ROHITOのロカリロロロ

ロック評論家 ROHITOのブログ

DISC REVIEW

GRAPEVINE『ROADSIDE PROPHET』

グレイプバインという名の進化論―

    不確かな記憶だが、田中和将はフランス映画とか渋谷系が苦手だったそうな...。私はそれに対してツッコミたい。グレイプバインほどフランスっぽい日本のバンドはいやへんし、渋谷系以上に渋谷系やわ!と。
 カッコよさだけをとるなら彼らの右に出るものはいないと思う。そこは20年経っても変わらない。また、バインほど海外のバンドたちに近づこうとした日本のロックアーティストはいないだろうし、ここまで近づけたバンドもいない。
 デビューから20年たった今。海外のロックのクオリティーやスキルに追いつこうとしていた彼らが結果的に辿り着いた場所は、幸か不幸か、最も日本国的な地点だったのではないか。
 最も海外的であるという一つの例で、私は映画監督の伊丹十三を引き合いに出したい。伊丹十三監督作品の「お葬式」を観ればわかるのだが、完全に日本的な葬式が描かれているにも関わらず、随所に見られるのが海外映画的なカットなのである。最も日本的な風景を描き切った中で、やっぱり制作者自身の嗜好が明らかになる、そういった一例になるのではないか。
 このグレイプバイン 20周年に生み落とされた『ROADSIDE PROPHET』は、彼らが洋楽的であることを追求していった結果、遂に隠しきれなくなった日本人としてのアイデンティティーが明らかになったもの。そして、遂にそれに向き合おうとしていく、田中和将のパーソナルな視点が新たに更新された作品である。

   日本芸術“能”などにある型の進化に、“守破離”という過程がある。守は古典的な型を守りそれを表現していくこと。破はその古典的な型を破り、新たなものを作りだそうとする行為。そして離は古典から自身のオリジナリティーなものを生み出した後、型から徐々に離れ、そこから自由自在になっていくこと。
 また、ニーチェの哲学にもこれと同じようなものがあり、人間の進化の過程を表現したもので、駱駝・獅子・子供の3つである。最初、人は先人の知恵や方法論を駱駝の様に背中に背負って進む。あるとき今まで踏襲してきた方法論の殻を壊す獅子の如く、新たな価値観を作りだそうとする。そして最終的にそのすべてを悟り子供のような心に戻った時、全く新しいものを創造できるというのだ。

   この二つの進化は、芸術作品の変化にも同じように見受けられることがある。無論、バインも然りである。彼らのデビュー・ミニアルバム1997年の『覚醒』から、ファースト・アルバム『退屈の花』、特にプロデューサー根岸孝旨を迎えたセカンド・アルバム『Lifetime』から同氏が参加した最後の作品『another sky』迄が、能でいう“守”、ニーチェの哲学でいう“駱駝”だ。名プロデューサーの元で、洋楽の古典的なロック、ポップを踏襲しつつも、GRAPEVINEというバンドの色を確立していった時期だったと思う。
 彼らが俗に言う“根岸塾”を卒業した後、セルフ・プロデュース作6枚目のアルバム『イデアの水槽』と、翌年のミニアルバム『Everymen, everywhere』が分岐点となり、続く7枚目の『déraciné』以降が、能での“破”、ニーチェの哲学でいう“獅子”に当たるだろう。7枚目で数曲プロデュースを手掛けた長田進を、8枚目『From a smalltown』以降、アルバムのトータル・プロデューサーに迎えた。そこから9枚目『Sing』と10枚目『TWANGS』が、バイン史上最も洋楽的な部分に向き合った時期だと言えるだろうし、冒険していた時期でもある。歌詞の部分では田中が英語で歌う部分が顕著にみられたり、音楽的には、いわゆる音響系を取り入れたり。同時期の洋楽にビビットに反応した結果、バインとしてのサイケデリック感が徐々に確立されていった時期だったと思う。この時生じたバンドの変革によって、バインは新たな破壊性を手に入れたのではないか。
 11枚目のアルバム『真昼のストレンジランド』を最後に長田進の元を離れた彼らは、ミニアルバム『MISOGI EP』、そして12枚目、久々のセルフ・プロデュース作『愚かな者の語ること』を経て、2014年にデビュー以降在籍していたレーベルを移籍した。
 移籍後初のアルバム、通算13枚目の『Burning tree』は過去最高に内省的な作品だったの思う。そして、14枚目の『BABEL,BABEL』でロックと日本語歌詞のマッチングの問題に対して、新たなバイン言語を作りだした彼らは、15枚目になる『ROADSIDE PROPHET』に辿りつくのだ。この作品が、能でいう“離”、ニーチェの哲学でいう“子供”への、いうなれば狼煙になっている予感が沸々と湧いてきている。

