ROHITOのロカリロロロ

ロック評論家 ROHITOのブログ

ROCK CLASSIC

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
『エレクトリック・レディランド』
THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE
『ELECTRIC LADYLAND』

―ジミヘンが死んだ理由―

 酒と女とロックンロールって古典的な名言を呟いてみる。
 昔、沖縄の人から、なぜ人間はお酒を飲むと思う?お酒を飲むと人は正直になる。それはつまり、神にお近づきになるためなんだよ。と教えられたことを思い出した。
なるほど、神に近づくね。うまく酒を飲む口実を作ったもんだわ。
 昔、長い小説は長いセックスのようなものと言った作家がいた。となると、長い音楽もそれにあたるのだろうか。いや、これを言いすぎるとエロくなってしまうな、やめておこう。
 じゃなくて、今はロックについて話したいんだが。先ずは、The 27 Clubについて、ロック・スターはよく27歳に死ぬってやつだ。ちょっと何故27歳に死ぬのか考えてみた。
 まず、27歳で死ぬ人は必ずもうその年でなんか成し遂げちゃっているということ。あと、土星の公転周期が28年位で、西洋占術では、それを「土星回帰」と呼び、人は29年毎に人生で大きな変動があるらしい。
 そう、土星が一周している内に何かを成し遂げたんだよね。だからそこで死を選んでしまった。本人の意思はいざ知らず。
 ちょっと、ロックの話をしていたよね。
 The 27 Clubの一人ジミ・ヘンドリックスは、何故死んでしまったのか。
一応は睡眠薬と酒を飲んだ後の就寝中に窒息死したと言われている?まぁ、そうなんだろうが。結局彼は何か成し遂げた、つまり、神に近づきすぎて、神に背き続けた。この音楽で。
 特に神に近づいてると思ったのは、14分59秒ある曲「VOODOO CHILE」。ジャムセッションが繰り返される中、そういう啓示が降りてきつつあったのではないか。音楽が循環し続けていくことで、その効果が徐々に出てくる。神に近づいていく。同様に長尺曲の「1983」はリリックに含まれた感情の喜怒哀楽がギターサウンドと混ざり合い、曲が進む度に構築され、それがナイフの様に現実を切り裂いていく。つまり非日常、神の領域だ。
 でも何故そこまで神に近づく必要があったのか。何かの存在が影響しているのだ。  
「GYPSY EYES」はヘンドリックスが母親のことを歌った曲と言われている。
若くして生き別れたという母は32歳で他界している。おそらく、ヘンドリックスが神に近づこうとしていたのは、母に会うためだったのかもしれない。
 死んだ母に会う為に神に近づいた。その過程でヘンドリックスの超絶なギター・プレイは生まれたのかもしれない。ロックという音楽を使い、正直な本音を歌い続けた。その反対に、表現スタイルでは神に背く行為も続けていた。それは、ギターを燃やしたり、ぶっ壊したりするスタイル。まさに神から得られた啓示を表現し、またその授かり物を破壊する。構築と破壊を行った彼を、皆はロック・スターと崇め立てた。
 彼は正真正銘のロック・スターだった。彼のギターによって作られたリフレインやメロディ、それらが投入されたロック・ミュージックは、正に神から手に入れたものだったのかもしれない。ヘンドリックスに影響を受けた音楽家達は、また借りしているだけなのかも。彼は、それを受け取った代償として死を選んだ。
 この作品のブックレットを開いていって突如、裸体の女性が一面にこちらを凝視しているページがあった。エレクトリック・レディランドってそういうことだったの。妙に色めき立ってしまった。
 ヘンドリックスが死んだ時、モニカという女性と一緒だったという。ロック・スターにはよくあることだ。でも、どれだけの人と繋がったとしても、いずれ帰るところは同じなのだろう。
 最初の世界との繋がりはたった一つ、母の胎盤から伸びる臍の緒だけだった。そこから、全世界へとリンクしていったのだ。
 長い子守唄、長い魔法はまだ解けていない。何故なら未だにヘンドリックスは神に抗っているから。それがこの世界で音楽が続いている理由の一つだ。

