DISC REVIEW

チャイルディッシュ・ガンビーノ

『3.15.20』

―限りなくホワイトに近いブラック―

 

二宮和也が昔、読売新聞の日曜版だったと思うが、俳優をやっている自分はあくまで仕事であり、どれだけ認められても結局家でゲームしているときが一番楽しいというようなことを発言。9㎜ Parabellum Bulletの滝善充だったと思うが、某ロック雑誌で自分が好きな曲のこの部分を少し変えたらもっとカッコよくなるのにと思っていて、それをベースにして作曲を行っているみたいなことを発言。この二人の発言を元に、チャイルディッシュ・ガンビーノを紐解くキーポイントを上げるとすると。仕事として行っていることよりも私生活や家庭を重視する。そして、作り出す芸術作品は過去の作品の引用と編集によって成り立たせている。この2点が考えられる。この3人はともに1983年生まれである。


本作を語る上で、ブラック・ミュージック云々というキーワードは寧ろ憚られてしまうような気がする。黒人の音楽家が持つとんでもないスキルを遺憾なく発揮した作品というよりは、コマーシャルな作りの白人のポップ・ミュージックと言っても過言ではない。白一色のジャケットもそれらの批評性が込められているのかもしれない。言うなれば、本作は、黒人の音楽を奪った白人の音楽をもう一度黒人が引用と編集、演じて見せた、その結果であろう。しかしそれが出来たのは先述した83年代の価値観も起因しているといえる。チャイルディッシュ・ガンビーノ(芸名)がどれだけ成功したとしても、ドナルド・グローヴァー(本名)の存在が変わることはない。そういった自負と間違った先導者達への冷めた視点が今作には隠れているのではないか。


“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず”日本では90年代中期に、体操服が赤or青から水色になったんだが、それはどうでもいいにしても、世界は変わらないんだろうか。コロナ・ショックで世界は変わった、でも変われないものもあるんだよね。