                                           §

    本作のポイントとなる部分は3つある。
まず一つ目は過去の作品があったからこそ故、そこからの延長線上の進化が発見できる曲があること。例えば、前作での楽曲「Golden down」にて日本で熱を帯びていた4つ打ちビートを取り入れたが、それを経たことで今回の「Shame」が生まれたと思う。エレクトロニカを背景に、そこにファンクなベースとアフリカ系のパーカッションを取り入れたソウルフルな楽曲に仕上がっている。
 また『Sing』や『TWANGS』にて、エレクトリック・ギター以上にアコースティック・ギターと田中自身の歌を追求した結果、その進化系として、シンフォニックな装飾でウェストコースト・ロックをベースにした「これは水です」が生まれたと思う。
   二つ目は、日本のロックバンドでブルースを奏でる意味という、抗えない血との向き合い方について、新たに生まれた答えだろう。
 あの「ナポリを見て死ね」の歌詞“えせブルースにしてうたう”という歌詞に込められたものはバイン史上一番心に残る皮肉だと私は思っていた。それについて17年たった今の、ありがちな言葉を使うならアンサーソングと言えるだろう、それを歌ったのが「楽園で遅い朝食」だと言える。この曲ではサイケデリックでブルースな楽曲を真正面から奏で、それに恥じない直球の歌詞が乗った、田中のパッションが垣間見えるものとなっている。
 三つ目は、田中の私的な内面を捉えた曲の新たな更新についてだ。バインの楽曲でも、なかなか田中の本心や心境の吐露と言えるものに踏み込んだ曲は少ないと思う。彼自身がそういった面では恥ずかしがり屋なのかもしれない。その中でも、既発曲で自分自身に踏み込んだと言われているのが「少年」である。あるインタビューで田中自身がこれはすごく僕だと言っていたこともあるし、田中の少年時代の思いを徐々に歌詞にし、歌い始めたのがこの頃からだと思う。その次の更新が「smalltown, superhero」、自身の思いが周りの風景と交差して描かれた歌詞になっていた。今作で、それをまた更新したのが「Chain」だろう。自分自身の思い含めた、そういった感情を“エコー”と表現し、身近な人たちへの思いと伝わってほしかった感情が少しずつだが明らかになってきた。そういった歌詞をオーソドックスなフォーク・ロック・スタイルで歌いきっている。

   “土から離れては生きられない”『天空の城ラピュタ』の名場面のセリフだが、それと同じように、どれだけ母国から離れても、血の流れを断つことは出来ないのではないかと思う。本物に近づけば近づくほど偽物になる。そんな地点が存在し得るのではないか。逆に言えば、洋楽のバンドに近づけている段階では、まだまだ遠い場所にいるのだと思う。
 私たちは母国である日本の本当の良さを理解することは難しいだろう。だから、ドナルド・キーンの方が日本の良さを理解出来ていたりする。日本から少し離れてみると日本の良さを再認識出来たりすることもある。
 ずいぶん日本から遠いところに来たものだ。グレイプバインもずいぶん海外バンドに近いところにきたものだ。彼らは遂にゼロ地点に辿り着こうとしているのではないか。海外バンドに近づこうとして、実際に近づけたものしか見ることのできない風景を見ている。探していた洋楽バンドに肩を並べたとき、グレイプバインから滲み出しつつある日本的な色彩、それこそが本当のロックバンドの証なのかもしれない。あれから物凄く遠い処までやってきて、ようやく気づいたのかもしれない。本当に必要なものは近くにあったことを…

