DISC REVIEW

NOMELON NOLEMON
『感覚派 - EP』


アイデンティティの化石化を美しいと言い続けられるポップの魔法とは?ー


ボカロ界隈においてNOMELON NOLEMONが最もロックである。その理由は「SUGAR」でもわかるように、自らが提示しているメッセージがこの界隈でも苦味のあるものだと自己批評し、且つそれは砂糖で甘くして誤魔化せるでしょ、という世相に対してのニヒリズムも同時に込められているからだ。歌詞の中にアイデンティティの明示を的確に込めているところがこのユニットの優秀な点である。

EPの5曲の流れを捉えてみると、「SUGAR」のダンス・ロックから始まり、「ウィスパー・シティ」のシティーポップ感とニューミュージック的「フィルム」、そして「タッチ」のアニソン・フォーマットの踏襲。最後の「線香金魚」は4つ打ちギター・ロックで締めている。特筆すべきは、シティーポップをパロディ化し、デュオのレプリカ的体現が出来ていること。また、童謡の視点をニューミュージックに混ぜ、色彩的オマージュに仕上げている部分だ。

卒業写真を化石化して生まれたエモとでも言おうか。すでに化石化した膨大な音楽ライブラリの上に立つ事を認識しているのが、彼らの時代性。しかし、卒業写真は化石化出来ても、アイデンティティはどうだろう。“感覚派”の中では答えはもちろんNO!だ。その痛烈な拒否が、ノーメロ的エモさに裏打ちされている。

最後に、そのエモさを辿っていこう。すると、やはり彼らは何かを悟っている事に気が付く。それは何か…そう、無くなることだ。風化していくこと自体に冷めた視点を持ったポップの美しさが確かに此処にある。アイデンティティの化石化を拒否しても、いずれアイデンティティは化石化し地下に眠る。その屍の上に立ち生きる私たちは、それを美しいね〜美しいね〜と言い続ける。なんでだと思う?それがポップの魔法だからさ。そして、当然の事だが、それはアイデンティティの化石化を断固拒否し続けているヤツにしか描けないポップでもあるんだよ。