DISC REVIEW

BUMP OF CHICKEN『記念撮影』

―ネガとポジの先に向けて―

 藤原基央は常に物事の両側面を歌ってきた。『FLAME VEIN』は強い自分を『THE LIVING DEAD』は弱い自分を描いたように、光と影、生と死、どちらをも見つめることが誠実であり、真実を捉えることが出来るかのように。
 「リボン」が藤原基央を巣立った後の、新たなバンプの狼煙となる曲だった。つまりこの曲は物事の陽の部分を歌ったものだった。だとするなら、「記念撮影」はその対極にある陰の部分を歌った曲と言えるだろう。
 “終わる魔法の中にいた事”という歌詞の部分にはバンプという魔法のような集合体でも完全無欠ではなく。いずれ必ず終わりは来るという儚さを孕んだ未来からの答えが隠されている。「リボン」と「記念撮影」を対極に見据えれば、今のバンプというバンドの強さと弱さ、どちら側にも思いを馳せることが出来る。
 「Butterfly」以降、バンプの一つの形態となったEDMを取り入れた楽曲ではあるが、サビ以外のヴァ―スの部分は歌詞がシンセの音に乗るように歌われ、さながらトラップ・ミュージックのような印象を与えている。本曲のPVはリリック・ビデオと紹介されていて、歌詞の文字を切って、映像と共に提示していることからも、「記念撮影」の歌詞が特に重要であると感じずにはいられない。
 だから、どうしてもあの「ロストマン」の歌詞と繋がっている“迷子”というワードを引き合いに出してしまう。そう、あの時の旅人はもういない。彼を作りだした藤原基央と一つになり、今現実の世界に存在している。それが歌詞にも出てくる“想像じゃない未来に立って”という部分にリンクしていくのだ。
 「ロストマン」で仮想空間を旅していた旅人は“迷子って/気付いていたって/気付かないフリをした”、そして「記念撮影」で藤原基央は“迷子のままでも大丈夫/僕らはどこへでもいけると思う”と歌った。
 おそらく、この二つの場面は同じ時間軸上で繋がっている。「ロストマン」の“僕らが/丁寧に切り取った/その絵の/名前は/思い出”という部分、その切り取った絵の一つが、「記念撮影」で描かれている過去の思い出なのだ。
 最後の歌詞は“今僕がいる未来に向けて“で閉じられる。そのいまが2017年の藤原基央バンプだ。始まりがあれば必ず終わりがくる。どんな魔法もいつか解ける。そうなのだ、BUMP OF CHICKENポートレートとして記念撮影をした、その瞬間がこの曲に刻まれている。いずれロストマンのあの瞬間のように、この思い出が切り取られ、幾億年も旅することもあるかもしれない。 ”終わる魔法の外に向けて“とあるが、まだ魔法は続く。僕達はこれからあと何回季節を繰り返すことができるだろうか。楽しみで仕方がない。