 ―――ずいぶん前になるが、道端の預言者に“I Heard It Through The Grapevine”という言葉を言い渡されたことがある気がする。人は誰でも訳の分からない噂に苦しめられるようだ。でも、今更だがこの歌詞を見て理解した。
 “君や家族を/傍にいる彼等を/あの夏を そういう街を/愛せる事に今更気付いて”
《here》
 結局真実はいつもここにあるのだろう。

LIVE REPORT

GRAPEVINE TOUR 2017
2017.10.15
in Live House浜松窓枠

―ROADSIDE PROPHETの行く末―

    2017年のツアーを終えたときグレイプバインがどんな変化を遂げているかは分からない。だが、ツアー序盤のLive House 浜松窓枠公演を見て、20周年のその次を見据えたバインなりの答えが示されているような、そんなライブだと思った。

   定刻を数分過ぎて、亀井亨を先頭にメンバーがステージに姿を見せた。田中和将はニヤニヤと楽しげなしたり顔で現れる。最近定番の彼が登場する雰囲気。おそらく、バンドが好調な時ほど彼はこんな感じで観客を見てくるのだ。
    まずは「 The milk(of human kindness)」からスタート。アルバム後半曲を1曲目に持ってくるのはロックバンドではよくあるが、バインとしては珍しい始まりだった。その後もアルバムを逆に再現するかのように進みながら、彼らお馴染み、新旧の楽曲を織り交ぜながら進んでいく。特に地方公演ならではなのか、今のバンドのモードなのか、旧となればとことん昔、1stアルバムの曲「カーブ」がいきなり挿入されたりする、いつも以上に自由な選曲になっていたと思う。

    今年5月に観た、ユニゾン・スクエア・ガーデンとの対バンでのバインは、音響系とサイケデリックな音像の応酬だった。そこには確実にバンド全体として好調だといえるような、そういうときにしか出せないような、異常なノリがバンドの演奏には渦巻いていた。ニュー・アルバム発売を経て、それを表現する今回も、そんな状況が継続されているのかもしれないと思ってはいた。
    浜松窓枠では、そういうモードを保ちつつも、もう少し音楽としてラフな佇まいを持った表現だった。結果的にそれは今回のアルバムを表すのに彼らが選んだ適切な描写だったのかもしれない。何故なら今作は、いつも以上にブラック・ミュージックやソウル色が強調されているため、スタンダードな伝え方が必要となったのだ。

    今回特徴的だったのは、バインのブルースへの想いを再提示する演奏が多かったことだ。彼らの3rdアルバムでの重要曲、「ナポリを見て死ね」を演奏したのだが、やっぱりこのバイン的ブルース・ロックの炸裂具合は凄まじかった。私としては、今作でこの曲のアンサーソングとも言うべき「楽園で遅い朝食」との関係性を確かめたかったのだが。
    他にも、ことさらブルースを意識した選曲が目立っていた。もちろん「覚醒」とかも、よりブルースらしさが増しているようだった。
    いつもと違う部分としては、よもや当然と思われていた、ディープな曲を数珠繋ぎに聴かせる部分がそれほどシリアスにならなかったことと。前述した音響系に特化していく部分に深入りし過ぎなかったことぐらいだろうか。
    また、前回ツアーでは「Golden Down」で通常の小節から変化して途中でダフト・パンクをサンプリングしてくる展開を見せてくれた。その続編として、今回は「Shame」で、“キング・オブ・ポップマイケル・ジャクソンの「Beat it」をサンプリングしてくるという、バインらしいニヒルな展開を見せつけた。

