LIVE REPORT

ROCK IN JAPAN FES.
SOUND OF FOREST
中村一義

森の中で、ガヤガヤ。一曲目に「犬と猫」のワンフレーズ目の歌詞”どおぅおぉ?”と、ドラムの音が鳴った瞬間の高揚感。やっぱり中村一義ですよ!って思ってしまった。

中村一義は麦わら帽子に、焼けた顔?でステージに海賊たちと立っていた。海賊ってことで、ルフィーでも彷彿させたかったのかと?思いつつ。

次に、最新作から「スカイライン」、ERAからの「ロックンロール」がギラギラとするロックの円環を見せつけ。続いて、彼らのテーマソング的なものだと銘打ち「大海賊時代」が披露された。正に中村一義的な、はちゃめちゃなロックの狂宴を見せつけられた。

そして「1,2,3」、ワン、ツー、スリー、フォーの指差しと合唱は、オーディエンスが求める中村一義像とそれが完全に一致している証明だった。

最後に、”生きている奴はいるか!”というクエッションと共に。
キラーチューン「キャノンボール」が投下された。”僕は死ぬように生きていたくはない”という轟音が森の中で響き渡っていく。

ロックインジャパンの初年、中村一義の演奏は、台風の影響等で中止になったという逸話を聞いていた。彼もその事を最後にポロっとこぼしていた。

生きていれば、何かは変えられるということ。その1つを中村一義は体現していたのかもしれない。そんな瞬間だった。

LIVE REPORT

ROCK IN JAPAN FES.
PARK STAGE
藤巻亮太

藤巻亮太がソロで「粉雪」を歌った!っていう熱い思いは置いといて。まずは”粉雪”がロックインジャパンの夏空に舞って始まった。

その後の藤巻のMCから、狙ってそうした的な発言があり、それが今の彼であることを物語っていた。ソロになって色々あったけど、今は色んな制約がなくなったという。

正にそんなステージだった。次に、「大切な人」、”まもりたい”という普遍的な言葉にも強いポップな魔法がかかるのは、やはり、藤巻の声の持つ力なのだろう。

続く「南風」は青空の下にどんぴしゃな楽曲。藤巻を見たい人にとってはこの馴染みの曲を聴いて、歌い出したくなるのは必然だろう。

その勢いから「花になれたら」「スタンドバイミー」が続く。

そして、最後は「日日是好日」歌う前、藤巻は、みんなも日々嫌なことも色々あると思う、けど、それを越えて1日々、大切に生きてほしいという風なことをMCし、歌い出した。

日常に背かず、切り取り、それを極上のポップに溶け込ませ、消化する。
藤巻のポップは、此処ひたちなかでも健在だったし、それを可能にしているのが、藤巻の声、その背後に見えるロックであることもよくわかった。

LIVE REPORT

ROCK IN JAPAN FES.
LAKE STAGE
米津玄師

日も暮れた18時40分を過ぎたころ、LAKE STAGEに米津玄師が現れた。

米津は、紺色っぽいダボダボのトップスに、赤のガウチョパンツ的なのを履いていた。シルバーのピアスを両耳に垂れ下げ、大層な前髪で目を隠した彼をそこで見たとき、そうか、これが米津玄師かと僕は思った。

おそらく、彼のディスクを聴いた人にとって、その彼の佇まいと描いていたシルエットがはじめから重なる方は稀なのではないかと感じた。米津の制作スタイルや音楽性からして、ともすれば、堅苦しい、インテリジェンスでシリアスな姿を勝手に思い描いていた僕は軽い肩透かしを食らってしまった。これが、今の彼がロックとして立ち向かう時のファッションなのだろう。

先ずは、3rdアルバムからのリード曲「アンビリーバーズ」が一気にオーディエンスをダンスホール的な現象に持っていく、続く1ndアルバムからアッパーな「ゴーゴー幽霊船」がその勢いに拍車をかけ、その流れでの2ndアルバムから、「メランコリーキッチン」の16ビートのギターカッティングがダンサブルの極致へと持っていく。

