LIVE REPORT

GRAPEVINE
Tour 2016
in 名古屋ダイヤモンドホール
2016年6月12日

―それから、またバインが始まるために―

 圧巻の一言。というしかないくらいのアクトだった。今回はニュー・アルバム『BABEL ,BABEL』を引っさげてのツアーではあるのだが、それだけに収まらない、これからのバインの表現方法、その序章を見せつけるライブだった。
 これまでも彼らのライブは、アルバムの曲を再現するだけでなく、過去の曲を織り交ぜ進行していくものだったが、今回は、その曲順すらも予定調和ではなかった。この時点で、何かが違うという予兆に気がつくべきだったのだ…

 始まりは、バインの陽極を象徴するロック・ナンバー「TOKAKU」。これをスタートに持ってくる辺りからも、今の彼らの陽気な調子が伝わってくる。(私としては既発曲「公園まで」以降で、一番裏表の無い曲だと思っている) 

    序盤は、ファンキーなノリの「HESO」、エロいPVが話題もなったストレートなロックンロール「EVIL EYE」がbpm140のスピードで、オーディエンスを揺さぶり始める。
    中盤に差し掛かる頃、会場の熱も徐々に上がって行く中、既発曲「REW」「KINGDOM COME」が演奏された。ここでは、彼らのブルースの側面が、西川弘剛のギターを含めたうねり共に異常な緊迫感を持って提示されてくる。それは、バインとしてのサイケデリック・ロックが渦巻く場所へと、誘っていく流れでもあった。
 ライブの丁度真ん中辺り、今作でもっとも清々しい、突き抜け感のある(私は既発曲「FLY」の進化版だと捉えている)「SPF」が照明を抑えたステージで美しいギターのイントロと共に、厳かに奏でられる。その音の向こうに、聴くもの自身が描く景色が見えてしまうような、そんな体験をさせてくれる瞬間であった。
   本来なら太陽燦々、風が吹き抜ける場面が似合う様なこの曲。室内でするなら、色々な照明効果を駆使することもできたはず、でも、バインはやらない。みんなも知っている。彼らの曲は清らかに聴こえるものにこそ、裏がある事を。
 過去の名曲達も演奏される中で、徐々に気がついてきた、(おそらく、そこにいたほとんどの人が)田中のMCが全く無いことに。坦々とロック・バンドとしてのスタンスを継続し続けていたのだ。それが今回は特に、際立っていたと言える。 
 終盤へ向けて放たれたのは、バイン的四つ打ちビート「Golden Dawn」。正直、アルバムの中では、このライブでの化け方は予想出来なかった。バイン自身も僕らが四つ打ちやったらこうなんか感じです。という風だった。でもこれが化けた。おそろしく単純なことほど実は気がつかないということだろうか。今のバインの変化の着火点は”ここ”だったのかも。
     だが、これで終わらせないのがバイン、その流れから、ステージでDJが始まり、ダフト・パンクの「ワン・モア・タイム」をサンプリング。そして、ステージとオーディエンスが一体と化した(一体感とかいいんで、と言っていたバインからこれが生まれるとは)ダンス・ホール的な瞬間が訪れた。そこから生まれたアシッド・ハウス的かつ音響系なるループする音像が、続く既発曲「I must be high」以降のビート感を更に助長させたのだった。
    本編ラストはバインの陰極を象徴する「Heavenly」、バイン十八番の叙情的な雰囲気で締めくくられる。
いつもより登場を焦らしたアンコールは、昔懐かしいバイン懐メロを絡め、しつこく円環する旋律がロック・バンド、グレイプバインを高々の証明した幕切れであった。

    このライブを一言でまとめるなら、バインが奏でるブルースとテクノの狂宴だったと思う。それは、世界の音楽シーンに見られる、ブラック・ミュージックの再考と、日本の音楽シーンに見られるダンス・ビートへの傾倒が、図らずもグレイプバインがずっと描き続けてきたロックなる青写真を、時代の風の吹き方、光のさす角度により、浮き彫りにさせた瞬間でもあったと思う。
    ロックとはいうなれば、白を伝えるために徹底的に黒を表現することなのだ。そして、バインはそのロックをシリアスに、片方ではパロディみたくバカしつつ、でも本気で演じきる。だからおそろしいのだ。