    私自身が、今作で最もライブでの表現を期待していた曲は「楽園で遅い朝食」と「Chain」である。前者はバインがバンドとして、ブルースへの回答をしたためた曲。後者は田中が描いたパーソナルな情景の経過を指し示すものだ。今回この2つの演奏を見て、まだまだ伸び代のある曲だと思えた。「Chain」は田中の気恥ずかしさも若干含まれていたのかもしれない。これからのツアーで徐々に練りに練られていくのではないだろうか。
    本編エピローグは、やはりアルバムの1曲目の「Arma」に戻ってきた。当然ながら、この曲がバインのロックなモードとその先への思い、どちらにも最適化された楽曲と言えるだろう。
    もう一つ最後に気がついたことが、本編ラスト前に演奏された「その未来」とアンコール最後が「GRAVEYARD」で締められたこと。ことの外『déraciné』とリンクしていた部分だ。「その未来」などは、今さらだがバインとしてのロックが解放されたような生き生きとした演奏だったと思う。裏を返せば、バインが長田進プロデュース期に突き詰めたロックの持つサイケデリック感やウェストコースト・ロック直系のアコースティックな表現力。それ以降から今に至るまでのブラック・ミュージックへ貪欲に食指を伸ばし続けた時期。その入口段階で、“バイン・ロック”は一つの完成を見せていたのだと思う。それを再認識することが出来た。ブラック・ミュージック色の強いものが続けば続くほど、バインのロックというものがことさら恋しくなってしまうのかもしれない。
    「Arma」を最初聴いた時に感じた、いつになく陽性な旋律。それは、あの「放浪フリーク」に匹敵するかのごとくだった。だから今日のアクトを観て、あの時期とのリンクがより確かなものであることを強く実感出来た。その時よりも音楽的な多様性を得て、バインはまたそこに巡り合わせたのだ。

    彼らのライブは、いつも程よく既発曲を挿入し展開していくのがルーティンなのだが。それは時として、懐メロと言ってみたり、ディープな世界観を作り出すためのマテリアルだったりする。しかし、今日のアンコールの締めが「GRAVEYARD」だったこと及び田中がこの時、気迫を持ってSingする姿を見て。本曲の新たな解釈を導き出してしまったようだ。
    "四つ角の悪魔"という歌詞がある。彼らは十数年前に一度、四つ角の悪魔に鉢合わせしているのだ。季節は巡り、そこにまた足を踏み出そうとしている。
私はそれをなんだか怪物だと勘違いしていたようだ。そうじゃなかった。今日の田中の伝え方で気がついた。田中の中にあった、ホンモノのロックへのおそれ、それが悪魔の正体だったのだ。
    あのときは、あえてまいた。時は満ちた。ついに、四つ角の悪魔に再会するときなのだ。日本のロックバンドとしてほんまもんのロックに立ち向かうこと。そして田中が歌詞の中でパーソナルな告白にアーティストとしてどれだけ踏み込んで行くか。今日はそういったあれこれを期待させるようなライブだったと思う。

    自分らは未完だと、まだバインは言い続けているのだが。何を言う、あのモナリザの微笑みですら未完成だというのに。また田中のスマイルが頭にこびり付いて離れない、そんな夜になりそうだ。

ROCK CLASSIC

T.レックス『電気の武者』
T.REX『ELECTRIC WARRIOR』

T.レックス創成期―

    だいぶ前の話だが、今のロック・バンドはみんなレディオ・ヘッドになろうとしていると、マドンナが言っていたらしい。

    小さなコンプレックスに悩まされて人は誰でも誰かになろうする。それは仕方がない事で、理想と現実とのギャップが激しいとその差を何かで埋めようとしてしまう。最近流行りの携帯アプリ“SNOW”で自撮りをして自分を良く見せようとする行為もそれに近しい。しかし、わびさびの日本ではそのよく見せようとすること自体の中傷をおそれ、逆に変顔アプリで自分を面白く下に下げ、クレームの種を先に摘み取り安息を得るというのが流行っているらしいが。

    何れにしても、何か自分とは違うものになりたいという願望はロックにも通じるものがある。その最も特徴的なものがグラムロックだろう。1970年代初頭、主にイギリスで流行した、煌びやかなスタイルで古典的な音楽をベースに艶やかに歌うロック。つまり、自分ではない何者かになりギラギラと表現することがグラムロックの根底にはあった。その代表的なアーティストの一人がT.レックスことマーク・ボランである。
 彼らの1971年の作品『電気の武者』。最初、邦題にムズ痒くなった。当時はカッコよかったのかもしれないが、2017年に見るとどうもダサカッコイイというニュアンスが当て嵌まる気がする。T.レックスグラムロック代表と言われながらも、この作品のA面ではグラムロックだ~と叫びたくなる曲は少ないと感じた。1曲目「マンボ・サン」のブギから始まり、フォーク・ロック、ソウル・ミュージック、ブルース、リズム・アンド・ブルースが楽曲を彩っていて、古典的な音楽を軸に作られていることが曲を追うごとにシンプルに伝わってくる。言うなれば、この作品はT.レックスにとってグラムロック前夜な作品なのだろう。
 でもB面の「プラネット・クイーン」から徐々にグラムロックさが表れてくる。「ガール」や「ライフ・イズ・ア・ガス」からは中性的なエロスが滲み出ていて、その定義は広いのかもしれないが、メンズがレディーの様に妖麗な歌い方をするのが、このロックの特徴の一つである。

