COLUMN

『さよなら、ザッカーバーグ
ーGOOD BEY !! Zuckerberg CEOー

「あぁ、全部あんたの所為だよ!ザッカーバーグ。あんたの所為で僕らの仮想空間は全て潰された。」
心の中で悪態をつきながら、私は京都音楽博覧会の帰りの電車に乗っていた、イライラしながらも。音博は良かった、本当に良かった。(でも)それは現実の世界での話。

何はともあれ、そんな気持ちになったのは、つい先日、こち亀の終了を知ったのが発端だった。さして、こち亀に思い入れがあった訳ではない。と言ったら怒られるだろうが。200巻迄続いたのに、これでおしまい?悲しいなっていう気持ちではない。僕が言いたいのは、両さんという破茶滅茶な警察官は、現実社会では受け入れられない、だからこそ、漫画という二次元=仮想空間に存在していたはずだった。でもこの2016年には、その仮想空間にすら、両さんの生き場所が無くなったのかもしれない。何故なんだって事をふと思ったのだ。

思えば、ここ20年間で、そういった破天荒な二次元キャラクターや映画スターを僕たちは失っていった。「男はつらいよ」の寅さんは渥美清が亡くなったことで居なくなり、「釣りバカ日記」の浜ちゃんは、盟友スーさん役の三国蓮太郎が亡くなった事により途切れてしまった。

両さんも寅さんも浜ちゃんも、ある意味では、男の理想像の1つとして捉えることが出来る。しかしそれは、今の時代にはそぐわない人物という対象に変わっていった。結果、自然に主流から、淘汰されてしまったという考え方もあるとは思う。ただ、僕が見ているのは現実世界ではなく、仮想空間での事だ。

時代は変わり続けている。でも何故、仮想空間の中にいる破天荒な人たちまで消えてしまったのか。

私はその理由を考え続け、一つのキーワードに辿りついた。それは、人間が作り上げたSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)が、僕たちの二次元のキャラクターを殺し、その空間を壊してしまったという考え方だ。

私たちはインターネットを通して不特定多数の人とやり取りをする事が出来る。実際に会ったことがない人とでも連絡を取り会える。これは一見、現実社会で起こっていることに思える。というか、どう考えても現実に起こっているのだが。しかし、このコミュニケーションはネットという人工物を使った繋がりである以上、自然界で生まれた交信ではないのだ。つまりこれは、人間が現実社会の上に作った新たなる仮想社会=SNSという構図になる。

こち亀という二次元の仮想空間を体験してきた私たちに、新たにSNSという仮想社会が出現したのだ。なんと、そのSNS上では、簡単に自分自身が両さんになりきれるという可能性さえ用意されているのだった。

おそろしくなってきた。私たちが見てきたこち亀という仮想空間は、私たちの頭の中に存在してきた。しかし、SNSという仮想社会を手に入れた私たちは、今まで想像で作り上げてきた仮想空間をSNSにそっくりそのまま明け渡してしまったのだ。

私たちは、SNS上で誰とでも話せ。誰にでもなれて。色んな事を体験することが出来た。しかし、その代償として、こち亀という二次元、素晴らしき仮想空間を失ってしまったのだ。

いや、漫画を開けばまた両さんに出会えるでしょ?もちろんそれはそうだ。過去には戻れるだろう。でも、未来には行けない。それが、物語が終わったということだ。

更に思えばここ数年、日本の現実世界でも、高度成長期を担った著名人が多数亡くなっていった。特に3.11を境に、そういう時期と重なっていたように感じる。その先の日本を見たくないというように、天に召されていった。

私たちは生きている。曲がりなりにも。
音博の帰りの電車で、年配の方々男性二人と女性一人が話しているのに出くわした。一人の男性は今年定年になったらしい。年上と思われる男性がお酒に酔っ払いながら、その男性に「これからは、好きな時間に好きな事が出来る。いいやないですか。」と言う発言に対して「いや~いいんですけどね。畑仕事とかもあるし、趣味も沢山やりたい事があって困ってるんです。嫁さんに怒られるわ。」と冗談混じりに言い返す。そして、女性は「そうなんや、趣味が沢山あっていいやん。羨ましいわ。私は何もないからな~」と言う掛け合いをしていた。

それを見ていた私は、はぁ、定年後はいいですね。と心の中で、少し冷めた気持ちを抱えていた。でも、これは現実世界での話。今、定年後を迎えた人、65歳過ぎの方は、この日本の高度成長期の一端を担ってきた人でもある。仕事詰めできた人の中には簡単にセカンド・ライフに切り替えられない人もいるという。どちらが良いとか悪いとか、言えない。大多数の人が高度成長期のレガシーを引き継ぎ、やはりその代償も足枷として引きずらざるを得ないのだろう。

結局、ないものねだりである。
ザッカーバーグがいてくれて良かった。
SNSが無ければ、出会うことが出来なかった人はたくさんいるし、世界にはそれで救われた人もいる。今の時代のビジネスには欠かせないものにもなっている。無い生活は考えられないという人もいるだろう。

でも、もし無かったらということを考えずにはいられない。四方山話に聞こえるかもしれないが、二次元キャラクターは死なずに済んだかもしれない。
あの、宮崎駿さえ、引退した一因は、パソコンのOSの繰り返される更新による費用の拡大だったって話もある。おそるべし、マイクロソフト

これからどうすればいいのか。
少なくとも、私たちはインターネットから逃れることは出来ないのだろう。いや使わないという選択だってある。

でも、『君の名は。』という映画は繋がる事の機微を捉えたから、沢山の共感を得た。繋がりたいという思いは人間の本能的なものだから、それに抗う事は出来ないのだ。

ONE PIECE』の作者、尾田栄一郎が、漫画は人と人をつなげるためのものだと言っていたと思う。だとするなら、その繋がりを作り出すツールだった、両さんはもういない。人間が作り出したSNSという馬鹿でっかいツールの前に、ついに消え去ってしまったのだ。

もう、繋がるのはよそう!と言ったそばから、誰でも無いあなたからの連絡を待っている私がいる。

もう、さよならだ。
ザッカーバーグの野郎!