DISC REVIEW


BUMP OF CHICKEN『リボン』

―新しいバンプの始まり―

 『Butterflies』でバンプというバンドは藤原基央を巣立った。「アンサー」はその後の藤原基央側の物語だとするなら、この「リボン」は旅立った後のバンプ、その物語の序章と言えるだろう。
藤原基央の元を旅立ったバンプは今、彼の物語の登場人物だった“旅人”と入れ替わるように、仮想空間(未知の領域)に存在している。(あの旅人は現実の世界で藤原基央と一つになった)
 “ここはどこなんだろうね/どこに行くんだろうね/誰一人わかってないけど”
 新たに旅立ったバンプは今こういった気持なんだろう。新しい景色を見ようとする人はいつだってそういう場面に出くわす。
 偶然か意図してなのか、この曲が起用されている某CMのストーリーもタイムスリップによる、異次元への旅が描かれている。まさにこの曲はそういう意味を持つ。
 何もない休日での心臓のリズムにも似た速さで曲は進み。この4人のメンバーのつながりを確かめるような歌詞が乗っていく。最も印象的な歌詞は、曲の中盤にくる“僕らを結ぶリボンは 解けないわけじゃない 結んできたんだ”という部分。藤原基央の、自身のバンド、メンバーに対しての強い思いが滲みでていると感じた。
 そして、藤原基央の思いに増川弘明のギターのメロディ―と直井由文のベースのリズムが共鳴するかのように響き、終盤の升秀夫のスネアドラムの打音が高まっていく部分は、4人がリボンで強く結ばれていく様を体現しているかのようだ。
 今作の繰り返されるドラムの音からは、どうも原始的なリズムを感じてしまう。陳腐な言葉かもしれないが、音楽は魔法だ。その音で、過去とか未来に繋がってしまう恐れだってある。今のバンプはどこにだっていける。 
「リボン」はその始まりにはもってこいの曲になった。いつかまた、公転周期の巡り合わせで、藤原基央本人と出会えることもあるかもしれない。それまでは、このリボンをぎゅっと結び続けるしかないだろう。

DISC REVIEW

BUMP OF CHICKEN『アンサー』

―あの手紙への返信―

    今一度、BUMP OF CHICKENの作品を振り返ってみると3つのポイントがある。1つ目は『orbital period』 で藤原基央の詩の世界で歌われてきた弱い自分と強い自分との統合がなされたこと。2つ目は、「ゼロ」でバンプが誰かのための灯台(光)になることを表明したこと。3つ目は『Butterflies』でバンプというバンドが藤原基央自身を巣立ち、蝶の様に旅立った瞬間があったことである。
 それ以降、藤原基央自身のパーソナルな視点の物語と、彼の元を巣立ったバンプというバンドの物語は、クロスオーバーしつつも、お互い異なる二極の道を歩むことになったのだ。
 この「アンサー」は、藤原基央側の物語と捉えることが出来る。おそらく、いや少なくとも、彼の物語にいた“旅人”はもういないのである。それはバンプが彼の元を巣立ったのと、ほぼ同じ時だったはずだ。その最初の一歩が「ファイター」であった。あの瞬間、旅人=藤原基央となったのだ。つまり、彼の仮想空間にいた旅人は、遂に現実世界にいる彼自身を描いた藤原基央と出会った。この邂逅が彼自身を現代の“ファイター”へ導いたのだ。
 だとすれば、この「アンサー」は何にむけてのモノなのか。「ファイター」へのアンサーソング?ではない。藤原基央と旅人、お互いに向けたアンサーソングでもない。
 これは、「宇宙飛行士への手紙」へのアンサーソングと言える。この曲は藤原基央と旅人の邂逅を予言する歌だったと思う。
 “今が未来だった頃の事”という歌詞があるが、これが本当に今のタイムラインと一致した時が「ファイター」。そして、そのもらった未来からの手紙への返事として「アンサー」という曲が生まれたのだ。
    “それだけわかってる わかってる”
    “僕だけわかってる わかってる”
 もらった手紙の予言で、そうなるとわかっていた、でもそこまでたどり着くのにどれだけのことがあったか、その思いを反芻するような歌詞が、坦々と流れるビートに乗り深く刻まれ、最後の決意表明の歌詞と共に閉じられる“アンサー”だ。

ROCK CLASSIC

ザ・ドアーズ『まぼろしの世界』
THE DOORS『STRANGE DAYS』

―それっておかしくないですか~Part 7―

 闘う理由も無いのに戦うって、おかしくないですか?だから、働かなくてもいいんですよ、別に。日本がこれ以上、上昇することはないんですから。
というSNS上のツッコミを横目で見ていた。