   グラムロックの妖麗な歌い方は、日本のヴィジュアル系ロック・バンドの原点にもなっている。彼らはボランの佇まいや歌唱に影響を受け、リスペクトし、自身の音楽表現スタイルの参考にした。つまり、グラムロックが“自分ではない誰かになって表現する”ための方法論に成り得たのだ。
 70年代のグラムロック仲間には、あのデヴィッド・ボウイもいる。ボウイとボランどちらも人気を博したのだから、きっと日本のアーティストたちはボウイにも影響を受けただろう。でも、T.レックスの曲をカバーした日本人アーティストもいるようだし、V系ロック・バンドという括りではボランの影響を受けている方が多い気がする。想像だが、デヴィッド・ボウイは何よりも規格外過ぎる人だからだ。身長は178㎝(もっと高いイメージ)だし、神々し過ぎるし、安易に言ってしまえば思想とかは別として日本人アーティストが真似るには埋める穴が大き過ぎる。つまりハンデがあり過ぎるのだ。もちろん、外国人並みの長身で、それなりにスタイリッシュな日本人アーティストはボウイの曲をカバーしているのだが。それにボウイはグラムロック時代以降も音楽的進化を続けた人で、そこに収まる人ではなかったということもある。片や、ボランはグラムロック時代終焉と共に偶然にも天に召されることになった。

    T.レックスは母国イギリスや日本では、かなりの人気を博したが、アメリカでのヒット曲は「ゲット・イット・オン」だけだった。その点に類似性を感じるのはザ・ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンだ。彼が自身のパーソナルな部分を詰め込んだ歴史的名作と言われる「ペット・サウンズ」は、母国アメリカでは認められず、逆に英国のビートルズの度肝を抜いたのだった。母国で認められず海外で認められる、逆に海外で認められたが母国で評価されない。お互い逆の視点で苦悩したのかもしれないが、自分自身のコアを表現して受け入れられないということを悩み、孤独を抱えていたのだろう。二人のアーティストはそれと戦った結果、ブライアンは精神を病んだ時期があり、ボランは麻薬に溺れてしまった時期があった。それは結果的に、なりたい自分となれない自分とのギャップを埋めるための戦いだったのかもれない。

    先ほども言ったが、日本のロック・バンドたちはなりたい自分になるために、T.レックスグラムロック的な表現方法を日本のヴィジュアル系へとアレンジし、昇華させたといえるだろう。しかし、ボランに影響を受けた世代は結果的に脱V系へ終着したことから見て、自分たちがやりたかった音楽へたどり着くための一つの手段だったと言える。それは、あの日本の90年代にV系は売れるという商業的な方程式も相まってだったと思うが。
 だとするなら、77年のロンドン・パンク勃興と共にこの世を去ったボランにとって、グラムロックとは一つの手段だったのだろうか。今となっては知ることは出来ないが、残されている事実から想像してみると。彼の人気が低迷していった頃の楽曲はブラック・ミュージック色が強かったこと。音楽には関係ないが愛人で事実婚状態だったのが黒人女性シンガーのグロリア・ジョーンズだったこと。ボラン(Bolan)はBob Dylanを短縮したものだったくらい、ディランをリスペクトしていたことから考えて、根っこの部分に黒人音楽が匂うロックンロールを奏でたかったのが一つと。パンク・ロックにも注目し始めていたことや「リップ・オフ」で見られたラップ調のロックから、その方向のロックも視野に入れていたのかもしれない。

