DISC REVIEW

Drake

『Certified Lover Boy』

 

—愛を渇望していたドレイクは如何にして愛を与える男になったか—

 

カナダ出身のドレイクはアメリカにおいてはアウトサイダーだったのかもしれない。ラッパーとして戦ってきた彼にはシリアスな姿が垣間見えるが、実はアメリカでは陽性に捉えられていた、とした場合、成功した自分のパブリックイメージと彼自身が追い求めてきたスタイルに差異が生じていたと言える。その理由をプラスマイナスで捉えると、ヒップホップというカウンターカルチャー(-)×(-)郊外のカナダ出身から放たれるヒップホップ=ドレイクのヒップホップが(+)陽性に見られていたと言える。しかし、それにも変化が生じてきた。その理由が、アメリカにおいてのヒップホップ、トラップの主流化。それがメインストリームを占めた結果、公式がトラップ・ミュージック(+)×(-)郊外のカナダ出身から放たれるヒップホップ=(-)陰性へ。結果、ドレイクの音楽がよりシリアスに伝わるようになったのである。

その分岐点を経ての今作には、前作『Scorpion』でのヒップホップとR&Bの対比という視点を、より先鋭化するような楽曲がある。Apple Musicの本作コメントにある “不良っぽい男らしさという概念と、真実を受け入れることのコンビネーション”を表したのが “No Friends In The Industry”。ハードなラップで構成される曲だが、ラップでディスる事の不毛さに言及する。ラップを使って強さを提示する行為への疑問は当然の如く、ラップへの懐疑を助長させた。そこには、不良っぽいパブリックイメージの自分から脱却、という意味も込められているのだ。また、彼はヒップホップに弱さの吐露を入れてきたが、R&Bだからこそ投影できる繊細な思いもある。その象徴的な曲が“Get Along Better”。君の友達と、もっと仲良くなりたいと歌う意味は、ヒップホップというコミュニケーションに有効な最たる音楽に批評的な目を向け、最終目的は復讐ではなく、友好でなくてはいけないという思いが読み解ける。

虎穴入らずんば虎子を得ず。結局、彼がアメリカという虎穴に入り込んで得た虎子とはなんだったのか?自分のラップが自身の意向通り響くに至る事か?そうではないだろう。これはあくまでも、アメリカのヒップホップシーンの変化によって生じた天然現象。ならば、ドレイクが得た虎子とは如何に。おそらく、“Girls Want Girls”や“way 2 sexy”が一つの答えになっている。彼が得たのは、パブリックイメージとして求められているドレイク像そのものだった。つまり、それを自身が受け入れる事こそ、彼が掴んだ虎子だったのだ。

自身が愛を渇望し飛び込んだアメリカで、自分自身が奉仕精神を持ち、愛を与える側へと変化した。ドレイクというアイコンの体現自体が、人々に愛を与える事になると察知したのだ。先述の2曲の無重力なポップさと無責任な色気を表現するのが、シリアスなドレイクにアメリカが求めている姿ではないだろうか。