LIVE REPORT

GRAPEVINE tour 2021

愛知県 日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール

2021.07.03

 

グレイプバインがまたやってくれた。『新しい果実』のツアーであるからといって曲順通りに演奏しないのは周知の事実で、これまでの豊潤な曲を織り交ぜながらも、毎度の事である。しかし、これほどまでに過去の曲が機能的に今作の曲と噛み合い、繋がり、新たな物語を提示されたのは初めてかも知れない。田中和将に言わせれば、今まで何を聞いてたんだ、という感じになるのかもしれない。だが、彼らが作り出した物語の壮大さは、この一公演を体験しただけで、バインのロックバンドとしての確かさを実感できるものだった。

開演前の会場にはジャズが流れていた。おそらく誰もが、今作の風景からパブロフの犬の様に違和感を覚えなかったはず。しかし、それがカモフラージュだったのだ。如何にもブラックミュージック的なものを見せますよという意味の。金戸覚のベースからライブが始まるのも稀有な事だろう。2020年を経て出来た作品のライブという面を考えれば誰もが待ち望んだ景色。その第一声を、一番濃いメンバーから始めるだろうと誰もが思う。それを良い意味で裏切るのがバインである。作品を0から作るという意味でも、セッションで生まれた“阿”は一番原始的な姿を持っている。それがコロナ後の作品表現の取っ掛かりに最適だったのだろう。続く“ポリゴンのクライスト” “Afterwards” “SUN”はバインらしいロックを普通に演奏するという展開になる。つまりは、ブルース、サイケデリック、フォークというバインのロックの側面をまざまざと提示し、クールなブラックミュージック展開予測を嘲笑う。特に紛う事なき見せつけられたのは、田中和将アコースティックギターと高野勲のエレキギター、それに西川弘剛のギターによる三重奏によって、新たな重厚感を手に入れ提示された“SUN ”だった。その流れで今作の“目覚ましはいつも鳴りやまない”が、サラッと続く。まさにこれを狙っていたと思う。今作の表面上のイメージを覆し、これまでのロックと並んでも違和感なく馴染ませる事を。実は、今作を聴いて今更ながらに気付いた事があった。それは亀井亨のドラムのリズムが、バインのロック要素を高い割合で決定づけているという事。(だから今まで何を聞いてたんだよという話)今作はR&Bやソウルな特色を強めている面があり、亀井亨自身もアレンジに苦労したとか。その意味がこのライブでの流れで納得させられた。あの違和感の無さがアレンジ力の最たるものだったのである。つまり、彼の作り出すロックのリズムがバイン印の証。バインのロックを聴いているという私たちの安心感になっていたのだろう。

しかしながら、『新しい果実』というだけあって、今までのバインじゃないものを提示するというテーマに対しての彼等なりの答えも必要だった。それは“COME ON” “居眠り”と続き、8曲目に本作ラストの“最期にして至上の時”を演奏したところで露わになり始める。それは“Chain”が演奏された頃だ。ここで一度、物語の時間軸は過去へ誘われる。つまり、この曲によって、田中和将の幼少期の思想との共振が生じた。この過去の時間軸において、“ねずみ浄土” “ぬばたま“が披露される。遂にここで彼等の思いが告げられたのだ。それは、新しいモノを提示するつもりなど端から無かったという告白。つまり、それついての懐疑の視点だ。私が見た風景、それは過去や幻想、闇そのものだった。そして本公演で一番の特異点であっただろう“lamb”から“Gifted“という流れが生み出された。ライブ空間において、最も高揚する瞬間だったと思う。歌詞の点から見ても必然的だったと言える。《叫んでいたのは 確かな声 耳を刺す》という歌詞から、《私の声なんて聞こえないか》という2曲のつながりは、はたして、確実に音楽で私たちをタイムスリップさせたと言えるのではないか。この並び自体が若者へのメッセージとなり、ライブにおいて過去と現在を繋げ、田中和将が過去の自分との邂逅を余儀なくさせる意味も含まれていたと推測できる。

