DISC REVIEW

ART-SCHOOL

『Hello darkness, my dear friend』
 
―アイサレルよりアイシタイ―
 
 時は一方向にしか流れないことは言うまでもないだろう。しかし、科学的には光の速度より早く進めば、時空を越えタイムスリップできる。そうなった場合、過去に戻れる可能性もあるということだ。例えば、30代の私が20代のころの自分に出会えると仮定しよう。そうなった場合に、お互いどのようなことを聞きたいか考えてみると。月並みな受け答えかもしれないが、20代の自分は30代にはどうなっていますかね。と聞くと思うし、30代の自分はこの年はこんなことがあるから気を付けろとか言ってしまいそうだが、最近思う一番したい質問は、20代楽しんでる?ということだ。おそらく20代の私は、分からないと答えると思う。たぶんね。まあ、そういう妄想話は置いといて、結局何か言いたいかというと、20代は誰にとっても最強という説を唱えたいのだ。どういうことかというと、仮に20代がとても不遇だったAくんがいたとしよう、彼は、その後の人生において、20代のことを聞かれると、大変だったけど、あの時があったからこそ、今の自分があるので、20代は大事な時期でしたと答えるだろう。逆に20代がとても充実して、その後の人生がやや下降線をたどっていると思っているBくんの場合、最高だった20代を背に、それでも、本当に大切なものが、今わかった気がしますと答えるだろう。どちらにしても、20代という一つの物差しで、その後の人生を測ることになっていることから考えて、20代はどんな人にとっても最強だといえるのではないか。

 だから、木下理樹にとっても20代が最強なのは間違いない。約1年の活動停止を経て、生み出された『Hello darkness, my dear friend』を聴いても、少なからずそれがわかる。この作品の最後に「NORTH MARINE DRIVE」という17年前に出された、彼名義の曲が現在のART-SCHOOLでリメイクされている。このことからも、この時期の原風景が、いかに重要かが伝わってくるのではないか。その頃の木下理樹が作る悲哀に満ちた曲たち、それらが私の胸にどれだけ刻まれたか分からない。
その曲と今の木下理樹の曲を改めて並べてみると、色々と想像している自分がいる。結果的にはその乖離点をさがしてしまうのは、私がART-SCHOOLの音楽を愛していない、又は愛しているが故、のためだろう。

    どちらにしても、20代前半の彼の曲は、絶望が出発点だった、それを端的に表現するためにギターが奏でるメロディー主体の楽曲が必要だったのかもしれない。儚くも刹那的且つ暴力的でもあるメロとディストーションが、図らずもアートスクールというロックバンドを形作っていたことは確かだ。その彼のバックボーンには、散々語られてきたことかもしれないが、デビュー時に喪った母の存在が色濃く反映されていることも事実だろう。
 彼の20代後半以降は、度重なるバンドメンバーの脱退もあり、作り出すサウンド的にも変化していく。そして今、30代後半を迎えた木下理樹率いる、ART-SCHOOLが生み出す曲は、切なさを醸し出すギターのメロディー主体ではなく、美しさは残しつつも、そのギターが全体のグルーブの一旦を担う存在となり、それ自体がリズムと共に楽曲を包み込む役割を果たしているのだ。だからこそ最近の彼らの曲はやさしさを兼ねそろえていたのだと、改めて思った。

 メジャー・ファースト・アルバム『Requiem For Innocence』は彼の感情の吐露を主体とした表現だった。それは同時に私たちの蒼き絶望の代弁者だったとも言える。そして、バンドを追い続けてきた私たちがたどり着いた今作には、その悲しみ自体を母体にした、ART-SCHOOLという名のモニュメントがそびえ立っていたのだ。

 つきはなす、から、つつみこむへART-SCHOOLの音楽は変わったと言えるのかもしれない。
 ART-SCHOOLのインディーズでのファースト・アルバムにて、ブックレットの最終頁によくあるスペシャル・サンクスに、カート・コバーン中原中也の名が書かれている。これは変だ。まあ定義はないが、ここには実際お世話になった人やファンとかを書くのが通例だろう。そこに彼は、実際には会っていない(もう会えない)尊敬するアーティストを書いていたのだ。つまり、この時、木下理樹は周りの誰をも信じていなかったのだ。
 その彼が、本作の最後の「Supernova」で、“許されるなら/賭けてみたいんだ/今でもまだ/この心臓が/脈をうち/君を焦がすなら/スーパーノヴァ”と歌う。
これは明らかに、妄想や絵空事の中の“信じる”という言葉ではない。ART-SCHOOLが作りだす音楽が、誰も信じない音楽から、誰かを信じるための音楽へシフトした瞬間だろう。

 『Hello darkness, my dear friend』というタイトルからサガン作のフランス文学悲しみよこんにちは』を想起するのは安易だと思う。でもそう思ってしまうだろう?
 「やあ、親愛なる我が友よ、もう絶望を恐れることはないのだよ。」
「なんでだよ!絶望は怖いよ。」
「何言っているだい。今きみはその絶望自体に包まれているんだよ。さあ、おそれることはない。これから、どんな暗闇が訪れようとも、その絶望があなた自身を守ってくれるはずだから。」
 私たちはその丘で友と語り合ったのだ。これらか訪れる絶望について。
その話はまた別の機会に…