 アメリカ西海岸出身のロック・バンド、ザ・ドアーズのセカンド・アルバム『まぼろしの世界』。発売された1967年、その頃はまだ闘う理由があった。世界ではベトナム戦争への反対を掲げたアーティストがいた。戦争を無くせば世界は平和になるという希望を胸に。
でも、戦争は防げず完全な平和が訪れることもなかった。

    サイケデリック・ロックはこの時代を代表するロックの一つである。ザ・ドアーズの作品にもサイケデリック・ロックが溢れている。彼らの楽曲の形式から言うのであれば、レイ・マンザレクのキーボードのメロディーとロビー・クリーガーのエレクトリック・ギターとのメロディーの交差から生じる、覚醒的音楽作用がサイケというものを形作っている一つの要因だろう。結果的にだが、60年代後半のサイケデリック・ロックは、戦いの果てに訪れる心の痛みを軽減する意味を持っていたのかもしれない。だからあの時代にサイケは有効だった。

   しかしながら、私がドアーズを知ったのは「Break On Through」という楽曲で、そこで感じたのはサイケというよりもジム・モリソン過激、コワイという印象だった。だからモリソンのシャウトを伴うボーカル・スタイルから私はハード・ロックを感じていたのだと思う。

    彼の過激でエロティックな表現スタイルとサイケな世界が人々を虜にした結果、モリソンはその時代のロック・スターへと登り詰めた。この2つの部分は日本のロック・バンドの佇まいにも影響を与えているし、本作からの音楽的な引用も多数見受けられる。

 今も本当の意味で闘う必要がある時。つまり、その痛みを和らげる音楽、正にサイケデリック・ロックのような音楽が必要なはず。でも、ジム・モリソンはもういないし、いたとしてもザ・ドアーズの音楽が今の時代にそのまま機能できるわけではない。あの時代にあった音と音との行間に潜むコクーンはもう無いのだ。

 だから、どんな音楽が必要なのか。今風のサイケか、ブルースやハード・ロックか、いやレゲエ?やっぱりヒップホップなのか。その答えは1つではないと思う。 正しいことのために闘う意味があったあの時代に、勝者への賛美歌にも、敗者のための鎮魂歌としても『まぼろしの世界』は何処までも有効であった。

   でも、戦うことの正しさもなくなって、もちろん負けることの正しさなんてあるはずもない状態で、戦争を続けるなんて、おかしくないですか? もう、戦いはやめだ…ザ・ドアーズの音楽なんて必要ない!っ世界はこれからも望めそうにないのだろう。 僕たちが常に求めているのはサイケデリックという名の蜃気楼か?いや、まぼろしのように消えた、その向こうにある世界だろう。

LIVE REPORT

GRAPEVINE presents
GRUESOME TWOSOME
guest:UNISONSQUAREGARDEN
in Zepp Osaka Bayside
2017.5.28

グレイプバインバンツアーのラストは、ユニゾンスクエアガーデンとの大阪公演。

エアリアルエイリアン」から始まったユニゾンは、ポップのフォーマットでロックし続けるスタイルは変わらずだった。田淵の能のようなベースプレイと鈴木のタイトなドラミング、そして一貫してクールなギター&ボーカルの斎藤が織りなすアンサンブルは所謂踊れるロックというジャンルでありながらも、その他を寄せ付けないダンサブルさを持っている。サウンドとしてのロックを貫きつつも、歌としてのメロディアスさがユニゾンのポップ・ミュージックとしての可能性を何倍にも高めている。今回も、彼らのロック・サウンドが加速すればするほど「クローバー」が会場に鳴り響いた瞬間にガラリと空気感が変えてしまう。これはポップ・マジック以外の何物でも無いだろう。ラストの「シュガーソングとビターステップ」はまさに今のユニゾンな曲なのだか、改めてライブという場で鳴り、機能した結果、この曲にあったロックとしてのノリとダンスミュージックとしてのノリ、ベースが作り出す横ノリがすべて放出されていることを実感。彼らの現在地をしっかり確認することができるアクトだった。