    自分を超えた自分になりたいと思い、人は時として無謀な挑戦をする。それは常に敗北と背中合わせの戦いでもあるのだ。グラムロックの旗手として自身を開花させたT.レックスことマーク・ボランは、音楽で人々を熱狂の渦に巻き込んだ。彼はミュージシャンとしての成功を手に入れた。しかし、その後彼が見たのは、没落と、再起を駆けながらも、望まない形で最期を迎えた自身の姿だったのかもしれない。

    “電気の武者”は死んだ。それでも、まだ確かに踊り続けている。何故ならそれは、1億4500万年前の中生代白亜紀から脈々と続く、戦う生命体の本能なのだから。

ROCK CLASSIC

ニール・ヤングアフター・ザ・ゴールド・ラッシュ
NEIL YOUNG『AFTER THE GOLD RUSH』

―失われた共通言語―

 ~序章~1970年。世界はまだ一つの言語で成り立っていた時代(?)全ての宝は持ち去られた後だったが、まだ言葉は通じる世界だった。そして、2017年。全世界、全世代の共通言語すら失った僕たち。それでも、ニール・ヤングの音楽は今に受け継がれていた。これは、音楽が言語コミュニケーションを越えることの最たる証拠だと言える。
 ~1~ 音楽は国境を越える。使い古された名言をもう一度引っ張り出してみた。この言葉は的を射ている、自分の母国語以外で歌われていても、その音楽のもつ喜怒哀楽は感じることができる。たまにこんなに明るい曲なのに、歌詞はかなり絶望的だね、みたいな事があるにしてもだ。
 だから、当然ニール・ヤングの音楽も国境を越えているはず。ヤングの音楽の原点にはロックやカントリーがある。又、リトル・リチャードやチャック・ベリーなどの黒人が作り出すリズム・アンド・ブルース、ロックンロールから、グルーヴなどの音楽的影響も受けている。音楽は人種の壁も乗り越える。
 海外、日本のロックの中にもニール・ヤングへの音楽的オマージュを感じられるものが多数ある。やはり、国境を越えている。
 ~2~ 逆に言葉は伝わりにくいと一般的に言われている。あのデヴィッド・ボウイも人間のコミュニケーションの中で最も曖昧なものが言葉だと言っていたらしいし。当然、言語が違えば伝わらない。世代が違えば伝わりにくい。よく言われる、今の若者は話を聞かん、あの年寄りは頑固で聞く耳を持ってない、とかよく言われることだ。そして、価値観が違えば伝わりにくい。男とか女とか。だから音楽は国境越えても、言葉は越えられない可能性の方が高い。
 ~3~ だとするなら、『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』は音楽としては、国境を越えられたが、言語としては越えられないということになる。でも、おそらく伝わった。色々なアーティストから引用されているのを見てもそうだろう。私が想像するに、あの時ニール・ヤングが歌っていたのは、もうこの1970年に宝物は存在せず、全ては何処かに持ち去られた後だった。という事を悔やんでいた位じゃないか?もちろんこれはタイトルから妄想してみただけだが。後は、愛についてのびのびと歌う事ができたのではないか?なんだか、あの時代、どうも一つの共通言語で世界は成り立っていたと思わずにはいられなくなってきた。
 宝物をすでに失っていた1970年の世界だったのかも。でも、少なくとも言葉は通じた世界だったんだろう?救いだよ。
 ~幕間劇~ 2017年、世界は冷戦の続編が描かれていた。日本、戦後、バブル崩壊、そして、3.11。僕たちはすでに共通の言語を失っていたのだ。
 ~4~ 全ての救いだったロックでさえ、共通言語を失った前では無力なのか。そんな疑問が頭の中をぐるぐる、グルーヴの様に渦巻いていたが、まだ諦めた訳じゃない。
 ~最終章~ それでも、ニール・ヤングの音楽は今に受け継がれていることだけは確かだろう。「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」のピアノの旋律からは、ノラ・ジョーンズの表現スタイルに影響を与えているのが感じられる。「ブリング・ユー・ダウン」からは、アクセル・ローズのボーカル・スタイルへ影響を与えているのが見える。
 また、日本のアーティストへの影響も端々に感じられる。特に日本のロック・バンドが異性に対しての“LOVE”をフォーク・ロックやカントリー・ロックで表現しようとしたとき、「オンリー・ラヴ」や「オー・ロンサム・ミー」は限りなく優秀なお手本となっていると思う。さらに、「バーズ」から立ち昇る歓喜が含まれた王道感は、長渕剛にも影響を与えている。これらは、音楽が言語の壁を乗り越えることを証明する氷山の一角だろうが、ひとつの証拠になる事象である。