次に、ミドルテンポのバラード曲の「Blue Jasmine」「アイネクライネ」が会場をしっとりとした雰囲気にさせた。

その後、米津がMCで、18のときはじめて、観客としてロックインジャパンをみたことを話す。それは楽しいものだったが、音楽家を目指している自分にとっては関係ない場所だと、その時は思っていた。
しかし、今は関係ないと思っていた側の場所に立っている。それが不思議なことでとても嬉しいと言葉した。そして、自分は今まで間違った音楽を作ってきて、色々なことを諦めてきた敗北者だけど、今こんなにも自分の音楽を求めてくれる人がいるのを見ると、間違うのも悪くなかったかなと言いはなった。

その思いを込め、新曲「LOSER」が放たれた。鋭いギターエッジが刻むビートが今までになく、バードな曲だった。しかし、おそらく、彼にとっては最もシリアス。歌詞を全て読み解いた訳ではないが”踊る阿呆に見る阿呆”という部分がキーワードが出てきた時、素直に頷いた。この曲は時代に一石投じる音楽家が必ず通る、分岐点になる曲だと。

ラストは、ハチ時代の曲「パンダヒーロー」米津としてもリメイクした「ドーナツホール」が駆け抜けていき。本編が終わる。

アンコールが鳴り響くなか、恒例のロックインジャパン花火が打ち上げられたあと、再び米津らが登場。
最後の一曲は「ポープランド」が新たなる旅立ちを歌った。
敗北者から音楽シーンを変える存在へ歩を進める彼だからこそ、作ることが許された曲が「LOSER」なのだ。その現在地と出発点「ポープランド」がここ、ひたちなかの夜空で一本の線でつながった。

米津玄師が本当に時代の寵児なったとき。この瞬間を見れなかった人は一生後悔するだろう。ありがちな思いさえよぎる、そんなアクトだった。

DISC REVIEW

UNISON SQUARE GARDEN『Dr.Izzy』

―サイトウさん復活♡ んで、これから?―

 C-C-Bの「Romanticが止まらない」とか、ゲスの極み乙女。の「ロマンスがありあまる」やPENICILLINの「ロマンス」が頭の中でぐるぐる回りだして、なんていうか、この『Dr.Izzy』はそういったロマンスに取り憑かれている作品となっている。言うなれば、ユニゾン・スクエア・ガーデン的ロマン主義を提示した作品なのだ。
 思い返せば、彼らの作品の歌詞は日に日に文字量が増えているような気がする。田淵智也が書く歌詞は、どんどん長くなり、どんどん哲学的になり、今まで以上に世相をチクチク刺し続けている。一歩間違えれば、その構想が、誇大妄想になりかねない。頭でっかちな思想に陥るおそれもある。そのギリギリの線で彼らは踏みとどまってきたと思う。
 それを可能にしてきたのは、彼らの楽曲にある究極のポップネスだろう。どの曲もキャッチーでポップであるということ。ポップのフォーマットの中でロックに暴れまくる哲学がこのバンドの究極の持ち味である。
 そして、その楽曲を外に向けてリリースし続けてきた斎藤宏介の美しき声という武器。喉のポリープ切除を経て、完全復活した後に、今作の全ての歌入れはしたのであろう。彼自身の伸びやかで、透き通った中にも強い芯のあるボイスが、今回の楽曲の勢いと叙情性、それを決定付けているのは確かだろう。
 今作で最も重要な地点は、序盤から中盤に差し掛かるところ、「マイノリティ・リポート」と「マジョリティ・リポート」この2曲だろう。これらの曲の捉え方は、歌詞の内容が大きなファクターをしめてしまうのだが(田淵の歌詞なら当然そうなる)。別の視点からみると、彼らがデビュー当時からこだわってきたこと「ロックは楽しい」というテーマ性を再分析する曲名だと思う。
 つまり、今の日本の中で、ロックというものがマイノリティなのかマジョリティなのかという問いを含んでいると思う。遡れば昔、日本国ではロック音楽というのは少数派を担う音楽であった。しかし、ユニゾンのメンバーを例にすると、1985年生まれぐらいの人になると、もう物心ついた時から、ロックというものが普通にお茶の間に流れていたと思う。つまり、彼らにとってロックの入り口とは、世間に対してアンチテーゼを示す音楽では無かったのかもしれない。世代が変われば、ロックに持つ価値観も変わることは容易に想像がつく。彼らにとってロックとは、J-POPや歌謡曲と区別するまでもなく、音楽シーンの中でそれらと共存している一つの音楽だったのだ。
 だから、「マイノリティ・リポート」は、ロックとJ-POP、歌謡曲がまじり合った楽曲に本来のユニゾンが水を得た魚のように絡む、美しき構図となっている。
 さてと、彼らもある程度の年月をバンドとして歩き続け、三十路を踏み越えた、今。
この「ユニゾンを解剖する」という、かくかくしかじかのテーマが掲げられた。一体何なのか。つまりこれは、マイノリティからマジョリティへ移行していった世間一般のロックの立ち位置を、彼ら自身が自身のバンドを解剖することによって、答えを探っていこうという、ユニゾンにとって初めての転換期なのだ。
 ロックが反逆の音楽では無くなった、そういう区別をする意味が世間的には不要になった今だからこそ、ずっとロックにこだわってきた彼らは、彼ら自身を分析する必要があったのだ。(もう、頭が良いんだから!)
きっと彼らの中には、音楽的にはマジョリティになった?ロックであっても、マイノリティな発想を失うことはしない。という思いがあるのではないか。
 このバンドにとって、バンドを解剖することが、ロックを解剖することになり、それを描き続けることが彼らのロマンなのである。

