ROCK CLASSIC

T.レックス『電気の武者』
T.REX『ELECTRIC WARRIOR』

T.レックス創成期―

    だいぶ前の話だが、今のロック・バンドはみんなレディオ・ヘッドになろうとしていると、マドンナが言っていたらしい。

    小さなコンプレックスに悩まされて人は誰でも誰かになろうする。それは仕方がない事で、理想と現実とのギャップが激しいとその差を何かで埋めようとしてしまう。最近流行りの携帯アプリ“SNOW”で自撮りをして自分を良く見せようとする行為もそれに近しい。しかし、わびさびの日本ではそのよく見せようとすること自体の中傷をおそれ、逆に変顔アプリで自分を面白く下に下げ、クレームの種を先に摘み取り安息を得るというのが流行っているらしいが。

    何れにしても、何か自分とは違うものになりたいという願望はロックにも通じるものがある。その最も特徴的なものがグラムロックだろう。1970年代初頭、主にイギリスで流行した、煌びやかなスタイルで古典的な音楽をベースに艶やかに歌うロック。つまり、自分ではない何者かになりギラギラと表現することがグラムロックの根底にはあった。その代表的なアーティストの一人がT.レックスことマーク・ボランである。
 彼らの1971年の作品『電気の武者』。最初、邦題にムズ痒くなった。当時はカッコよかったのかもしれないが、2017年に見るとどうもダサカッコイイというニュアンスが当て嵌まる気がする。T.レックスグラムロック代表と言われながらも、この作品のA面ではグラムロックだ~と叫びたくなる曲は少ないと感じた。1曲目「マンボ・サン」のブギから始まり、フォーク・ロック、ソウル・ミュージック、ブルース、リズム・アンド・ブルースが楽曲を彩っていて、古典的な音楽を軸に作られていることが曲を追うごとにシンプルに伝わってくる。言うなれば、この作品はT.レックスにとってグラムロック前夜な作品なのだろう。
 でもB面の「プラネット・クイーン」から徐々にグラムロックさが表れてくる。「ガール」や「ライフ・イズ・ア・ガス」からは中性的なエロスが滲み出ていて、その定義は広いのかもしれないが、メンズがレディーの様に妖麗な歌い方をするのが、このロックの特徴の一つである。

   グラムロックの妖麗な歌い方は、日本のヴィジュアル系ロック・バンドの原点にもなっている。彼らはボランの佇まいや歌唱に影響を受け、リスペクトし、自身の音楽表現スタイルの参考にした。つまり、グラムロックが“自分ではない誰かになって表現する”ための方法論に成り得たのだ。
 70年代のグラムロック仲間には、あのデヴィッド・ボウイもいる。ボウイとボランどちらも人気を博したのだから、きっと日本のアーティストたちはボウイにも影響を受けただろう。でも、T.レックスの曲をカバーした日本人アーティストもいるようだし、V系ロック・バンドという括りではボランの影響を受けている方が多い気がする。想像だが、デヴィッド・ボウイは何よりも規格外過ぎる人だからだ。身長は178㎝(もっと高いイメージ)だし、神々し過ぎるし、安易に言ってしまえば思想とかは別として日本人アーティストが真似るには埋める穴が大き過ぎる。つまりハンデがあり過ぎるのだ。もちろん、外国人並みの長身で、それなりにスタイリッシュな日本人アーティストはボウイの曲をカバーしているのだが。それにボウイはグラムロック時代以降も音楽的進化を続けた人で、そこに収まる人ではなかったということもある。片や、ボランはグラムロック時代終焉と共に偶然にも天に召されることになった。

    T.レックスは母国イギリスや日本では、かなりの人気を博したが、アメリカでのヒット曲は「ゲット・イット・オン」だけだった。その点に類似性を感じるのはザ・ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンだ。彼が自身のパーソナルな部分を詰め込んだ歴史的名作と言われる「ペット・サウンズ」は、母国アメリカでは認められず、逆に英国のビートルズの度肝を抜いたのだった。母国で認められず海外で認められる、逆に海外で認められたが母国で評価されない。お互い逆の視点で苦悩したのかもしれないが、自分自身のコアを表現して受け入れられないということを悩み、孤独を抱えていたのだろう。二人のアーティストはそれと戦った結果、ブライアンは精神を病んだ時期があり、ボランは麻薬に溺れてしまった時期があった。それは結果的に、なりたい自分となれない自分とのギャップを埋めるための戦いだったのかもれない。

    先ほども言ったが、日本のロック・バンドたちはなりたい自分になるために、T.レックスグラムロック的な表現方法を日本のヴィジュアル系へとアレンジし、昇華させたといえるだろう。しかし、ボランに影響を受けた世代は結果的に脱V系へ終着したことから見て、自分たちがやりたかった音楽へたどり着くための一つの手段だったと言える。それは、あの日本の90年代にV系は売れるという商業的な方程式も相まってだったと思うが。
 だとするなら、77年のロンドン・パンク勃興と共にこの世を去ったボランにとって、グラムロックとは一つの手段だったのだろうか。今となっては知ることは出来ないが、残されている事実から想像してみると。彼の人気が低迷していった頃の楽曲はブラック・ミュージック色が強かったこと。音楽には関係ないが愛人で事実婚状態だったのが黒人女性シンガーのグロリア・ジョーンズだったこと。ボラン(Bolan)はBob Dylanを短縮したものだったくらい、ディランをリスペクトしていたことから考えて、根っこの部分に黒人音楽が匂うロックンロールを奏でたかったのが一つと。パンク・ロックにも注目し始めていたことや「リップ・オフ」で見られたラップ調のロックから、その方向のロックも視野に入れていたのかもしれない。

    自分を超えた自分になりたいと思い、人は時として無謀な挑戦をする。それは常に敗北と背中合わせの戦いでもあるのだ。グラムロックの旗手として自身を開花させたT.レックスことマーク・ボランは、音楽で人々を熱狂の渦に巻き込んだ。彼はミュージシャンとしての成功を手に入れた。しかし、その後彼が見たのは、没落と、再起を駆けながらも、望まない形で最期を迎えた自身の姿だったのかもしれない。

    “電気の武者”は死んだ。それでも、まだ確かに踊り続けている。何故ならそれは、1億4500万年前の中生代白亜紀から脈々と続く、戦う生命体の本能なのだから。