 ~エピローグ~ 2017年。海外でヒップホップ系がロック系の売り上げを上回ったってよ!(笑)

DISC REVIEW

GRAPEVINE『Arma』

 ―継続は力なりと言わない、こともない―

    多分、新聞で読んだと思うけど、漫画家の尾田栄一郎秋本治に、なぜ休まず継続できるかを聞いた、すると一言「頑張るんだよ」と言ったらしい。
 田中和将に、ずっと作品を出し続けるってすごいですねと言ったところで彼は、「いや、ずっと地続きでやっているんで…」と、はぐらかしそうな気がする。
 バンド活動という地平線が続く中で、音楽的な変化は常にあった、そして時にとんでもなく明るい楽曲が産み落とされることがある。例えば、既発曲「放浪フリーク」はそれに当たる。「Arma」も同様に陽性でポップな展開が見られる。
 音楽的には、その先を予感させるように、曲の根底に渦巻くフィードバック・ギターの流れと、星の瞬きの様にキラキラと鳴らされるキーボードの音色がガイド役となり、彼らとしては珍しくブラスをバックに挿入、祝福を醸し出すが如く鳴り響く。
 歌詞は、いつになく詩人田中のニヒリズムが炸裂しているといっていいかもしれない。曲名「Arma」はラテン語で武器や鎧という意味を持つ。でも、この単語を一文字変えると「Alma」となり、これはスペイン語で魂という意味になる。さらにAlmaは女性名にも使われるものである。
 この昔あった英会話CMのような、一文字替えトリックをもとに次の歌詞を聴くと、違った二つの意味が感じられるようだ。

 “例えばほら/きみを夏に喩えた/武器は要らない/次の夏が来ればいい”

    またナツノヒカリが過ぎていく。次の夏を待とう。
 GRAPEVINEデビュー20周年おめでとうございますとは言わない、こともない。

DISC REVIEW

ART-SCHOOL『スカートの色は青』


―彼女のヒトミの中に―
  
 発明家がすごいのは、何もないところから何かを作り出すことにある。つまりゼロからイチを生み出すことが最も素晴らしいことなのだ。
 初めてのものはなんでも素晴らしい。言うまでもなく、初めて異性と繋がり合った瞬間は表現しようの無いものである。しかし、どんなものであれ、繰り返せば繰り返すほど、長く続ければ続けるほど、最初の感動や初期衝動は薄れていってしまう。
 ART-SCHOOLの既発曲に「SKIRT」という曲があり、今回の曲名は「スカートの色は青」。これを安直に並べてみて、安易に今回はその続編だと考えたとき、スカートの色を青と特定したということは、ある種、見る視点が変わったためだと思う。
 木下理樹が書く歌詞の多くには、女性への強い思いが詰め込まれている。前作もスカートの色が忘れ去れないことを歌い、その衝動的な気持ちが曲のスピード感とあいまって、サディスティックな楽曲となっていた。今回は揺れるスカートが出てくる。ゆっくりとしたテンポで、ゆったりした描写と重なり、思いを反芻していく。
    ART-SCHOOLは活動休止から復帰後、悲しみそのものを包み込むバンドに変わった。だから同じ事柄を歌ったとしても、やさしい表現方法となっているのだ。そう、それはまるで女神の様に。
 誰にでも、忘れられないスカートの色があるとしよう。もしそれが初めて繋がった異性のものならば、どれだけ色あせたとしても一生消せない色と言えるかもれない。だから木下理樹の瞳にこびり付いているスカートの色は最初から青だった。
 と言いつつも、結局これは男子側の視点であって女子側の視点では無い。言うなれば、スカートへの情熱を歌った「SKIRT」が男子目線だとするなら、そんな男子を冷静に見据える女子目線の曲が「スカートの色は青」だと捉えることができるのではないか。だからCDジャケットでは切れているのだ、青いスカートを穿く女性の瞳が。と思い、ふと怖くなった。
 そんな、訳知り顔な男女の構図がありありと描かれてしまったのではないか、意図せずかもしれないが。
 でもこういう歌詞を書いてしまう木下理樹、嫌いじゃない。