バインはいつもの大阪ならではのノリで登場。「ふれていたい」から始まった。バインはロック・バンドであるからこそ、レコ発公演で無い場合は、既発曲を織り交ぜたセット・リストでアレンジも変化していく。2曲目は「Golden Dawn」昨年は4つ打ちがよもや、はやり言葉となってしまったが故。ニヒルなバインはそこから、テクノな展開を見せてくれた。今回は、そこまではいかなかったが、音響系とサイケデリックの間を行き来しつつ。そこからは彼ら得意の長く粘つく世界観を曲を重ねるごとに構築していった。そして”デビューから20年を経て、ついに武器を手に入れた”という冗談のようなMCをはさみつつ、新曲「Arma」が放たれた。楽曲はバイン王道のロック・チューン。歌詞には”武器”もでてくるが”あなた”という歌詞も対比されている、田中らしい詩になっているようだ。今回、バインの演奏を聴いて感じたのは、どうも奇妙に完璧なノリが渦巻いているということ。20年を経てたどり着いたと言えば安易だが、それもあるかもしれない。とにかく今のこの5人の響演はサイケデリックや音響系が渾然一体となった異常な高揚感を有している。つまりそれが2017年のバインのノリなのかもしれない。

アンコールの最後、グレイプバイン&斎藤のメインボーカルで「光について」が演奏され、終演した。

一夜にして、ユニゾンスクエアガーデンとグレイプバイン、2組の現在地を見ることが出来た貴重な対バンライブだった。

ROCK CLASSIC

ザ・ビートルズリボルバー
The Beatles『Revolver』

―33回転目の真実―

 “今、何回転目?”
 “そうね!だいたいね~”


    レコードの針は降りたままだった。今日はビートルズのメンバーに、「リボルバー」についてインタビューをする日。緊張が徐々に高まってきていた・・・


    ―――まずは、リンゴからインタビューをさせて頂いた。
私「初めまして、リンゴ」

リンゴ「やあ」

私「リボルバーは最高のアルバムですね」

リンゴ「ありがとう」

私「あなたが歌っている“イエロー・サブマリン”もポップで気持ちイイですね」

リンゴ「あれは、ポールが書いた曲なんだ」

私「そうなんですね。あなたのボーカルがすごくマッチしていると思います」
リンゴ「それは、よかった。あ、ちょっと用事を思い出した。すまないけど先にほかのメンバーの処へ行ってくれないか?僕はまた後で、いつでもいいからさ」

私「あ、わかりました。じゃ後で!」


 次はジョージのもとに向かった。
私「こんにちは!ジョージ。初めまして」

ジョージ「こんにちは。初めましてだね」

私「今作にはあなたの楽曲が3曲も入っていますね。今、かなりノッテいますか?」

ジョージ「いや、いつも通りだけど。まぁ、たまたまだよ」

私「“タックスマン”はすごくファンキーでノれる曲ですし。“ラブ・ユー・トゥ”はインド風と言われているようで、この曲は60年代後半のプログレッシブ・ロックにも繋がる構成になっていると思います。“アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー”は70年代のグラム・ロックにも通ずるというか、そのままいけば煌びやかな80年代への系譜にもなっているかと思いました」