DISC REVIEW

くるり琥珀色の街、上海蟹の朝』

―安心して下さい、息吸ってますよ。―

 言葉につくせぬこの多幸感、いつか終わりが来るとわかっていたとしてもだ。くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」が初めて耳元でなった瞬間、僕は確かに幸せだった。
 上海蟹、かに、カニ食べいこうと連想ゲームをしていくと、どうしてもPUFFYの「渚にまつわるエトセトラ」に行き着いていた。それで、よくよく調べてみると、このパフィーの曲は1998年にリリースされている。(アルバム『JET CD』1998年リリースに収録。シングルでは1997年リリース。)そう、くるりがメジャーデビューした年と重なった。だからなんなのと思うが、ここで共通しているのは、食べるという行為なのだ。
 98年と聞くと、それ以降の日本のロックシーンを変えた音楽家が多数デビューした年と連想してしまう。(その名前はぐぐってもらいたい)だが、私が触れたいのは、今回そこじゃない。2000年代という日本の景気やその他もろもろが、少なからず明らかに音を立てて下降していく、その、ほんの少し前のころ。
バブル景気崩壊以降、状況は傾いていったが、まだそんなことは見て見ぬふりをしても行ける状況とも言えた。
 その頃日本はまだ飽食の時代だった(え、今も?)それを象徴するのが、テレビで放映されていた、「どっちの料理ショー」だ。毎回、二人のプレゼンターがお互いに、贅を尽くした素材を使った料理を用意して、そのどちらを食べたいかゲストに選んでもらい、選択した人数が多い方だけ食べられるという番組だった。
 今振り返ってみると、日本は豊かだなぁと思う。でも、この番組を2016年にやったらどうだろう。少なくとも、僕はPTAにバッシングしてもらいたい番組に上げるだろう。フザケナイでもらいたいと思う。今の日本には貧困女子という言葉も生まれたり、親が居ず、今日食べるごはんもない子供が増えたりしている。その状況でどの面さげてこういう番組をするのだ。
 と言いつつも、私もおいしいものを食べたい。上海蟹を食べたい。それをTVで食べるのを見るのは娯楽としてはいいだろう。それは人間として当然の欲求だと思う。
 しかしながら、もう耳にタコが出来るくらい聞いてきたかもしれないが、日本の幸せの基準が変わった。その転換期になったのが、3.11だった。あの日CMは全て、ACジャパンだった。当たり前だがこの日に料理番組をやれば、確実にクレーム通知が流れていただろう。
でも、この瞬間にも上海蟹的なものを食べたいという思いを抱いた人は確実にいたと思う。
 あの日以来、色々変わった、くるりも少し変わったと思う。誰もが変わった。むしろ変わらなくてはならなかったと思う。だから、TV番組も変わったのだ。私が思うに「幸せ!ボンビーガール」という番組がそれの最たるものだと思う。貧乏でも豊かに過ごそう、いや貧乏な時期を体験したからこそ、見えてくるものがあるという思想を持った番組である。貧乏な地点から進化していくことは私も素晴らしいと思う。ただ、それが全てではないということも伝えなくてはいけないことだろう。古いものを改善していくことも大事だし、貧乏な状況をどう変えたら楽しくなるかを考えることも重要だと思う。でも逆にそれが普通に作りだせるものよりも、コストが掛かってしまったら、本末転倒じゃないだろうか。もっとこわいのは、その貧乏という状態が正常化して、それが幸せなんだよねという、間違った物差しが出来てしまうことだ。TVは一つ正義を持って番組を作りだしてはいるだろう。ただ、見る人にとっては、それが悪になることもある。やはりそれは、僕達視聴者が個々の判断で選択していくしかないのだ。
 妙にテレビのことに話が逸れてしまったが、つまるところ、どれだけ貧乏の人がいたとしても、上海蟹を満腹食べたくないという人はいないだろう。(カニ嫌いな人は済みません)
 つまり、聴く人がどんな状況であっても、くるりの新曲は、共感できる出来ないの壁を越えていく、そんな光に満ちた瞬間がこの曲には存在している。
    僕個人がくるりの曲でどれが好きか挙げると、どうしても、「ばらの花」と「ワールズエンド・スーパーノヴァ」になってしまう。
そして、この「琥珀色の街、上海蟹の朝」はその2曲の時間軸の先を行っている。越えている。未来なのだ。
 「ばらの花」の歌詞にある“安心な僕らは旅に出ようぜ”という安心なぼくらは、3.11以降無くなった。それは抗えない事実だろう。この曲が発売された2001年には、少なからず存在した“安心なぼくら”は2011年には消えていたのだ。
 でも、そんな時ですらポップ・ミュージックは何かを更新していける。
 岸田繁はラップで新曲の始まりを歌った。彼は40歳になったから出来た曲という風なことを言っていた。時代は流れる、変わらないものは無くなっていく。「ワールズエンド・スーパーノヴァ」にはテクノがあった。そして、ヒップホップとはテクノから生まれたものだ。
 3.11以降新しく作られた、価値観、ルール、人々の物差し。その中の正しいものや間違っているものは、いずれ大きな奔流に混じり合い流され“PIER”に流れつくだろう。
最後に歌詞の中に滑り込むと。琥珀色の街は日本、という捉え方をすれば、“この街はとうに終わりが見えるけど”の一節が真実味を帯びてくる。
 人は結局一人だ、でもひとりじゃない。
そんなことをこのマスターピースは、“上海蟹食べたい あたなと食べたいよ”というたった一言で、緩やかなビートに乗せて表現しきっている。これこそポップ・ミュージックのマジック以外の何物でもない。
 今が、夕暮れ時だろうが、朝焼け前だろうが、これを聴く人の状況がどちらでも気に病むことは無い。その、今のくるりの持つ無敵感は“思い出ひとつじゃやり切れないだろう”という一節に詰め込まれていると思う。
 要は今の自分で立ち向かうしかない。どんな状況であっても、その瞬間を照らし出すような光。そんな途方もない讃美歌が生まれた瞬間が此処にはある。