ROCK CLASSIC

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
『エレクトリック・レディランド』
THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE
『ELECTRIC LADYLAND』

―ジミヘンが死んだ理由―

 酒と女とロックンロールって古典的な名言を呟いてみる。
 昔、沖縄の人から、なぜ人間はお酒を飲むと思う?お酒を飲むと人は正直になる。それはつまり、神にお近づきになるためなんだよ。と教えられたことを思い出した。
なるほど、神に近づくね。うまく酒を飲む口実を作ったもんだわ。
 昔、長い小説は長いセックスのようなものと言った作家がいた。となると、長い音楽もそれにあたるのだろうか。いや、これを言いすぎるとエロくなってしまうな、やめておこう。
 じゃなくて、今はロックについて話したいんだが。先ずは、The 27 Clubについて、ロック・スターはよく27歳に死ぬってやつだ。ちょっと何故27歳に死ぬのか考えてみた。
 まず、27歳で死ぬ人は必ずもうその年でなんか成し遂げちゃっているということ。あと、土星の公転周期が28年位で、西洋占術では、それを「土星回帰」と呼び、人は29年毎に人生で大きな変動があるらしい。
 そう、土星が一周している内に何かを成し遂げたんだよね。だからそこで死を選んでしまった。本人の意思はいざ知らず。
 ちょっと、ロックの話をしていたよね。
 The 27 Clubの一人ジミ・ヘンドリックスは、何故死んでしまったのか。
一応は睡眠薬と酒を飲んだ後の就寝中に窒息死したと言われている?まぁ、そうなんだろうが。結局彼は何か成し遂げた、つまり、神に近づきすぎて、神に背き続けた。この音楽で。
 特に神に近づいてると思ったのは、14分59秒ある曲「VOODOO CHILE」。ジャムセッションが繰り返される中、そういう啓示が降りてきつつあったのではないか。音楽が循環し続けていくことで、その効果が徐々に出てくる。神に近づいていく。同様に長尺曲の「1983」はリリックに含まれた感情の喜怒哀楽がギターサウンドと混ざり合い、曲が進む度に構築され、それがナイフの様に現実を切り裂いていく。つまり非日常、神の領域だ。
 でも何故そこまで神に近づく必要があったのか。何かの存在が影響しているのだ。  
「GYPSY EYES」はヘンドリックスが母親のことを歌った曲と言われている。
若くして生き別れたという母は32歳で他界している。おそらく、ヘンドリックスが神に近づこうとしていたのは、母に会うためだったのかもしれない。
 死んだ母に会う為に神に近づいた。その過程でヘンドリックスの超絶なギター・プレイは生まれたのかもしれない。ロックという音楽を使い、正直な本音を歌い続けた。その反対に、表現スタイルでは神に背く行為も続けていた。それは、ギターを燃やしたり、ぶっ壊したりするスタイル。まさに神から得られた啓示を表現し、またその授かり物を破壊する。構築と破壊を行った彼を、皆はロック・スターと崇め立てた。
 彼は正真正銘のロック・スターだった。彼のギターによって作られたリフレインやメロディ、それらが投入されたロック・ミュージックは、正に神から手に入れたものだったのかもしれない。ヘンドリックスに影響を受けた音楽家達は、また借りしているだけなのかも。彼は、それを受け取った代償として死を選んだ。
 この作品のブックレットを開いていって突如、裸体の女性が一面にこちらを凝視しているページがあった。エレクトリック・レディランドってそういうことだったの。妙に色めき立ってしまった。
 ヘンドリックスが死んだ時、モニカという女性と一緒だったという。ロック・スターにはよくあることだ。でも、どれだけの人と繋がったとしても、いずれ帰るところは同じなのだろう。
 最初の世界との繋がりはたった一つ、母の胎盤から伸びる臍の緒だけだった。そこから、全世界へとリンクしていったのだ。
 長い子守唄、長い魔法はまだ解けていない。何故なら未だにヘンドリックスは神に抗っているから。それがこの世界で音楽が続いている理由の一つだ。