『aurora arc』
―BUMP OF CHICKENとは藤原基央にとって何だったのか―
バンプと藤原基央の関係性が大きく変わった。その予兆は前作からあったが、今回で確信を持った。
《Sir Destiny、俺の夢って何だったっけ?何が ここまで俺を動かしていたんだっけ?大事な何かを待たせていた様な…》「Ever lasting lie」でこの様に彼は歌い。同時期のロッキング・オン・ジャパンのインタビューの終わりに、「俺……なんで曲書いてるのかわかんねくなってきた」と呟く。(2000年11月号)この当時藤原基央はまだ自身が“歌う意味”と自分の夢を具現化する“バンプという存在”を信じ切れていなかったと想像できる。そんな彼が2003年に生み出した「ロストマン」に《間違った 旅路の果てに/正しさを 祈りながら/再会を 祈りながら》という歌詞があり、そういったすべてをまだ信じられていない状態で彼は旅立ちの歌を歌った。
今作でそのゴール地点、つまりアンサーソングが歌われた。それが「Spica」である。
「描いた未来と どれほど違おうと 間違いじゃない 今 君がいる」
明らかにロストマンの歌詞と対極をなし、あの当時描いていたものと違っていたとしても、今いる地点は間違いじゃないと肯定出来た瞬間が「Spica」という曲の意味であり、本作の重要なポイントでもある。
2000年11月号のジャパンの記事にも書かれているように、あの当時、バンプという存在は藤原基央、増川弘明、直井由文、升秀夫にとって“シェルター”のような存在だと言っていた。それは彼らにしか分からない世界でもあり、主観的な存在だった。しかし時が経ち、誰もがバンプの存在に共感し、4人だけのシェルターだったバンプは客観的な存在へ変化したと言える。藤原基央が「ロストマン」として歩き出し、旅の終わりに「Spica」という答えに辿り着いた。それが彼にとっての新世界だったのだ。
アンデルセンの童話『マッチ売りの少女』で、少女の亡くなった祖母の「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴」という言葉がある。「流れ星の正体」は藤原基央にとってのシェルターだった頃のバンプの終焉を表しているのかもしれない。
新たな季節はもうそこまで来ている。