DISC REVIEW

アノーニ『ホープレスネス』

〜人の絶望を笑うな〜

声が遅れて聞こえてくる。いっこく堂の腹話術「衛星中継」を見ていて、最近世界の全てが色んな意味でズレて来た、そんなことを思う。

私がアノーニというアーティストを初めて知ったのは、同人物の別プロジェクト、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズの『スワンライツ』という作品だった。
当時、ビョークとのコラボも話題になっていた作品で、私が、彼の声の力に向き合った最初の作品となった。しかし、彼は「彼」ではなかったのだ。ただ、この時の私が持っているのは声という情報だけで、もちろん私は彼を男性ボーカルと認識していた。このアーティストがトランスジェンダーだと知る前の事である。

本作は「彼」アントニー名義では無く、「彼女」アノーニ名義で出された最初の作品である。岡村詩野氏のライナーノーツに、アノーニの発言で”牧歌的でシンフォニックでもあったアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ”と記載されている。僕自身、アントニーの作品は、クラッシック音楽的な叙情性が漂う音楽と捉えていて、やはり、圧倒的な声の力を感じるアーティストだった。
アノーニがトランスジェンダーであっても、アーティストとしてどうかということが変わる訳ではない。ただ、このアノーニのデビュー作は、アントニーのそれとは異なる世界観を持っている。音楽的には、プログラミングされたビート・ミュージックを背景にしたもので、エレクトロニクスで、ダブ・ステップ的な特徴も持っている。その分裂的な音楽構造が、結果的に彼女の声の艶やかさと交錯したアイデンティティをより明確化させている。
歌詞の中では、ドローンによる爆破や、気温が4°C上がる事による動物の死、オバマ大統領批判。アメリカン・ドリームへの冷めた視点、そして今のアメリカを含めたアメリカ化した世界への痛烈な拒否が示されている。10才の頃イギリスからアメリカに移住したアノーニ自身の、リアルな皮膚感覚による思いも反映されているのだろう。