    田中和将のしたり顔が拭えそうにないライブだったので、最後に一言。
次回作が楽しみで仕方がねぇ。バカ。

DISC REVIEW

ART-SCHOOL

『Hello darkness, my dear friend』
 
―アイサレルよりアイシタイ―
 
 時は一方向にしか流れないことは言うまでもないだろう。しかし、科学的には光の速度より早く進めば、時空を越えタイムスリップできる。そうなった場合、過去に戻れる可能性もあるということだ。例えば、30代の私が20代のころの自分に出会えると仮定しよう。そうなった場合に、お互いどのようなことを聞きたいか考えてみると。月並みな受け答えかもしれないが、20代の自分は30代にはどうなっていますかね。と聞くと思うし、30代の自分はこの年はこんなことがあるから気を付けろとか言ってしまいそうだが、最近思う一番したい質問は、20代楽しんでる?ということだ。おそらく20代の私は、分からないと答えると思う。たぶんね。まあ、そういう妄想話は置いといて、結局何か言いたいかというと、20代は誰にとっても最強という説を唱えたいのだ。どういうことかというと、仮に20代がとても不遇だったAくんがいたとしよう、彼は、その後の人生において、20代のことを聞かれると、大変だったけど、あの時があったからこそ、今の自分があるので、20代は大事な時期でしたと答えるだろう。逆に20代がとても充実して、その後の人生がやや下降線をたどっていると思っているBくんの場合、最高だった20代を背に、それでも、本当に大切なものが、今わかった気がしますと答えるだろう。どちらにしても、20代という一つの物差しで、その後の人生を測ることになっていることから考えて、20代はどんな人にとっても最強だといえるのではないか。

 だから、木下理樹にとっても20代が最強なのは間違いない。約1年の活動停止を経て、生み出された『Hello darkness, my dear friend』を聴いても、少なからずそれがわかる。この作品の最後に「NORTH MARINE DRIVE」という17年前に出された、彼名義の曲が現在のART-SCHOOLでリメイクされている。このことからも、この時期の原風景が、いかに重要かが伝わってくるのではないか。その頃の木下理樹が作る悲哀に満ちた曲たち、それらが私の胸にどれだけ刻まれたか分からない。
その曲と今の木下理樹の曲を改めて並べてみると、色々と想像している自分がいる。結果的にはその乖離点をさがしてしまうのは、私がART-SCHOOLの音楽を愛していない、又は愛しているが故、のためだろう。

    どちらにしても、20代前半の彼の曲は、絶望が出発点だった、それを端的に表現するためにギターが奏でるメロディー主体の楽曲が必要だったのかもしれない。儚くも刹那的且つ暴力的でもあるメロとディストーションが、図らずもアートスクールというロックバンドを形作っていたことは確かだ。その彼のバックボーンには、散々語られてきたことかもしれないが、デビュー時に喪った母の存在が色濃く反映されていることも事実だろう。
 彼の20代後半以降は、度重なるバンドメンバーの脱退もあり、作り出すサウンド的にも変化していく。そして今、30代後半を迎えた木下理樹率いる、ART-SCHOOLが生み出す曲は、切なさを醸し出すギターのメロディー主体ではなく、美しさは残しつつも、そのギターが全体のグルーブの一旦を担う存在となり、それ自体がリズムと共に楽曲を包み込む役割を果たしているのだ。だからこそ最近の彼らの曲はやさしさを兼ねそろえていたのだと、改めて思った。

 メジャー・ファースト・アルバム『Requiem For Innocence』は彼の感情の吐露を主体とした表現だった。それは同時に私たちの蒼き絶望の代弁者だったとも言える。そして、バンドを追い続けてきた私たちがたどり着いた今作には、その悲しみ自体を母体にした、ART-SCHOOLという名のモニュメントがそびえ立っていたのだ。

 つきはなす、から、つつみこむへART-SCHOOLの音楽は変わったと言えるのかもしれない。
 ART-SCHOOLのインディーズでのファースト・アルバムにて、ブックレットの最終頁によくあるスペシャル・サンクスに、カート・コバーン中原中也の名が書かれている。これは変だ。まあ定義はないが、ここには実際お世話になった人やファンとかを書くのが通例だろう。そこに彼は、実際には会っていない(もう会えない)尊敬するアーティストを書いていたのだ。つまり、この時、木下理樹は周りの誰をも信じていなかったのだ。
 その彼が、本作の最後の「Supernova」で、“許されるなら/賭けてみたいんだ/今でもまだ/この心臓が/脈をうち/君を焦がすなら/スーパーノヴァ”と歌う。
これは明らかに、妄想や絵空事の中の“信じる”という言葉ではない。ART-SCHOOLが作りだす音楽が、誰も信じない音楽から、誰かを信じるための音楽へシフトした瞬間だろう。

 『Hello darkness, my dear friend』というタイトルからサガン作のフランス文学悲しみよこんにちは』を想起するのは安易だと思う。でもそう思ってしまうだろう?
 「やあ、親愛なる我が友よ、もう絶望を恐れることはないのだよ。」
「なんでだよ!絶望は怖いよ。」
「何言っているだい。今きみはその絶望自体に包まれているんだよ。さあ、おそれることはない。これから、どんな暗闇が訪れようとも、その絶望があなた自身を守ってくれるはずだから。」
 私たちはその丘で友と語り合ったのだ。これらか訪れる絶望について。
その話はまた別の機会に…