DISC REVIEW

ラナ・デル・レイ

ケムトレイルズ・オーヴァー・ザ・カントリー・クラブ』

 

―悲しく無いラナはただのラナだ-

 

ラナ・デル・レイは古典との近接点に意識的な音楽家である。逆にテイラー・スウィフトには無意識なる強みがあった。ラナが歌手として到達した場所にあったものとは何か。

『ノーマン・ファッキング・ロックウェル!』で、古典的なポップ、ロックを現代的に完全再現したラナは、アメリカン・ドリームの到達点とも言うべき希望をついに手に入れる。今回はその方法論を踏襲した上で、2021年に生まれ落ちたアメリカン・シャンソン歌手の具現化という地点に立った。今作には彼女が手に入れた希望の正体を明らかにする意味もあるのかもしれない。

刑務所のリタ・ヘイワースのポスターの裏には希望があった。ラナは希望を手に入れ、その代償にホワイトドレスを失う。つまり、リタがセックスシンボルでよかった、そんなアメリカの季節は終わった。誰もが一つの価値観に縛られる事を良しとせず、多様性を求め続けた結果が今である。私たちは新たな希望を手に入れた。リタ・ヘイワースのポスターをすり抜け。ラナはホワイトドレスを破り捨て。そんな今でも、捨てたリタのポスターが恋しくなる。セックスシンボルでいればよかった時代を懐かしむ。

ラナは抱えている悲哀を的確に伝えるために古典的な手法を選び、巨大化したアメリカに歌手として向き合い続けた。その結果、彼女が手に入れた希望とは、自由だった。でも、ラナはまだ悲しいままのラナ。それは死ぬまで踊り続けると言ったラナの歌詞と如何にも同義語である。