少し余談になるが、私が考える田中と西川の密な妄想話をひとつ。題して、田中和将の表現形態が行き着くと、西川弘剛が暇になる説。簡単に言うと、今作はロックっぽくないものがナウい風潮を考慮し、表面上はロックっぽさを排除。それがひいてはリードギターパートの減少となる。特に“ねずみ浄土”とか。本公演の西川弘剛からは、あ、やべっ。という瞬間の表情が見えたり。(スライドバーが手から滑ったらしい?)曲が進んでる時にギター演奏を小休止して水分補給したり。しかし、主たる自分のパートになると超絶ギタープレイを見せてくれる。その落差、自由さ、これもロックバンドであるバインの凄みだったりする。でもギターのフィードバック音の大小が西川弘剛の気持ちによって変わったりするのかな(そんな訳あるか)。2009年ライブでの“Wants”と時もそう。エフェクター轟音過ぎないかと思ったり。でもそう考えると、バインが何がしか深化しようとする場合、比例して田中和将の表現形態が突き詰められ、その反動で西川弘剛が轟音になる(超絶ギターソロ引かせてくれ~という心の叫び)。そういう時のライブで西川弘剛がエフェクターをこだわって調整し、それを横目で見た田中和将が、あ~アニキ早よやってくれやと思っていたり。完全な妄想ですが。何れにしても2009年と2021年のバインには少なからずそういう共通点があった気がする。

話を戻そう。過去の時間軸への旅の途中、過去の自分の叫びと今の自分の声とが共鳴し、再び現在へ帰還。ここからが佳境となる。“リヴァイアサン” “(All the young)Yellow” “josh” “Alright”という流れは、まさにサタデーナイトフィーバー的バインロック全開の展開であった。ついにクライマックスへ。と、ここでまたしても、特筆すべき特異点がとどめをさす。2021年版「光について」のアップデート“さみだれ”からの“光について”という展開が再び高揚感を生み出す。この2曲を並べたのは、こういう時期だからこそだと思う。この2曲がお互いにリフレクターの役名を果たし、反射し合っていた。いつもの田中和将であればひねりのある順番にするだろうが、3.11の時と同様に、できるだけ分かりやすく提示してくれたと思う。いつもながらの数点のスポットライトが照らすだけの“光について”からは、手を差し伸べるような奉仕精神が、仄暗いステージ上で確かに輝いていた。本編ラストは“IPA”だった。最後の《戻れないと》この言葉に皆が色んな意味を重ねたはず。だが、少なくともコロナ前には戻れないという点においては、あそこにいた全員が奇しくも同じ。こんなことは珍しいことだ。アンコールは、ロックとしての、楽しさを表した“冥王星”とセンチメンタルを表した“スロウ”と希望を表した“真昼の子供たち”の三連打で幕を閉じた。本編は少し湿っぽくフェイドアウトしたが、アンコールの最後は明るく締めてくれるのもバインロックの醍醐味である。冥界から真昼への様に、音楽として振り幅の大きいアクトとなった本公演。今回の大きなポイントの一つは過去の曲との繋がりを明確に提示した事だろう。それまでの音楽的な繋がりだけでなく、曲としての力とともに言葉の可能性も信じ、それを有機的に使い新たな物語を作った事で、よりバインの音楽が伝わりやすくなったと思う。本編最後の《戻れないと》という部分には現状を認識し、理解し、愛するという意味があると私は思う。つまり、現状を愛せているからこそ、アンコールのラストの様に《世界を変えてしまうかもしれない》に繋がるのである。“真昼の子供たち”には世界を変えられる可能性があるという。それは世界を変える事が出来た過去の自分でもあり、これからのあなたでもあり、未来の子供たちでもあるのだろう。現状を愛せるかどうかで未来に希望を託せるかどうかが決まる。バインの音楽が私たちの思想をタイムスリップさせた!そんな一夜だったと思う。