセムを発信。彼女が歌うカバー曲にも定評があり、おそらく自身も好きな曲で、且つ著名な曲のカバーが多かった。

そんな彼女も23才となり、リスナーとの共感性をアップデートするため、変化の季節を迎える。その一つが意外な人達とのクロスオーバーだった。今回カバー曲として選ばれたのは、シンガーソングライター澤田 空海理の楽曲。原曲を忠実になぞりながらも、ストリングスが挿入され、90s R&Bにアレンジ。現代的に言うなら、エモさが増幅されている。その原因を探ると、この曲は好きだけど私が歌うのには向いてないのでは、という當山みれい自身の杞憂から生じた振れに辿り着く。それが曲自体に内包されている不安定感と共振したのだ。

ゲリラ豪雨と同じくらい突然なのは、SNSでの才能発掘の速さかもしれない。アメリカのオリヴィア・ロドリゴも瞬時に発見された。ゲリラ豪雨の予知は、雲研究者の荒木健太郎氏に早く確立してもらいたい。でも、SNSでの才能の予知は必要だろうか。少なくともアーティストが幸せになるのであればいい。万が一でも音楽家寿命が縮まらない事を祈る。

結果的に現時点の彼女にマッチしたものになったと思う。當山みれい側のスーパーガールからの脱皮と、リスナーが求める楽曲との交差。つまり、需要と供給のグラフが推移する過程で『still』が生まれ、その傾向を引き継ぐ本曲が丁度その交差点にある。そういった意味でもこの曲をカバーしたのは正解だったと思う。

後悔の予知が出来たら幸せなの?

少なくとも當山みれいは、“またねがあれば”をカバーした事、後悔しないだろうけど。