ただ日本人である僕には、歌詞を見ない瞬間には、この絶望の言葉より、「ホワイ・ディド・ユー・セパレート・ミー・フロム・ジ・アース?」の様な、ポップな曲の側面だけを感じ、酔いしれることも出来る。
しかし、彼女の声と意味が繋がった瞬間に「ホープレスネス」という音楽が希望的観測の全てを薙ぎ払っていくのだった。

いつも洋楽を聴くたびに思うのだが、日本人にとって、「愛する」と「LOVE」は伝わるまでの時間が違うと。だから、日本人の自分には英語の意味も遅れて伝わるのだと思う。最高も最低も。
だけど、希望は必ず訪れると信じる事も出来るんじゃないかとも思う。最近話題のイギリスのEU脱退問題、脱退に賛成しているのは、年配の方々の方が多く、若者の中では反対が多いという。ここで僕は妄想した。UKの年配の方が知っていて、今の若者が知らないものは、そう、リアルタイムで観れたUK古えの最高のロックなのではないか?

全ての絶望が潰えた先に、希望は遅れてやってくるはずだ。それとほぼ同時期にまた最高のロックは産ぶ声をあげるはず。
じゃあ、未来で会おう。

LIVE REPORT

ART-SCHOOL
Tour 2016
Hello darkness, my dear friend
in 名古屋 ell.FITS ALL    2016.7.3

ー永遠のティーンエイジー

久々のアートスクールだった。彼らを観るのは私にとって2004年以来となる。
長い年月と幾度かのメンバー交代。その時間の刻印が何かを変えてしまうこともある、しかし、木下理樹は彼自身のまま、またステージに立っていた。
ライブはもちろん今回のレコ発公演である。そして、活動休止からの復活の意味も持っている。ただ、木下理樹にとってそのファクターは、重要な意味を持たないと今回強く思った。

歌う理樹は、初めから辛そうで、声も出にくそう。見るからに疲労困憊な雰囲気を醸し出していた。(ギターの戸高賢史は、最近ライブが5連ちゃんだったとMCで明かしていた。)でも、あぁ、アートだ。誰もがそう思ったのではないか。演奏にしても、戸高賢史のギター、中尾憲太郎のベースと藤田勇のドラムという鉄壁のリズム隊がいれば、僕達はその流れに飛び乗るだけなのだ。
彼らのサウンド・ライブラリーにある、オルタナ、グランジシューゲイザーダンス・ロックな音像が今回も彼らのライブを彩っていたことは言うまでもない。そして、今のアートの曲が流れつつも、やはり、要所要所では、過去の彼、戸高が言うように、氷のような木下理樹がいた頃の曲が私たちオーディエンスを揺さぶり続けていった。

今回のライブの中で、何か特筆すべきことがあるかと聞かれれば、探そうとはする、でも正直探したくない。木下理樹は、アートスクールは何も変わっていない。でも、それが今の時代に凄いことではないか?すぐに新しいものを求められる今、あの2000年当時にから、何1つ動いていない、そんなライブの現場がそこにはあった。
つまりは、何も成長していないことを許してくれるホームタウンがそこにはある。それがアートスクールのライブだ。しかし、それを創り出している彼ら自身は、並大抵の努力でそこに立っている訳ではない。という事は今のアクトを観ればわかる。だからアートのライブは、いつも途方もない感情移入を許可してくれるのだ。

正に、やあ、暗闇よこんにちは。友よまた会えたねっていう感じが今でもアートスクールから匂ってくる。
いつまでも変わらないものなど無いに等しい2016年だからこそ、こういうバンドが存続してくれることが、神秘でもあるのだ。
だから、僕はアートスクールというバンドを愛している。それが今日確信に変わった。それはこれからも変わらないだろう。