ジョージ「ふーん。まぁ君の言っていることが正しいのかよくわからないが、クールに決まっていればOKだよ」


 その時、部屋のドアが開き、ポールが顔を覗かせた。

ポール「いつまでジョージと話をしているつもりだい?もういいだろ。はやくこっちに来なよ」

私「あ、でもまだ…」

ジョージ「いいよ、別に。ポールのとこ行きなよ」

私「あ、ありがとうございます。ではまた」

ジョージ「オッケー。バイバイ!」


私「どうも。初めまして、ポール」

ポール「ハーイ!元気にしていたかい?」

私「はい。げ、元気ですよ!」

ポール「そうか!また日本に行くからね!」

私「それはどうも、ありがとうございます。それで、リボルバーの話なんですが」

ポール「うん」

私「ポール、あなたの書いた曲は、とても泣けます」

ポール「ほんとかい?まあレノン・マッカートニーなんだけどね」

私「あ、まぁ。あなたがリード・ボーカルの曲ですね」

ポール「ありがとう、どんどん泣いてくれ。沢山ハンカチを用意しなくちゃ」

私「あなたの歌う曲には、アメリカン・ポップスに影響を受けた部分もあるように思います。ただ、やはりジャズを感じられる“グッド・デイ・サンシャイン”や、モータウン・サウンドを感じられる“ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ”など、黒人の音楽に思いを馳せることもできる気がします。聞くまでもないかもしれませんが、ブラック・ミュージックは好きですか?」

ポール「もちろん。当り前さ!」

私「それと、あなたの歌詞は女性への思いをストレートに書き綴ったものが多いですね。やっぱり女性は好きですか?」

ポール「笑。言わせないでくれ!君も同じだろう?」

私「えぇ、まあ笑」

私「ありがとうございました」

ポール「どうも、サンキュー!」


 最後はジョンのところに。
私「ハイ!ジョン。初めましてです」

ジョン「やぁ」

私「本作を聴かせてもらいました。素晴らしいですね」

ジョン「うん」

私「あなたが歌う曲は、フォーク・ロックを感じさせる“アイム・オンリー・スリーピング”、サイケデリックな“シー・セッド・シー・セッド”、ぐるぐる回り続ける感覚が心地いい“トゥモロー・ネバー・ノウズ”とか。これらの楽曲は、まさにアメージングです!」

ジョン「うん」

私「いうなれば、音楽があなたを選んだかのようですね!」

ジョン「うん、うん。そうだね。でも、今の君は音楽の事をとんと分かってないようだね!音楽とはそういうものではないのだよ」


 その後のジョンとの会話をほとんど覚えていない。何故なら、私は打ちのめされていたからだ。でも最後のやり取りだけは覚えている…それが、本当に大切なことだったことには、後から気が付いたのだが。
 最後に4人が集まって来られた時に、最近の時事問題について聞いてみた。
私「あの、イギリスのEU離脱問題についてはどうお考えですか」
ジョン「僕は反対だ!人類は皆家族なんだよ。ほんとに今の国民はイマージネーションが足りないんじゃないかな?」
ポール「うーん。難しい問題だね。でも、ジョンがいつも言っているように愛こそすべてだから。まあそういうことだよ」
ジョージ「僕も一応反対だね。金に取りつかれた政治家は血祭りにあげるに越したことは無いよ。うん」
リンゴ「・・・・今は何とも言えないね。でも、人々が幸せでいることが一番大切だと思う」
私「わかりました。今日はお忙しいところ、お時間をいただき有難うございました。」
最後にポールだけ私に「じゃーね。また来なよ」と声をかけてくれた。


 それから少し経って「リボルバー」を聴きながらジャケットをしげしげと見ていた時に、ジョンから受けた質問の意味がようやく理解できた。ジョンはこう言った「君はいま何回転目なんだい?」僕はどういうことですかと尋ねた。するとジョンは「人生は何回も回り続けるものだよ。でも、突然終わってしまうことだってある。それを肝に銘じて生きていかなきゃだめだよ」と言った。
 ジャケットに記載された“LONG PLAY 33 1/3R.P.M”きっとジョンはこの回転数と年齢のことをかけていたのだろう。
 回り続ける「リボルバー」の盤の内側で、針がカタカタと規則的な音を立てていた。
 その時、声が聞こえてきた気がした。「今、何回転目?」私は「33回転目」と答えた。そして、「なにか分かった?」と声は聞いてきた。私は、こう答えるしかなかった。
 「いえ、今はまだ何も。」