『thaw』
―狂いゆく男―
くるりの音楽とは、岸田繁の精神世界の吐露をギリギリで抑えた結果、あふれ出た結晶なのかもしれない。本作はコロナ・ショックによる自粛を見越して製作された、くるりの未発表音源アルバムである。
『魂のゆくえ』期に創られたという「心のなかの悪魔」は自身の心の中にある悪魔について歌っている。だれの心の中にもある悪魔について端的に表現した歌詞から、彼のポップ音楽家としての才能をあらためて感じることになった。と同時に「魂のゆくえ」の《輝かしい未来は/胸の中で咲く花のよう》という歌詞と対極にあることも見逃せない。本作で最もロックらしいロックと言いたくなる「チェリーパイ」は強烈に愛を叫んだ曲。これが個人的にも一番思い入れのある『TEAM ROCK』期に創られたという事実に、不意を突かれた。これは名曲「ばらの花」のある意味対極にあると言っていいと思う。そして岸田繁のエロさが生々しく伝わる「さっきの女の子」など、この一枚でくるりの歴史を一気に感じることが出来る作品となっている。
良くも悪くもコロナ過が追い風となったか、音楽においてもトリックやギミックが一切通用しなくなってきているこの状況で、そもそもそんなものが元々ないくるりのロックが当たり前の様に響いてくるという事実に、驚いているのは私だけだろうか。《この街は僕のもの》と歌った時から岸田繁は自身の精神世界と対峙していたと思う。そんな彼をみて僕達はロックを感じずにはいられなかったし、時に厳しい彼のメッセージは常に僕達を戒めた。
今回『解凍』と名付けられたアルバム。おそらくどこかでコロナも解凍されてしまった。それは同時に人間の愚かさも解凍する羽目になったのかもしれない。すべてが解凍された世界で僕たちは何ができるだろうか。岸田繁は静かにチェリーパイを一切れ食すことだろう。それは狂いゆく自分を止めるための行為なのだ。その結果、愛されるかどうかわからなくとも、それを続けるしかないのだ。
