DISC REVIEW

米津玄師
『 M八七』


ー米津玄師がすべての人に向けたレクイエムを歌う。それは何れ心のふるさとで鳴り響くだろうー


ポップ・スター米津玄師誕生の分岐点は『STRAY SHEEP』だった。ポップとして消費される事の覚悟の果てに彼は新たな旅に出る事となったが、以降の彼の楽曲は、正義と悪に向き合い、その両極端に振り切る事によってポップミュージックを生み出してきたと言えるだろう。簡単に言えば、「Pale Blue」では正義に、「POP SONG」では悪に向き合っている。楽曲としては正義はよりシリアスに、悪はよりコミカルに描くのが、今の彼の方法論だ。もちろん正義と悪は時に反転の意味を持つことは言うまでも無い。

シン・ウルトラマンの主題歌である事を表す点をこの曲から探してみると、スリリングなストリングスや効果的な飛翔音、そしてカラータイマーを彷彿する心拍音が映画の印象と同期している。歌詞では“痛み”というワードが映画にある戦闘と表面上はリンクし、正義と向き合うシリアスな地点をポップの役割で表現している。

福島原発廃炉について自分事として考えて欲しいという学者がいた。一体どうやって?まずその方法を教えて欲しい。先程、表面上と言った意味を理解して頂けるだろうか。米津玄師が戦いと痛みを安易に紐付けはしない。ではなぜ《痛みを知る/ただ一人であれ》という歌詞が歌われたのか。それについては3分間の意義について考えねばならない。私たちはウルトラマンが3分間で帰ってしまう事を無責任だとは言わないだろう。それを過ぎれば死に直結すると理解しているから。つまり地球にいる3分間はウルトラマンがこの戦いを自分事として考えられる、その限界なのだ。廃炉に人間が向き合う事は明らかに、ウルトラマンに3分を過ぎた戦いも自分事として考えて欲しいと言っているのと同じである。本曲が3分過ぎに一度フェイドアウトする意味。3分を過ぎても戦う是非、正義と悪に引き裂かれ、ヘヴィな沈黙を余儀なくされる瞬間だと捉えられないだろうか。それに向き合う事で生じる心の痛みが、ここで歌われる痛みの根源である。歌詞に“心根”というワードがある意味も必然と言える。

今ここにある危機について考える必要があるのだろう。ゴジラでもウルトラマンでもなく、あなた自身が自分事として考えることが。きっとそれは痛みを伴うだろう。だから米津玄師は、心のふるさとに戻り、痛みの元を鎮魂するために、この曲を生み出したのだと思う。でも私自身は、彼以外の人がこの歌詞を歌っていたら、嘘くさく感じたはずだ。ふと「WOODEN DOLL」の歌詞を思い出す。《痛みを呪うのをやめろとは言わないよ/それはもうあなたの一部だろ》《でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど/誰かがくれたもの数えたことある?》こんな事を教えてくれた米津玄師だから信じられるのだ。痛みの意味と、喪失の先を描き「WOODEN DOLL」のJ-POP的な解釈した事で「M八七」は生まれたとも考えられる。